第22話 二回目のカウンセリング

 次の週、早くも二回目のカウンセリングの日が近づいていた。

「私あの・・」

「何?」

「私、あの・・、カウンセリングもういいです」

 診察の日、私は思い切って榊さんに言ってみた。

「どうして?ちゃんと、受けないと治らないわよ。途中でやめちゃうと、治療にならないわよ」

「でも、あの・・」

「どうしたの」

「・・・」

 私は正直嫌だった。あの、鎌田・・。顔も見たくなかった。

「なんかあの、先生が・・」

「あらっ、鎌田先生は、とても優秀な方よ。それに摂食障害にも詳しいし」

「・・・」

 全然、詳しくなどなかった。というか、分かっていなかった。摂食障害のこと、全然分かっていなかった・・。

「まあ、一回だけだと、まだ分からないわよ。何回か受けてみたらまた印象も変わるかもしれないわよ。何回か受けてみてからもう一度判断するのも遅くないんじゃない?」

 榊さんが提案するように言う。

「・・・」

「ね?」

「はい・・」

 私は納得できていなかったが、生来の気の弱さと、自分の意見が言えないという身についた卑屈な性格で、結局、カウンセリングをまた受けることになってしまった。 


「さてさて」

 私が前回のように、鎌田に向かい合うように置かれたパイプ椅子に座ると、鎌田は、また、前回のように作っているのか天然なのか、妙に明るくそう言って私を迎えた。その姿に、ものすごい嫌悪感と怒りが湧く。というか虫唾が走る。だが、もちろん、そんなことを表に出すことは私はできない。

「え~っと」

 鎌田は、手元のカルテのようなメモを見た。

「真知子ちゃんだね」

「はい・・」

 名前すら覚えていなかった。

「え~っと、過食症から拒食症・・」

 あれからたった一週間。メモを見ながら鎌田は呟く。私の病気の内容も全然覚えていなかった。私は・・、私は、全然忘れることができなかったのに・・、お前のこと・・。

「どう?あれから」

「・・・」

 どうももくそもない。お前のせいで私は散々だった。あれからどれだけ私が苦しんだか・・。そして、はらわたが煮えくり返るほど今も私は苦しんでいる。

「摂食障害っていうのは脳の機能障害なんだ」

 私が黙っていると、鎌田が突然しゃべり出した。

「はい?」

 私は鎌田を見る。

「前頭葉がね・・、抑制機能を・・、大脳辺縁系が、食事に関しての動機づけをしてしまって、快感を必要以上に感じて、それを抑制できなくなってしまうんだ」

「はあ」

 何を言っているのか分からなかった。というか、何を言わんとしたいのかも分からなかった。

「少し勉強してきたんだよ」

 鎌田は得意げに言った。

「・・・」


 ――私の心は乱れ、荒れ狂う感情はジェットコースターのようにアップダウンを繰り返し、周囲の人間を振り回した。

 気づけば少なかった私の友だちもみんないなくなっていた。私といつも仲よくしてくれた安江ちゃんも去って行った。家族とも不和だった。私は孤独だった。堪らなく孤独だった。その孤独を埋めるように、私はさらにさらに食べて食べて食べまくった――。 


「いろいろ本を読んでみたよ」

「・・・」

 本で勉強してきたのか・・。しかし、そんな浅薄な知識で理屈を言われたところで、私の心が変わるわけがない。そんなことも分からないのか。

「つまり、前頭葉の機能がね・・」

 だが、鎌田は、それで私の心の何かが変わるとでも思っているのか、何やら脳の断層写真まで出してきて、前頭葉がどうだとかなんとかかんとかと一方的に話し始める。

「・・・」

 二回目のカウンセリングは、私のカウンセリングなのに、鎌田は私の話などまったく聞かず、しゃべりまくる。

「この間スイスの学会に行ってきてね」

 しかも、自分が話しまくるその話のその合間に、ちょこちょこ自分の自慢話をはさんで来る。

「チェルノブイリの原発事故は知っている?」

 チェルノブイリ周辺の国に行ってボランティアしただとか、ギリシャで開かれた世界会議に出たとか、訊いていもいないのに、私にとってどうでもいい、むしろうっとうしいむかつく話しをしてくる。

「あのでも、そう言われても・・、やっぱり・・」

「だからっ」

 そして、私が、何か反論をしようとすると、鎌田はキレ気味にそう言って、私を黙らせる。そして、また鎌田は一方的に延々話し続ける。私は、もう何が何やら訳が分からなくなる。 

「・・・」

 だが、私は骨の髄まで身についてしまった卑屈さで、心の底では嫌だと思っているのに、うんうんと愛想よく聞くふりをしてしまう。そんな自分が嫌なのだが、体に染みついた卑屈さと表面的な人の好さは、私の意識を飛び越えて勝手に反応して、聞き分けのいい、人のいい人間を演じてしまう。

 それに乗じて鎌田は調子よくしゃべり続ける。なんなんだ。なんなんだ。この人格。初めて出会うこの得体の知れない人格に私はただ戸惑うばかりだった。だが、もちろんそんな私の反応などに微塵も気づくことなく、鎌田は自分の組み立てた、自分では完璧だと思っている理屈をしゃべり続ける。

「・・・」

 私は目の前のこの鎌田の姿を見ながら、自分が何のためにカウンセリングを受けているのか心底分からなくなった。これでは、私が癒されるどころか鎌田に気持ちよくカウンセリングさせてあげるために私が犠牲になってるみたいじゃないか。しかも、お金を払っているのはこっちだ。

「なんだこれ・・」

 私は心の中で呟いた・・。


「どうしたんだよ」

 いつものように私の部屋に遊びに来ていた美由香が、うつ伏せにベッドの上で、また真っ黒い鉛玉のように暗く沈み込む私を覗き込む。

「うん・・」

 私は何も言えなかった自己嫌悪と、鎌田に対する怒りで、ベッドに沈めるようにしていた顔を少し上げた。

「カウンセリングが‥、なんかすごく嫌なんだ・・」

「・・・」

 美由香が私を見る。

「なんか、カウンセラーの鎌田っていう奴が、なんか変でさ・・」

 やっぱり、あの鎌田はおかしい。むしろ鎌田の方が何か病気なんじゃないかと思った。

「どうしたの?」

 ふと見ると、美由香が、信じられないといったような驚いた表情で私を見ている。

「えっ?私なんか変なこと言った?」

 私は不安になった。

「やめればいいだろ」

 すると、美由香がさらっとそう言った。

「えっ」

「行かなきゃいいだろ。そんなの」

 当たり前みたいに言う。

「そうなの」

「ああ」

 美由香は何やってんのお前といった表情で私を見る。

「・・・」

 かんたん明瞭な答えだった。あまりにもかんたん過ぎて私は気づかなかった。

「・・・」

 そうか。そうだよな。確かにそうだ。行きたくないなら行かなければいいんだ。榊さんが何を言おうが誰になんと思われようが、鎌田が傷つこうがなんだろうが、いや、それは望むところだが、行かなきゃいいのだ。私のどん底まで重く暗く沈み込んだ心が一気に晴れ渡った。

「美由香の方がカウンセラー向いてるよ」

 私は美由香に言った。この時、心底私はそう思った。

「だろ」

 美由香はどや顔で言う。

「うん、美由香に相談した方が元気が出たよ」

「そうだろ」

 美由香はさらにどや顔で言う。

「カウンセラーなんて、変な奴とか、自分も病んでる奴が多いんだぜ」

「そうなの」

「ああ、もともと変な人間で、自分が病んでるから、心理学とかに興味持って、それでそっちの道に行くわけよ」

「なるほど」

 確かに鎌田はなんかおかしかった。

「だから、結局、人格も変だし、自分も病んでるからさ、何の役にも立たないし、むしろ害悪だったりするのよ」

「そうか・・」

 実際その通りだった。鎌田はまさに美由香の言うとおりの人間だった。

 私は次のカウンセリングをボイコットした。榊さんに色々説得されたり、他のカウンセラーも勧められたが、私は固辞した。

 結局、その後、榊さんと話し合って、カウンセリングは受けなくてもよくなった。

 しかし、その後、私に病名がもう一つついた。境界性人格障害。

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