第31話 玲子の行きたかった場所
駅前に行くと、なんか変な人たちが、駅前でビラを配っていた。見るからに何かおかしな感じのする人たちだった。
「・・・」
私はそのチラシを受け取った。
「生きづらさだよ全員集合?」
イベントのチラシだった。
そのチラシの写真に載っている人たちは、見るからに怪しげな人たちばかりだった。目がうつろだったり、身体障碍者の人もいる。禿げたおっさんに、小汚いおばさん。
「生きづらさを抱えている人みんな集まれ。心の病気、引きこもり、不登校、孤独、摂食障害、身体障碍者、アルコール中毒、みんな集まれ」
チラシにはそんなことが書かれていた。
絶対行かないよ。私はそう思った。かかわりたくないとさえ思った。摂食障害と書かれていたが、私はこの人たちとは違う。絶対に違う。そう思った。私の中に変なプライドが猛烈に湧き上がって来て、なぜか怒りを感じた。
町から電車に乗り、さらに大きな繁華街のある街へと私たちは繰り出す。お金はやっぱり玲子さんが、みんなに貸してくれた。
私の住む町から一番近いこの街は、母や友人たちと何度か買い物や遊びなどで来たことはがあった。でも、美由香たちと歩く街はまた違った景色があった。
楽しかった。すごく楽しかった。それは夢のように楽しかった。みんなで街のいろんなところを見て回った。服や雑貨、CD、本、色んなお店を見て回った。なんてことないことや、場所でさえもが輝いて見えた。友だちといるだけで、なんでもないことがこんなにも輝き、楽しいものだと、私は初めて知った。今まで生きてきてこんなに楽しかったことなど一度もなかった。友だちといる時はいつも不安だった。嫌われるんじゃないか。仲間外れにされるんじゃないか。いつも不安だった。
――常に友人の顔色を伺いながら、卑屈に、そして、どこか媚を売る自分に自己嫌悪を感じながら、それでもやっぱり、不安でそうせざる負えない自分。そんな自分を引きずりながら、私はずっと光り輝く楽しそうな同級生たちの影のようにひっそりと生きてきた――
でも、今は楽しかった。純粋に楽しかった。今を楽しむことができた。
「次、どこ行く?」
駅周辺の繁華街を一通り見て回って、再び駅前に辿りついた時だった。美由香がみんなを見た。
「もう六時よ」
すると、玲子さんが言った。
「ああ、そうか」
「えっ」
私は玲子さんと美由香を見る。
「私はそのために来たんだから」
「そうだったな。じゃあ、行くか」
どこに行くのか分からなかったが、私は真紀と並んでに玲子さんと美由香の後ろに従った。
「玲子さんが行きたいところってここなんですか?」
「そうよ」
辿り着いたそこは、駅前から少し離れた場所に立つ、立派な市立の音楽ホールだった。
「ショパン国際ピアノコンクール最終選考会。 私が出るはずだったところよ」
「えっ」
私は玲子さんを見る。しかし、玲子さんはそれだけを言って、さっさと中に入って行く。玲子さんは、何かを含んだような複雑な固い表情をしていた。「・・・」
初めて見る玲子さんのそんな表情に少し戸惑いながら、私も真紀もそれに続く。
「美由香は行かないの」
だが、美由香は動こうとしない。
「ああ、あたしはいい。ここでタバコ吸ってる」
「何で?」
「クラシックなんて、趣味じゃねぇよ」
美由香は、顔をしかめて肩を大げさにすくめながら言った。そして、タバコを取り出し吸い出す。
「・・・」
仕方なく美由香を置いて、私と真紀は玲子さんを追いかけ中に入った。
「・・・」
席に着くと、玲子さんはひたすら何も言わず出場者たちの演奏を聞いていた。その表情はものすごく真剣で、少し怖かった。
「このコンクールは若いピアニストにとって、プロへの大事な登竜門なの」
三人目の演奏が終わった時、玲子さんがステージを見つめながら言った。
「そうなんですか」
「私はここに出て、そして、優勝するはずだったの」
そう語る玲子さんの顔は、悲しみとも怒りともつかない何ともとらえようのない複雑な表情に覆われていた。
「・・・」
これも初めて見る玲子さんのそんな表情だった。いつも冷静でやさしく知的で理性的な人だった。こんな側面を持っていることに私は少しショックと、そして、戸惑いを感じた。
「退院したら、出場するんですか」
なんとなく間違った質問だとは思ったが、私は訊いていた。
「もう終わったの・・、終わったのよ・・」
「えっ」
それは、答えているというよりは、独り言のようだった。私は玲子さんを見る。その顔にはどこか薄っすらと狂気が滲んでいるように見えた。
「・・・」
私はそんな玲子さんに少し怯える。
「玲子さん・・」
「な~んてね」
でも、すぐに玲子さんは私に笑顔を見せ、元の玲子さんに戻っていた。
「終わったのよ。終わったことよ」
玲子さんは明るく言った。
「・・・」
でも、その明るさが帰って、私はどこか不安だった。
クラシック音楽は、やはり私にはまったく分からなかった。ただ、弾いているまだ十代の子たちの演奏が、尋常じゃなくうまいということ、そして、多分、ものすごい特殊な才能を持った子たちなのだろうということも分かった。さらに、ここがものすごく特別な場所だということも、そのピリピリとした空気感の中で分かった。
「こういうレベルの世界に玲子さんもいたのか・・」
私はそんなことを、繰り広げられる超絶なピアノの旋律を聞きながら漠然と考えていた。
「行きましょ」
そんな時、突然、玲子さんは席を立ち上がった。まだ、全然途中だった。
「えっ、いいんですか」
「うん」
まだ、演奏は続いていたが、そのまま玲子さんは席を離れる。私と真紀も玲子さんについて席を立った。
「あっ、どうしたの?それ」
外に出ると美由香が、私たちの方に向かって、一万円札をひらひらとさせている。
「ちょっとね」
へへへと美由香はいたずらっぽく笑う。
「今度はあたしがおごるぜ」
私たちが美由香の下に行くと、美由香が言った。
「やったぁ」
その言葉に真紀は素直に喜ぶ。そんな無邪気に喜ぶ真紀に玲子さんはやさしく寄り添う。それはもういつもの玲子さんだった。
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