第3話

「命を狙われ始めたのは半年前――大学3年生の後期の頃からでした。年齢で言うと、21歳の時です」


「具体的には?」


 良助がノートにメモを取りながら尋ねる。白は言葉を選びながら続けた。


「初めにおかしいなと思ったのは、街で歩いていて上から鉄パイプが落ちてきたことでした。幸い靴紐を直すため立ち止まった瞬間に落ちてきたので怪我もなかったんですが、あと少し歩いていたら下敷きになって命はなかったと思います。そこはちょうど工事をしている建物だったので、初めは偶然の事故だろうと思っていました。でも、工事の人たちは不思議そうな顔をしていて、『落ちないように固定してあったから、人為的な何かがなければ落ちないはずだ』と話していたんです。それを聞いたら怖くなって」


 大翔が納得したように頷く。


「桐ケ谷家からボディーガードの話も出ていれば、自分が狙われたんじゃないかって思いますよね」


「うん……。まだそれだけなら別に単なる事故だと思い込めたんだけど、その3か月後くらいに別のことがあって」


 良助のメモの様子を見ながら、白は言葉を続ける。


「大学の図書館で、階段から突き落されたことがあったんです。梶山君は知っていると思うけど、うちの大学の図書館、階段が急だろ? その一番上から押されたことがあって」


 大翔が眉間にしわを寄せた。


「え、怪我は大丈夫だったんですか?」


「幸いにも手すりにすぐつかまったから落ちずに済んだ。怪我もしていないよ」


 大翔が眉間のしわを戻し、「よかった」と息を吐く。良助がメモを取りながら、会話に入った。


「階段が急だなんて、バリアフリーな構造じゃないんだな」


「うちの大学古いですから。その代わり、エレベーターを増築したんですよ」


 大翔が良助に説明する。良助は「なるほど」と頷きながら、ペンを置いた。ノートには白の話の要点がまとめられており、メモを取り終わったようだった。


「一応、桐ケ谷家に入る前のことも聞いてもいい? 君個人に恨みを持っている人間がいるか、確認したいんだ」


 良助がノートをめくって新しいページを開く。突然ページをめくる音がやけに大きく聞こえ、白の脳裏に昔のことがフラッシュバックした。


 ――捨て子のくせに、生意気なんだよ。

 ――黄色の目が気持ち悪い。こっちを見るな。


 忘れていた声がよみがえり、白は自分の体が強張るのを感じた。顔を俯かせ、手が震えそうになるのを必死で抑える。あれはもう、過去のこと。そう思い込もうとすればするほど、苦しくなった。


 そんな負の思考から白を救ったのは、またしても大翔の声だった。


「もちろん、話せる範囲でいいですよ」


 その声に白はフラッシュバックから解放され、顔を上げる。心配そうに自分を見つめる良助と優しく笑う大翔を見て、体の力が抜けた。そうだ、自分を虐げるあいつらはもういない。白は弱々しく笑うと、「ありがとう」と言った。不思議そうに首を傾げる大翔を横目に、白は目の前のテーブルに視線を落とす。


「俺は元々、児童養護施設出身だったんです。そこで子どものいなかった福嶋ふくしま夫妻に引き取られて、二十歳まで過ごしました。初めは大事に育てられていたましたが、俺が4歳の時に夫妻の間に子どもができてから変わったんです」


「血のつながりがある実子の方が可愛いっていうやつか」


 苦々し気に話す良助。白は小さく頷いて続けた。


「必要最低限の世話はしてくれましたけど、授業参観とかには来てくれませんでした。義弟たちが大きくなって俺が施設から拾われた子だと知ると、彼らは俺を見下すようになりました。ひどい言葉を投げつけられ、時には暴力を振るわれ……。本当に、ひどい生活でしたよ」


「義理の両親は、何も言ってくれなかったんですか?」


 怒ったような声色の大翔に、白は顔を上げた。大翔は拳を握りしめており、怒りを堪えているように見える。


「福嶋家夫妻はそれを見て見ぬふりしていたよ。俺が何されても、我関せずっていう感じ」


「ひどい。そんなの、里親失格だろ」


 吐き出すように言った大翔に、白は少しだけ救われる感覚がした。自分のために怒ってくれる人がいる。その事実が心を軽くしたのだ。


「大変だったな。よく頑張った」


 良助は深く息を吐くと、そう眉を下げた。言ってもらいたかった言葉に、白は涙が出そうになる。しかし、ここで泣くのは恥ずかしいと何とか涙をこらえた。


「ところで、桐ケ谷家はどうして先輩を施設に預けたんですか? 元はと言えば、桐ケ谷家が先輩を施設に預けなければそんな目に遭わなかったでしょう」


 大翔が眉をひそめて尋ねる。白は二十歳の時に聞いた話を思い起こした。


「俺が生まれた頃、何回か兄さんが命を落とすような危ない目に遭ったらしい。桐ケ谷グループは大きな企業だけど、まだ内部も外部も安定していなかったそうだ。俺がそれに巻き込まれないよう、情勢が落ち着くまでは桐ケ谷家の息子ということを隠して、施設に預けようっていう話になったらしい。兄さんを守るのに、あの時は手一杯だったんだってさ」


 良助が頷いて、言葉を続ける。


「俺も、桐ケ谷の息子が小さい頃は桐ケ谷が裏社会でまだ中途半端な地位だったっていう話を聞いたことがある。次男と言えど命を狙われる可能性はあったんだろうな。だが、桐ケ谷は君が二十歳になってから迎えに来たんだろう? 情勢を安定させるのにそこまで時間がかかったとは思えない」


 的確な良助の分析に、白は頷いた。桐ケ谷家で聞いた話を思い出し、ため息を吐く。


「福嶋夫妻が二十歳になるまで待ってほしいって言ったそうです。大人になるまでは同じ環境でいなきゃ可哀想だとかなんとか言って。実際は桐ケ谷家からもらっていた支援金が目当てだったんでしょうね。俺がいなくなればその支援金がなくなる。それは困るから、ひとまず二十歳まではっていう約束を取り付けたんだと思います」


「先輩が虐げられている現状を知っていてですか? なんて人たちだ……」


 大翔が表情を歪め首を横に振る。これには良助も頭に手をあて、ため息を吐いた。


「金のためなら、他人の子どもが傷ついたっていいってか」


 悪くなった空気に、白は無理に笑顔を作って話を続ける。


「まあそれは過去の話で、今は幸せですよ。桐ケ谷家の人たちは本当によくしてくれています。今は福嶋家と縁を切って暮らせていますし」


「でも、その桐ケ谷家で命を狙われる羽目になっているんでしょう?」


 心配そうに白を見つめる大翔に、白は「それは……」と言葉を濁らせる。その様子を見た大翔は良助の方へ体を向けた。


「社長。先輩の命を狙っている犯人、見つけましょう」


 白は慌てて手を横に振る。


「そんな、いいよ。話を聞いてもらえただけで満足。多分桐ケ谷家の問題だから、あまり深く関わるとひどい目に遭うかもしれないし」


 良助はそんな白を見て、声を出して笑った。


「大丈夫だよ。うちの探偵事務所は裏社会にも、表社会にも強い」


「そうは言っても――」


 断ろうとする白を良助は手で制す。


「決めた。君の命を狙っている犯人を見つけ、何とかしよう。これは君の依頼ではなく、我が社の意向だから依頼料金などは気にする必要ない」


 頷いている良助の横で、大翔が満足そうに何度も頷いていた。信じられない提案に白は呆然とする。


「え、いや、でも……」


「もう決まったことですから。うちは、社長の言うことは絶対なんです。ね!」


 互いに顔を見合わせ笑いあう大翔と良助に、白は何を言っても駄目だと悟る。しかし、その頬は緩んでいて、誰かに頼りたかったという本心が覗いていた。


 白は「ありがとうございます」と言った後で、「ただ」と言葉を付け足す。


「俺も協力させてください。自分のことなので、任せっきりになるのは嫌です」


 その力強い言葉に、良助は「もちろん」と嬉し気に頷く。大翔は「ぜひぜひ」と満面の笑みを浮かべた。


「それじゃあ、先輩もうちの社寮に住みませんか? 部屋はまだ空いているし、安全面を考えてもその方がいいと思います」


「そうだな。犯人が捕まるまでの間だけでも、うちの社寮に泊まった方がいいと思う。どうだ?」


 二人の視線が自分に向き、白は一瞬息を呑む。思ってもいなかった提案に上手く言葉が出ず、返答とはまったく関係ないところに話を振ってしまった。


「社寮があるんですね」


 白の様子に笑いながら、良助が答える。


「ここの社員は皆、社寮に住んでいるよ。隣のアパートなんだけど、3LDKだから奥さんや恋人と一緒に暮らしている奴もいる。もし、君もそう言う人がいたら連れてきていい」


「寮っていってもルールとかは特にないんで、ただ家賃がかからない家具付きアパートに住むっていう感覚でいいと思います。近くに探偵がいる思えば、心強いでしょう?」


 楽しそうに言葉を付け足す大翔。白は段々と整理がついてきて、二人に頷いて返した。確かに、命を狙われている現状、事情が分かっている人たちが傍にいることは心強い。白はその提案を受けることにした。


「犯人が分かるまでの間、こちらでお世話になりたいです」


 白の返答に大翔はガッツポーズを決める。良助は満足げに頷くと、「よし。さっそく部屋の支度をしよう」と立ち上がる。そして部屋から出る直前、白を振り返って言った。


「君も服などの荷物を準備してくるといい。こちらは今日からでも泊まれる用意ができるから」


 良助が部屋を出ていくと、大翔も立ち上がる。


「先輩、どうしますか? さっき社長が言った通り、今日からでも大丈夫ですけど、先輩の都合が悪ければ明日とかでも大丈夫です」


 大翔の気遣いに、白は首を横に振る。


「いや、お言葉に甘えて今日から泊まらせてもらうよ。やっぱり、命が狙われていると思うと、怖くて」


「そうですよね。家まで一緒に行きますよ」


 白は大翔の言葉に甘え、大翔と一緒に一旦荷物を取りに家へ帰ることにした。

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