第7話

 それから大学へ着くと、今度は実兄である桐ケ谷司に会った。彼の姿を見て、彼が同じ大学の大学院2年生であったことを思い出す。


 白より少しだけ身長の高い司は、いつ見ても白と似ている。特に漆黒の髪に関して言えば後ろ姿で見間違ってもおかしくないほどだ。そんな中、唯一白と違うのは目だった。司は母親譲りのやや垂れ気味の細い目をしており、優しい雰囲気を醸し出している。一方の白は父親譲りのキリッとした琥珀色の目であった。


「白! 久しぶりだな。元気か?」


 司は白に会うなりそう笑顔で尋ねる。自分の命を狙っている可能性の高い人物のため警戒しなければいけないと思いつつ、白はつられて笑顔を浮かべた。彼の雰囲気はそういった警戒心を消していく。


「もちろん。兄さんこそ、ちゃんとご飯食べてる? 無理してない?」


「俺は平気だよ。この通り、ぴんぴんしてる。何か変わったことも特にないか? 危ないことに巻き込まれていたりとか」


 司はそう言うと何故か大翔をちらりと見る。大翔が一瞬体を強張らせた。白は命を狙われている話をするわけにもいかず、笑って首を横に振った。


「特にないよ」


「そうか。それならいいんだ。何かあれば、すぐに俺に言えよ。なんとかするから」


「うん。ありがとう」


 白の返答に満足そうに頷くと、司は「それじゃ、またな」と足早に去って行った。大翔はその後ろ姿を見ながら苦笑いを浮かべる。


「嵐のような人ですね」


「ああ。本当によくしてくれる。よくしてくれるんだけど、本心では何を考えているか分からないところがあって。もしかして本当は俺のこともよく思っていないんじゃないかなって思うんだ」


 大翔は苦笑いを浮かべたまま首を傾げる。


「僕にはそうは見えなかったですけどね」


 そうこう話しているうちに互いの教室棟の前についた。


「先輩、今日は1限だけでしたっけ? 僕は2限までなので、僕の授業が終わったら一緒に帰りましょう。念のため一人にならないよう、大学の図書館の1階ロビーで時間をつぶして待っていてください。あそこは人が多いから、犯人も危ないことはしないと思います」


「分かった。図書館で待ってる」


 二人はそう約束してそれぞれの授業へ向かった。



***


 授業が終わり、白は図書館へ向かっていた。考えてしまうのは、今朝会った司のこと。大学内で会うことは珍しく、同じ大学にいることさえ忘れていた。


 ――よく考えれば、今までの殺人未遂は司に犯行可能なものばかりだ。工事現場で鉄パイプが落ちてきたのは自分の通学路を知っていれば可能なことで、大学図書館で突き落されたのも同じ大学にいればあそこにいてもおかしくない。動機だって白の瞳の色を考えれば十分あり得る。


 白は深くため息を吐いた。あの笑顔を疑いたくないが、正直彼以外に犯人が思いつかなかった。


「キャー!」


 突然誰かの叫び声が聞こえ、白は足を止める。声の聞こえた方へ振り返ると、そこにはパーカーで身を隠しサバイバルナイフを持った人物がいた。背格好からして男性だろう。男性の視線は白に向いていて、白は命の危機を察した。しかし、そう思った時にはすでに遅い。男性は白との距離を詰めていて、白に向かって走りだしていた。


 ――このまま避けて、他の人が怪我してしまったらどうしよう。


 そんなことが脳裏を過り、白は覚悟を決めた。これも桐ケ谷家に生まれた自分の運命だ。白はそこから逃げようとせず、ただ男性が襲い掛かってくるのを見ていた。


 その時、目の前に誰かの背中が割り込んでくる。


「あぶなっ――」


 白は慌ててその背中をどかそうと手を伸ばしたが、その手は届かず宙を切った。そして次の瞬間、目の前の背中が、男性を組み伏せている。


「痛い、痛いよ。離せ!」


 男性が必死に逃げようともがいているが、組み伏せている人物は微動だにしない。白はその人物に見覚えがあり、「どうして……」と小さな声で呟いた。


 その人物――瑠実は顔だけ白の方を向くと、悪戯っぽく笑う。


「お兄ちゃんに頼まれたんだ。2限の間一人になるから、一応そばについてあげてくれないかって」


 瑠実は捕まえた男性に顔を戻すと、そのフードを遠慮なくとる。白はそこで見た顔に目を丸くした。


「彰?」


 彰はその声に反応し、白を睨んだ。白は思わずたじろいでしまう。今までも彰に睨まれることはあったが、これほど強い憎悪をぶつけられたことはなかった。


「お前のせいだ。お前のせいで、うちは壊れたんだ。お前さえいなければ……お前さえいなければ、俺は大学に行けて、弟たちはあんなに苦労せずにすんだ」


 白はその罵倒に息を呑む。自分が福嶋家を出てせいせいしていると思っていたが、そこまで恨まれているとは思わなかった。瑠実が組み敷いている力を強くする。


「ふざけるな。白は何も悪くないでしょ。悪いのは皆大人。あんたんとこだって、親がもっとちゃんとしていればそんな風にはならなかったんだよ」


 彰は言い返そうと瑠実に視線を向けるが、瑠実のきつい睨みに口を閉ざす。


 白は彰の言いたいことがよく分かったため、謝罪を口にしようとした。しかし、瑠実や大翔の言葉が脳裏を過って、それをギリギリのところで飲み込む。――自分も被害者の一人。ようやくそう思えるようになった。


 白はしゃがんで彰と視線を合わせる。


「俺は彰たちと本当の家族になりたかった。血のつながりなんてなくても、彰たちの兄になりたいって思ってた。どれだけひどい言葉を言われても、の俺はずっとそう思っていたよ」


 彰が唇を噛みしめる。何か言いたげに口を開いた時、ちょうど警察が到着した。学生の誰かが通報したのだろう。数名の警察官が図書館前にやってくるのが見えた。


「この人、殺人未遂。そこにいる男子学生を、持ってるサバイバルナイフで殺そうとしてた。この場にいた多くの学生が目撃してる」


 瑠実が警察に彰を引き渡しながら説明をする。結局、彰は言いかけた言葉を言わず、警察官に連れられて行った。


 白はその後ろ姿を見て、ため息を吐く。命を狙っていたのが彰とは、思ってもいなかった。驚きと同時に、司でなくてよかったという安心感で満たされる。彰には申し訳ないが、白にとって大事な家族は司の方だった。


「謝るかと思ってた」


 不意に瑠実がそう呟く。白はそれが自分に向けられた言葉だと分かり、笑って返した。


「俺も、初めは謝ろうと思ってた。でも、瑠実ちゃんや大翔の言葉がそれを止めたんだ。なんでも自分のせいにすればいいっていうわけじゃない。俺が悪者になれば、彰たちと本当の家族になれるわけでもない。だから、謝らなかった」


 瑠実が驚いたように白を見つめる。白は穏やかな顔をしており、瑠実が安心したように息を吐いた。


「ところで、学校は?」


 白が思いだしたように尋ねる。


「学校は早退してきた」


 なんでもないことのように言ってのける瑠実に、白は目を丸くした。


「え、ごめん。俺なんかのために――」


「いいの。学校なんてつまんないから」


 瑠実はそう言うと「そんなことより」と口を尖らせた。


「謝罪よりもほしい言葉があるんだけど?」


 白はハッとすると、頭を下げた。


「助けてくれて、ありがとう」


「いや、頭を下げろとまでは言ってないんだけど……」


 瑠実の戸惑う声に、白は顔を上げる。互いに顔を見合わせて笑いあった。

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