第10話 喫煙所

 中庭脇の喫煙場所に着くと、さっそく美由香はタバコを取り出し、真紀がそれに手を伸ばす。美由香からタバコを一本受け取った真紀は、ベンチに座り、慣れた手つきで火をつけると、上手そうに煙を吸い、そして満足そうに吐き出した。

 その幼い顔にタバコは異常に不釣り合いだった。そんな真紀の隣りに、にこにことやさしい笑みを湛え、漂う煙に嫌な顔一つせず、玲子さんは座っていた。

「お前タバコ吸わないんだっけ」

 美由香が、所在投げに突っ立っている私を見る。

「うん、まだ、吸ったことない」

 でも、興味はあった。

「ほれっ」

 そんな私の表情を見て、美由香は持っていたタバコの箱を、軽く上下に揺らして、その中から一本だけを器用に飛び出させた。私は少し躊躇したが、その飛び出した一本を引き抜いた。すると、それと同時に真紀がすかさずライターを擦った。私はタバコを近づける。

「バカ、吸いながら火につけるんだよ」

 美由香が言った。

「えっ、うん」

 私は初めての経験で、右も左も分からず恐る恐る言われた通り、タバコをくわえたまま真紀のつけてくれた火に顔を近づけた。息を吸いながら火に近づけると、確かにすぐに火はついた。

「ゴホ、ゴホ」

 だが、私は煙を吸い込んだ瞬間、堪らなくむせた。

「はははははっ」

 それを見て美由香と真紀がけたたましく笑った。私はなんか悔しくて、それでも、もう一回吸ってみる。

「ゴホッ、ゴホゴホゴホ」

 だが、さらにむせた。美由香たちはさら爆笑した。そんな中、玲子さんが、私の背中をさすってくれた。とてもやさしく温かい手だった。

「大丈夫?」

 さらにやさしく声をかけてくれる。

「は、はい」

 そうは言ったが、私はなんだか気持ち悪くなってきて、すぐにタバコを消して、備えつけられている灰皿にそのカスを捨てた。美由香と真紀は、そんな私の隣りで上手そうにタバコの煙を大きく吸っては吐いている。私にはまったくその二人の光景が信じられなかった。

「無理してつき合わなくてもいいのよ」

 玲子さんが言った。

「はい」

 私は息苦しさに耐えながら答える。胸がむかむかしてきて堪らなく気持ち悪い。私はタバコを吸ったことを後悔した。

「うううっ」

 ほんとに気持ち悪かった。なんでこんなものをおいしそうに吸えるのだろうか。まったく分からなかった。

「コラーッ」

 その時、突然中庭全体に大きな怒声が響き渡った。

「わっ」

 私は驚く。

「な、何事」

 私は驚くが、他の三人、そして、中庭にいた他の患者やスタッフはまったく動じた様子もない。

 声のした方を見ると、髪の長い何か異様な感じの年配の女性が、空の一点を睨みつけるように見つめている。その目は何か怒りというか憎しみというか、とにかく血走った目ですごい形相をしている。

「おっ、今日も田坂さん、がんばってるな」

 美由香がのんきな調子で言った。

「田坂さん?知ってるの?」

 私が美由香を見る。

「有名人だよ。この病院の」

 半分笑いながら美由香は答える。

「有名人なの?」

「今日も戦ってくださっているんだよ」

「戦っている?」

「帰れっ」

「わっ」

 すると、いきなりまた田坂さんが空に向かって叫んだ。私はまた驚く。その叫び方が尋常じゃない。

「帰れぇっ」

 田坂さんはさらに叫ぶ。やはり、それは異様な光景だった。

「・・・」

 私はだんだん怖くなってくる。

「宇宙人から地球を守ってくれてるんだよ」

 だが、そんな田坂さんを見ながら美由香は笑いながら言う。

「はい?」

「ああやって宇宙人の侵略から地球守ってるんだってさ」

 美由香は呑気にタバコの煙を吐きながら言った。

「彼女にしか見えない宇宙人だけどな。はははっ」

 美由香が笑うと、真紀も笑った。

「・・・」

 私は空を睨みつける田坂さん見た。田坂さんは、なおもものすごい形相で何もない、真っ青に晴れ渡った空を睨みつけている。

「分裂だよ分裂」

 美由香が言った。

「・・・」

 私は今自分がいる場所がどういうところかをこの時初めて実感した。 

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