第25話 病院脱走

「えっ、玲子さんも行くんですか」 

 デイバックに荷物を詰め、再び美由香の待つ共有スペースに戻ると、そこには玲子さんがいた。私は、意外で驚いた。その隣りには真紀もいる。

「ちょっと、行きたいところがあるの」

 玲子さんが言った。

「・・・」

 玲子さんだったら普通に外出許可とか出そうな気がしたが、何か事情があるのだろうか。

「こいつはな、まだ昔の自分にこだわってんだよ」

 美由香が言った。

「昔の自分?」

「余計なこと言わないで」

 玲子さんが美由香に向かってきつく言った。

「ああ、はいはい」

 だが、玲子さんが怒っても、美由香はおどけた表情をするばかりだった。

「怖いねぇ」

 美由香は私に顔を近づけ、そのおどけた表情を続ける。

「ああいうのが一番怖いんだぜ」

 そして、美由香が小声で私に言った。

「ああいうマジメなタイプが一番キレたら怖いんだ」

「早く行きましょ」

 玲子さんがそんな美由香の後ろから、急くように言った。

「ああ、はいはい」

 美由香が、やれやれと言った表情で返事をする。

「ところで、どうやって外に出るの?」

 私が美由香に訊く。 

「そんなのはかんたんさ」

 美由香はそう言ってにやりと笑った。

 私たちはまず、タバコを吸いに行くと言って、中庭に降りる許可をもらった。そして、そこから、一階の外来受付まで出る。外来窓口までには二重の扉があり、中から外には出れないようになっている。だが、一階は人の出入りが多いのと、看護師も医者も患者も外来との往来が盛んなので、その隙をついて一緒に出ることができた。前回もそれでこの二重扉は突破していた。

 そして、後は外来患者を装い、そのまま外来出入り口から出るだけだった。だが、ここが難しかった。外来の待合スペースには看護師なども多く歩いている。入口にはガードマンも立っている。 

 私たちは、なるべく目立たないように、それらしく外来患者然として、自然にふるまいながら出口へと向かう。

「・・・」

 だが、気の小さな私はドキドキしていた。なんだか、看護師たちに見られている気がする。私は不安と緊張で変な汗をかく。

 荷物を持って歩いている私たちは明らかにおかしい。こんなんでばれない方がおかしい。やっぱり、夜を待ってから、前回山に行ったようにして脱出した方が・・、というか、そもそもこんなことしなければ・・、

「あ、ちょっと」

 やはり、看護婦の一人が私たちに近づいてきた。

「やっぱり、だめだ」

 私はもうすでに観念していた。

「あなたたち」

 私たちに看護婦が声をかける。私たちは身を固くしながら振り向く。

「はい」

 私はもう心臓が飛び出そうだった。

「これ落としたわよ」

「えっ?あっ、すみません」

 私がデイバックにつけていた小さなキーホルダーのぬいぐるみだった。キーホルダー部分の金具が古く、外れて落ちたらしい。

「ありがとうございます」

 看護婦さんはそのまま行ってしまった。

「ふぅ~」

 私たちはそのまま外に出て、そこで大きく息を吐く。案外ばれないものであっさりと私たちは外に出れた。ガードマンも何も言わない。外来患者と思っているのだろう。

「無事通過だな。さっ、行こうぜ」

 美由香が、一息つく私たちに向かって言った。

「うん」

 私たちは、再び歩き出す。

「これからどうするの?」

 私が前を歩く美由香の背中に向かって訊いた。ここは山の中。バスは走っているが、本数も少なくそれを待っていたらすぐに捕まってしまう。タクシーももちろん走っていないし、そもそも、みんなお金は病院に預けていて、ほとんど持っていないだろう。

 すると、美由香が駐輪場の方に方向を変える。

「?」

 私はよく分からないままその後についていく。

「どれがいいかな」

 そして、駐輪場に着くと、美由香はそこに止めてある自転車からめぼしいものを順番に物色し始める。

「よしっ、これにするか」

 美由香は数ある自転車の中から、真っ赤なオバチャリを選んだ。

「えっ、自転車で行くの」

 私は驚く。

「町まではずっと下りだからな」

 美由香がその選んだオバチャリのサドルの後ろの鍵を覗き込みながら言った。そして、どうやったのか、すぐにその鍵を開けてしまった。

「さっ、行こうぜ」

「・・・」

 しかし、美由香はその一台しか盗まない。私はこの後、どうやって四人で町まで行くのか分からなかった。

 すると、美由香が前かごに自分の小さな手提げバックを投げ入れると、自転車にまたがり、ハンドルを握った。そして、それと同時に、真紀がその後ろのサドルに座った。

「お前も乗れよ」

 美由香が私を見る。

「えっ、みんなで乗るの?」

「そうだよ」

 美由香は当たり前みたいに言う。

「四人乗り・・」

「大丈夫だよ」

 美由香が言う。

「・・・」

 美由香はそう言うが、絶対に大丈夫に思えなかった。だが、ここまで来てしまった以上従うしかない。

 私は真紀の後ろの荷台に恐る恐る座る。すると、その後すぐに玲子さんが、後輪の軸に足をかけ、手を私の肩に乗せ、立ち乗りの形で乗る。みんな以前にも経験しているのか、乗り方の要領を分かっている。

「行くぞ」

 四人が乗り込むと、そう言って、美由香は重そうに立ち漕ぎで、ゆっくりと全体重をペダルに込め、漕ぎ始めた。四人を乗せた自転車は、重そうにゆっくりと動き出した。

 明らかな定員オーバーの四人乗りの自転車は、タイヤが早くもかなりの割合で凹んでいた。

「だ、大丈夫?」

 私は美由香の背中に声をかける。

「大丈夫、大丈夫」

 美由香が渾身の力をペダルに込めながら、息荒く言った。そして、私たち四人の乗ったオバチャリは、ゆっくりと駐輪場から出ると、駐車場を横切り、そのまま病院前の下り坂へと向かう。その異様な姿に病院に通う患者や家族たちが、何事かと目を見開いて私たちを見る。私たちは滅茶苦茶目立っていた。

「ちょっとあなたたち待ちなさい」

 そして、さすがに、病院スタッフに見つかった。

「やべっ」

 美由香が、さらに力を込めペダルを漕ぐ。だが、スピードはまり上がらない。

「待ちなさい」

 病院スタッフたちが私たちのゆっくりと進む自転車に向かって走って来る。絶対追いつかれる。私は思った。病院スタッフはものすごい速さで私たち四人乗りの自転車に迫る。そして、スタッフの手が、私の右袖に触れそうになったその時った。

「行くぜ」

 美由香が言った。

「えっ?わっ、わあぁぁ~」

 それと同時に、病院前の坂道に辿り着いた私たちの乗る自転車は、私が状況をよく理解する前に、その坂道を下り始めると、そのまま一気に加速し、病院スタッフを一気に振り切って、ものすごい勢いで坂道を下り始めた――。

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