第8話

 その後、警察からの事情聴取を終え、白と瑠実が御伽探偵事務所に帰ったのは外が暗くなってからだった。白は大翔が待っているんじゃないかと心配していたが、瑠実から連絡がいって先に帰っているという話を聞き胸をなでおろした。瑠実曰く、大翔はメッセージでも白をすごく心配していたらしい。そのためか、事務所に帰ると大翔が一番に出迎え怪我の有無を聞かれた。白が「大翔が瑠実を呼んでくれたおかげで助かった」とお礼を伝えると、大翔は「当然のことです」と笑った。


 その後、良助たちに報告を兼ねていろいろと話さなければいけないと思っていた白だったが、良助が二人ともつかれているだろうと気を使ってくれ、すぐに解散となった。



***


 次の日、白はあらかた荷物を整理して、事務所へと向かった。白の命を狙っている犯人が捕まった今、もうここに用はない。白はこの居心地のいい空間を離れがたく思っていたが、正式な社員でも、アルバイトでもないのに、ここに居座ることはできなかった。


 事務所では、すでに全員がそろっていた。大翔が自分の隣に座るよう白を呼ぶ。白はそれに従って、大翔の隣に座った。


「で、昨日のことだけど、何があったかは瑠実から聞いた。警察に確認したけど、工事現場で鉄パイプを落としたのも、大学の図書館で背中を押したのも、福嶋彰だった。本人が認めたってさ」


 良助の話に、白は「やっぱりそうだったんですね」と表情を曇らせる。好かれているとは思っていなかったが、殺したいほど憎まれているとも思っていなかった。


 良助は白の様子をうかがいながら言葉を続ける。


「自分が大学に行けず高卒で働いているのに、白が大学に通っているのが気に入らなかったらしい。鉄パイプを落としたのは殺そうと明確な殺意があったわけじゃなく、偶然通りかかった白を見て突発的にやったと。それで運よく怪我のひとつもしなかった白が余計に気に入らず、大学の図書館で突き落したんだって。福嶋彰も勉強をするのに大学の図書館を利用していたらしく、そこを白がよく訪れることを知っていたみたいだ」


 瑠実が呆れたようにため息を吐いた。


「それも失敗に終わったから、今度はナイフでグサッと刺して殺そうと思ったわけか」


 良助が静かに頷く。由貴が不思議そうに首を傾げた。


「大学の図書館って、学生以外も入れるの?」


 それに対して答えたのは大翔だった。


「よそは分かりませんけど、うちの大学はそうですね」


「どこも大体そうだと思うよ。大学は一般開講されている授業もあるし、どこも開放的なんだ」


 付け加えた律に、由貴が納得したように頷く。そして白を見ると、優しく笑った。


「ま、なんにせよ、命を狙うやつが捕まってよかったな。これで安心して生活できるぞ」


 白は曖昧に笑って答える。


「そうだといいんですけど、まだ兄に命を狙われていないと決まったわけではないので複雑です」


 良助はそんな白に声を出して笑った。


「まだそんなことを不安に思っていたのか?」


 白は驚いて良助を見る。


「え、どういうことですか?」


「白のお兄さん――桐ケ谷司は身内に甘いことで有名だ。そのため、身内に危害が及ぼされると、その相手を容赦しない。白は司の大事な弟。守るこそすれ、命を狙うなんてこと、するわけないだろう」


 衝撃の事実に白は動揺を隠せない。隣では大翔も心当たりがあるのか、苦笑いをして頷いていた。


「大学で会った時も、そうじゃないですか。『危ないことに巻き込まれてないか』って言われて、ちらっと僕の方を見たでしょ? あれ、僕がここの社員だって知っているからですよ。『お前、弟を何か危ないことに巻き込んでいるんじゃないだろうな』っていう気迫がすごく伝わってきました」


「あの人、怖いもんな。味方なら心強いけど」


 由貴も笑いながら話に加わる。白は何故兄のことを皆知っているのか、首を傾げた。それを見かねた瑠実が、説明をしてくれる。


「桐ケ谷家は、うちの探偵事務所と関係があるの。向こうが依頼をしてくることもあるし、こちらから必要な情報をもらいにいくこともある。ウィンウィンの関係」


「え、それじゃあ、最初から兄さんは疑っていなかったっていうことですか?」


 良助が頷く。


「白が真剣に考えているから合わせただけで、微塵も疑っていないよ。司から白の自慢話、よく聞かされていたしな」


「そんなぁ。もっと早く言ってくださいよ。そうしたら俺、こんなに心労を重ねることなかったのに」


 頬を膨らませる白。良助は「悪い、悪い」と豪快に笑った。


「最愛の弟に疑われる司っていう図が面白くてな」


 その言葉に、事務所内が笑いに包まれる。白も自然と笑顔になり、思っていた本音が漏れてしまった。


「ここは居心地がいいな。ずっとここにいたいくらい」


 白の言葉に、場が静まり返る。全員が、白に注目していた。白はハッとすると、慌てて弁解をする。


「あ、いや、ここはいい職場ですねっていう意味です。ずっとここに居座るなんて真似しませんから、安心してください」


 その様子に、瑠実が楽しそうに笑った。


「それなら、ここでこのまま勤めたらいいじゃん。もううちの社寮に住んでるし。ね、社長、いいでしょ?」


 瑠実の提案に大翔が「こら」と困ったように眉を下げた。


「瑠実。それはさすがに迷惑だよ。先輩は桐ケ谷グループに勤めるんだから。ねえ、社長」


 同意を求める大翔に、良助は「ん~」と顎に手を当てる。


「俺は賛成だよ。白がよければ、だけど」


 良助の言葉に大翔と白は「え?」と声を被せた。


「俺も賛成。大翔も、年の近い奴が入ってきたら嬉しいだろ?」


 由貴も手を挙げて話に入ってくる。礼都も賛成なのか、ニコニコとしながら手を挙げている。


「それは嬉しいですけど……」


 大翔は語尾を弱めると、白を見つめた。


「先輩は、どうですか?」


 大翔の質問に、白は「俺は――」と言葉を区切る。ここは今までいた場所のどこよりも居心地がいい。やっと、自分の居場所を見つけたような気がしたのだ。


 白は全員の顔を見渡すと、はっきりとした声で言った。


「皆さんが良ければ、ここに勤めたいです」


「お家の方は大丈夫ですか?」


 心配そうな大翔に、白は微笑んでみせる。


「どうせ第一後継者じゃないから、今と同じように手伝いさえすれば問題ないと思う。相談してみないと分からないけど」


 良助は満足そうに頷くと、「よし」と立ち上がった。


「大学卒業まではアルバイトとして雇う。それで家とよく相談して、卒業後もここで働きたいっていうなら、正社員として雇うよ。ここは訳ありの連中の集まり。きっと白も居心地がいいだろう」


 優しく笑う良助に、白は「ありがとうございます」と頭を下げた。


「それならさっそく引っ越しの準備を始めろよ。火災保険の解約とか、忘れずにな」


 由貴のアドバイスに白は「はい」と大きく頷く。律や瑠実を含めワイワイと話が弾む中、大翔が突然立ち上がった。


「本当に、先輩、今日からうちで働くんですか?」


「……ダメだった?」


 白が不安そうに大翔の顔を覗き込む。大翔は大きく首を横に振ると、不安そうな瞳で白を見た。


「嬉しいですけど……。僕、先輩と今日が最後の別れになるんじゃないかって覚悟決めていたので、ちょっと整理に時間かかっちゃって。本当の本当に、うちの社寮に引っ越してくるんですよね? 一緒に働けるんですよね?」


 不安そうに尋ねてくる大翔に、白は笑いながら頷く。大翔はガッツポーズをすると、本当に嬉しそうに笑った。


「やった。今日からまたよろしくお願いしますね」


「こちらこそ、よろしく」


 白は目の前の命の恩人に、今度は何かを返したいと強く思ったのだった。

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