第24話 手提げバック
「おいっ」
「えっ」
私が一人、何をするでもなく共有スペースで佇んでいた時だった。背後から突然声がして振り返ると、あの、ここに来て最初の日に、食堂で私にここは私の席だと文句を言って来た狐目の子が立っていた。
私は怯える。前回の復讐に来たのだろうか。その子はそんな私の反応などお構いなしに、近づいてくる。
「・・・」
私は身構える。
「あいつには近寄らない方がいいぜ」
「えっ」
狐目の子がいきなり言った。
「あいつとつるんでんだろ」
「美由香のこと?」
私が訊く。
「ああ」
狐目の子が首を上げるようにしてうなずいた。それと同時に、その子の汚く染めた、美由香と同じくらい長い茶髪の髪が揺れた。
「あいつとはつき合わない方がいいぜ」
「・・・」
何でそんなこといきなりと思ったが、私は言えずに黙っていた。
「別にお前が憎くて言ってるんじゃないぜ。あいつはほんとにやばいんだ」
狐目の子は私の反応などお構いなしに、話を続ける。
「ほんとにお前が嫌いだからとか恨んでるから言ってるんじゃないぜ。あいつはほんとやばい。マジでイカレてるんだ」
「・・・」
私は何も言えずただ、狐目の女の、その狐みたいな細い目を見ていた。何か意図があって言っているのか、実際のことをただ言っているのか、その細い目の奥に窪む瞳からは何も読み取れなかった。
「美由香は人を殺してるんだぜ」
「えっ」
「これはマジの話だぜ」
その子は強調して言った。
「あいつは病気なんだよ」
「・・・」
私はあまりのことに、何も言えなかった。
「お前も気をつけた方がいいぜ」
私が何も言わず黙っていると、それだけ言って、そのまま狐目の子は私の前から去って行った。
「・・・」
私はただ何も考えられず、呆然とその背中を見送った。
「どうしたんだよ」
私が呆然としていると、そこにちょうど美由香がやって来た。
「ううん、なんでもない」
なんとなく、私は今の話を美由香に言えなかった。
――私はいつも、スクールカーストという目に見えない、しかし、確実に存在する序列の最下層にいた。教室のその狭い世界の中で、その序列は絶対であり、私はここまで卑屈に這いつくばるようにしてその中を生きのびてきた。狭い世界のこと、大人たちはそう考える。しかし、その狭い世界は、子どもにとって世界のすべてであり、世界そのものだった――
「どうしたの?」
ふと見ると、美由香が何やら手提げのバックを持っている。
「どっか出かけるの?」
「ああ、退屈だからな」
「えっ、でも、病院の許可とか・・」
「そんなもんいらないよ」
「えっ、でも」
「脱走するんだよ」
「脱走?」
「ああ、当たり前だろ」
そして、美由香は私を見る。
「えっ」
私は困惑して美由香を見返す。
「何してんだよ」
「えっ?」
「お前も行くんだよ」
「えっ!」
美由香が何を言っているのか分からなかった。
「旅に出るんだよ」
「旅?」
「ああ」
「私も?」
「当たり前だろ」
「・・・」
当たり前なんだ・・。美由香の中ではいつの間にかそれは当たり前のことになっているらしい。
「早く支度しろよ」
「えっ・・、でも・・」
勝手に出ていいものだろうか。私はやっぱりマジメで従順な人間だった。
「早くしろよ」
「でも、少し考えさせてよ」
私は躊躇していた。
「分かった。少しな」
美由香はそう言って腕を組んだ。その組んだ腕の先で人差し指が、上下にポンポンと苛立たし気に時刻を刻む。
「よし、決定」
だが、ものの数秒も経たずに、美由香は言った。
「ええっ」
「さ、行くぞ」
まごまごしていたら、強制的に行くことが決定してしまった・・。
「・・・」
でも、ここから出たい気もしていた。なんか違う。私はここに来て違和感や不信感を抱くことの方が多かった。
「ていうか今から?」
私は美由香を見る。
「ああ」
「今昼間だよ」
「昼間だからだよ」
「えっ?」
「いいから早く準備しろよ。荷物は少なめにな」
「うん・・」
私は、まだよく分からないまま、自分の部屋へと歩き出した。
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