第11話 探検
――「これ、何がおもしろいのか全然分かんねぇ」
兄は、金曜ロードショーの火垂るの墓を見ながら呟くように言った。
「・・・」
実際、映画の中のお兄ちゃんとは違い、兄が私をかわいがることは小さい時から一度としてなかった。親の前でだけはいい兄の振りはするものの、それ以外では露骨に私の存在をうっとうしそうに邪険にし、そしていじめた。
そして、私はそれを私が悪いのだと思った――。
立て続けに三本のたばこを吸うと、それで満足したのか、美由香は病棟に戻ろうと言い出した。私たち四人は立ち上がり、再び病院の中に入った。
「玲子、お前退院するのか」
美由香が先頭を歩きながら、ふいに玲子さんを振り返った。
「えっ」
私も玲子さんを見た。
「ううん、まだ分からない」
玲子さんは、複雑な表情をして首を横に振った。真紀が不安そうにそんな玲子さんの顔を見上げた。真紀は玲子さんのことがとても好きらしい。真紀のその何とも言えない母を見つめる子どものような表情でそれが分かった。玲子さんは、そんな真紀に心配させまいと、真紀のその小さな丸い頭にやさしく手を乗せると、真紀に向けてやさしく微笑んだ。
真紀はそれでも心配そうに玲子さんを見上げる。
「大丈夫よ」
そんな真紀にやさしく玲子さんは言った。
「どこ行くの?」
右を曲がればエレベーターというところで美由香は、突然エレベーターとは反対の方に歩き始める。そっちは、一般外来のある方だった。
「ちょっと探検」
「探検?」
美由香は私の問い返しには答えず、どんどん長い廊下のその先へと行ってしまう。私たちは訳も分からずそれについて行った。
そして、ついに私たちは外来の待合室に来てしまった。午前中のまだ早い時間にもかかわらず、広い待合室にはかなりの人がつめかけ、どこか慌ただしい、にぎやかな雰囲気があった。その中を私たちは突っ切っていく。何人かの患者やその家族が、明らかに外来患者ではないどこか異質な私たちを見た。その視線から逃げるように私たちは歩き続ける。
美由香は外来の待合室を突っ切り、そのまま一階奥の入院病棟に入って行った。
「大丈夫?」
私がそんな美由香の背中に声をかける。
「大丈夫だよ。ちょっと頭のおかしな振りしてな」
美由香は気軽にそう言って、気にせずどんどん奥へと歩いて行く。
「うん・・」
私はおっかなびっくり、玲子さんたちと一緒に美由香の後ろにつき従った。
外来スペースの奥にある階段を上がり、二階の入院病棟まで来ると、そこをまったく臆することなく、そのまま美由香は奥に向かってどんどん歩いていく。
「よっ」
「は~い」
「元気だった?」
美由香は二階の入院病棟の患者たちに次々親し気に声をかけていく。
「ああ、美由香ちゃん」
「おお、元気にしていたか」
そして、逆にかけられていく。顔なじみのような気さくさだ。
「・・・」
その光景を見て、あらためて美由香は何者と思った。
「よく来るの」
「まあな」
そう言いながら慣れた足取りでどんどん奥へと歩いて行く。
「それにしてもここは・・」
私は歩きながら、周囲をあちこち見回す。なんだか老人ホームのようにお年寄りが多い。
「ここは長老さまたちの病棟だ」
美由香が振り返り、そんな私に言った。
「長老?」
私はあらためて病棟を見渡す。やっぱり、この病棟にいる患者たちは年配の人ばかりだった。若い十代の私たちが歩いていると、かなり場違いに浮いていた。
「この道何十年ていうベテランさんたちだよ」
美由香が歩きながら言う。
「何十年・・」
私は患者たちを見る。
「入院歴二十年三十年はざらって方々だよ」
美由香はさらっと言う。
「・・・」
この病院に何十年も入院している。私には想像もできない人生だった。
「は~い」
美由香が、そんな老齢の患者たちに向かって笑顔で気さくに手を上げる。それに応えるようにおじいさんたちも気さくに手を上げる。しかし、何かが不自然だった。動きが異常にスローモーで、笑顔を作ろうとしているのだが表情がなんか固く歪だった。そして、みんな一見普通の人たちなのだが、やはり目がどこか虚ろだった。
「みんなしっかりクスリが決まってるな」
美由香が言った。
「それもこの道何十年だからな。もう脳みそがしっかりクスリに漬かってるんだ」
美由香は笑いながら言う。
「・・・」
私はその薬漬けの老いた患者たちを見た。何かを諦めたような、魂の抜けたようなそんな虚脱した顔をしていた。
「うちらも気づいたらこうなってるんだぜ」
美由香は笑顔で恐ろしいことを言う。
「退院しないの」
私は訊ねる。
「まあ、もうないだろうな」
「えっ」
「ここが終の住み家なんだよ」
「えっ、でも」
「出たって行くとこねえだろ」
「・・・」
美由香はさらりと残酷な現実を私につきつける。でも、それは多分、確かな現実なのだろう・・。
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