第5話

 それから白たちは以前白が住んでいた福嶋家へと向かった。


「確か、ここだったと思うんですけど……」


 白はそう言いながら、目の前の光景に首を傾げる。二十年間住んだ家を間違えるはずはないと思うのだが、家があったはずの場所には『売地』と書かれた看板だけがあった。


「売地になっているね。近所の人に福嶋家について聞いてみようか」


 律がそう言った時、ちょうど通りかかった高齢女性が白の存在に気づいた。


「あれ、久しぶりだね。白君かい?」


 白は懐かしい声に振り返った。そこには福嶋家にいたとき、白にも親切にしてくれた近所の女性の姿がある。白髪の交じった髪の毛に、やや曲がってきている腰。二年前とあまり変わりがない様子に白は安心した。


「森本さん。お久しぶりです。お元気でしたか?」


「なんとかね。元気でやっているよ。それはそうと、白君、桐ケ谷家のお坊ちゃんだったんだね。白君は綺麗な琥珀色の瞳を持っていたから、もしかしてそうじゃないかと思っていたんだ」


 森本はそう言うと声をあげて笑った。白は初めて聞く話に目を丸くする。


「この目の色って、桐ケ谷家の特徴なんですか?」


 白の反応に森本は意外そうに片眉を上げた。


「おや、知らなかったのかい? 桐ケ谷家の人間皆というわけではないけれど、珍しい琥珀色の瞳を持つことがあるんだ。今の社長――白君のお父さんもそうだよ」


「でも、兄さんの目の色は琥珀色じゃない……」


 戸惑う白に、律が納得したように頷く。


「なるほど。君は桐ケ谷家の特徴とも言える琥珀色の瞳を持っていたから、施設に預けられたんだね。桐ケ谷家の人間だとすぐ分かってしまえば、命を狙われやすい。その点、君のお兄さんは目の色が違ったから狙われにくかったんだろう。だからこそ、白君は桐ケ谷家から遠く離れたところで守られていた」


「でもそう考えると、兄さんが余計怪しくなる。琥珀色の目を持つ俺が後継人として選ばれるんじゃないかって不安になるかも」


 白はそう言うと表情を曇らせた。その様子を不思議そうな顔で見ている森本に、律が微笑みかける。


「僕たち、福嶋家に用があってきたんです。偶然この近くに来たから、白君が挨拶していきたいって」


 さりげなく話題を変え情報を聞き取る律に、白はハッとして意識を律と森本の会話に移す。律の話の持っていき方に、白は感心の視線を律に送った。


 森本は眉を下げると、「あらそうだったの」と声のトーンを落とす。


「残念だけれど、もう福嶋さんはここにいないよ。白君が家を出てまもなくして、家を売って出ていったんだ。噂だと、多額の借金があったらしい。夜逃げみたいな感じで出て行ったから、私も心配していてね。行く先は私も知らないよ」


 森本の話に、白は「そうだったんですね」と口元に手を当てる。福嶋家が借金をしていたなんて話、聞いたことがなかった。


 ショックを受ける白を横目に、律が話を区切る。


「そうだったんですね。情報、ありがとうございます。今回は残念だけど、福嶋家への挨拶はあきらめようか」


「そうだね。代わりにこの辺のおいしいお店屋さん案内してよ」


 瑠実が話を合わせて白に話を振る。白は我に返ると、頷いて返した。


「分かった。それじゃあ、森本さん。今日はこれで失礼しますね。久しぶりにお話しできてうれしかったです。お体には気を付けてください」


「白君もね。無理は禁物だよ」


 森本はそう言うと手を振りながら、ゆっくりと歩いていく。その後ろ姿を見ながら、白はここが森本の散歩道だったことを思い出した。懐かしさが胸によみがえる。


「さ、僕らも行こう」


 そう歩き始める律に、白と瑠実はその後ろに続いた。歩きながら、律が白に尋ねる。


「白君は、福嶋家が借金をしていた話、聞いたことあった?」


「いいえ。そんな話、まったく聞いたことありませんでした。そんな素振りもありませんでしたし……むしろ、桐ケ谷家から十分すぎるお金をもらっていたからか、裕福な暮らしぶりだったと思いますよ」


 白の言葉に、律は「そうだよね」と考え込む。


「白が家を出て行って、桐ケ谷家からの支援金がなくなったから借金をしたんじゃない?」


 瑠実がそう顔を歪める。否定できない話に、白は苦笑いを浮かべた。



 そんな話をして歩いているうちに、ある小さな公園にたどり着いた。――あまりいい思い出がない公園。嫌な記憶が脳裏を過り、白は首を小さく振ってそれをかき消した。


 公園の前で不意に律が立ち止まる。


「ちょっと電話してくる。この公園で休んでいて」


 律はそう言うと、スマートフォンを片手にどこかへ歩いて行ってしまった。残された瑠実は「了解」と返事をし、公園の中へ入っていく。白も入らなければ、と思うが肝心の一歩が前に出ない。


「……ここ、嫌な思い出でもあるの?」


 いつまでも公園に入ってこない白に気づいた瑠実が、公園の入り口へ戻りながら尋ねる。白は言葉にさえできず、ただ小さく頷いた。


「それじゃ、ここで話そ」


 瑠実はそう言うと、公園の入り口にあるポールの上へ座った。白はその気遣いに「ありがとう」と言うと、彼女の隣のポールに座る。金属のポールは少しだけひんやりとしていた。


 白が座ったことを横目で確認すると、瑠実が話し始める。


「白も、大人の事情に振り回されたんだね。大変だったでしょ」


「それは、まあ……。でも、結果的に今が幸せだからいいよ」


「命を狙われているのに?」


 瑠実が納得いかないと言うように頬を膨らませた。白はどこかで聞いたようなやり取りに小さく笑った。


「さすが兄妹だね。梶山君――君のお兄さんも、似たようなことを言っていたよ」


「そうなんだ。まあ、兄妹だからね」


 瑠実はそう言うと、悪戯っぽく笑う。その頬にはえくぼが出ており、第一印象の怖さは消えていた。


「それはそうと、お兄ちゃんのことは大翔でいいよ。あたしも梶山だし、下の名前で呼んだ方がお兄ちゃんも喜ぶと思う」


 白はまさか妹に言われるとは思ってもおらず、思わず笑ってしまった。


「分かった。そうするよ」


 それからしばらく他愛もない話をしていると、「お待たせ」と律が帰ってくる。入り口で待っている二人に律は首を傾げた。


「あれ、中のベンチで待っていればよかったのに」


「いいの。中に入るの面倒だったから」


 瑠実はそう言うと立ち上がりニコリと笑う。白は彼女の気遣いに胸が熱くなった。


 ――瑠実は優しい。その優しさを表立って出さないところが、より彼女の本質を表しているような気がした。


「ふうん。そう」


 不思議そうに首を傾げながらも、律はそれ以上深く聞かなかった。彼の距離の取り方は、白を安心させる。


「それで、何か分かったの?」


 瑠実がそう律に尋ねた。律は白を一瞥すると、言いにくそうに口を開く。


「福嶋家について分かったことがある」


 白は律が自分に気を使っていることに気づき、「俺は大丈夫なので続けてください」と続きを促した。本当は少し怖かったが、自分で関わると決めたことだ。きちんと聞かなければいけないだろう。


 律は「分かった」と頷くと、話を続ける。


「白君が家を出て行ったあと、福嶋夫妻は支援金がなくなるからどうにかしてお金を作ろうとしたんだろうね。投資詐欺に引っかかったんだ。しかもその詐欺は質が悪くて、そこで生じた損失を闇金から借りることで補わせる手法だった」


 白は信じられない事実に驚きを隠せない。脳裏に福嶋夫妻と義弟たちが浮かぶ。彼らは闇金業者から逃げるために家を売ってこの土地を離れたのか。


 律は白の様子を気にかけながら続ける。


「闇金からの借金は家を売った金で返済したみたいだけど、その後の生活はきっと楽じゃないだろうね」


「当然の報いでしょ」


 瑠実が鼻で笑う。しかし、白は瑠実のように自業自得だとは思えなかった。


「俺が福嶋家を出たせい……? そのせいで、福嶋家は崩壊した?」


 小さく呟いた声に瑠実が驚いたように視線を向ける。律が優しく白の肩を叩いた。


「白君のせいじゃないよ。そもそも、支援金を当てにしていた福嶋家が悪いんだ。あれは白君の生活のためのお金であって、福嶋家が自由に使っていいお金ではないからね。本来ならば白君の将来のために貯金をしていてもおかしくないものだ」


「そうそう。白が自分を責める必要はないよ。それに、白にひどいことをしていた奴らなんでしょ? いい気味じゃん」


 瑠実も不思議そうに言う。白は二人に力なく笑った。


「そうはいっても、一応二十歳までは育ててもらっていた人たちだから」


 瑠実は表情を曇らせると、「難儀な人」と言って顔を逸らした。律は困ったように眉を下げると、瑠実の頭を優しくなでる。


「まあ、人それぞれ考え方は違うからね」


 瑠実は「子ども扱いしないで」と律の手を振り払った。瑠実の顔は白から見えなかったが、彼女の横顔は何故か苦しそうに見えた。律は「ごめんごめん」と笑うと、空気を変えるよう手を叩く。


「さ、一旦事務所に戻って整理しようか。白君もいろんな情報が一気に入ってきて疲れたでしょ」


 瑠実は何も言わずに頷く。律の言う通り白は少し疲れていたので、彼の意見に賛同した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る