第五章 ~『牡丹鍋』~


 ゴブリンの砦に足を踏み入れたアリアは、天に昇る白煙と赤く燃える住処を眺める。


(本気の炎魔術でしたからね……罪悪感はありますが仕方ありませんね……)


 良心の呵責に嘘は吐けない。しかし生かしておけば、無実の人が襲われてしまう。誰かがやらなければならないことだと、ギュッと拳を握りしめ、一呼吸置く。


(まずは消火作業からですね)


 炎の魔術は魔力を炎に変換するだけでなく、自由に操ることもできる。特に自分の生み出した炎なら手足を動かすに等しい。


 アリアは炎を操り、勢いを抑えていく。炎は完全に消え去り、炭化した住居だけが残される。


(ゴブリンチャンピオンの魔石だけは回収しておきたいですね)


 炎に巻き込まれた他のゴブリンの魔石は最悪捨ておいていいが、耐久魔術会得のために、ゴブリンチャンピオンだけは見逃せない。そう考え、視線を巡らせていると、倒壊した瓦礫からゴブリンチャンピオンが這い上がってくる。


「あの攻撃で無事だったのですね……」


 致命傷に至らなかったのは耐久の魔術のおかげだろう。瀕死の状態に追い込んではいるため、あと一撃で倒せる状況だ。


「ギン様、ドラ様、お願いします」


 主人の命令に従い、ゴブリンチャンピオンの巨体に牙を突き立てる二体の召喚獣たち。トドメに繋がったのか、ゴブリンチャンピオンは膝を折って崩れ落ちる。魔素となって消失し、魔石だけが残った。


「作戦が嵌れば、相手が強敵でも難なく倒せますね」


 特に相手の射程外からの攻撃は有効に働く。今後も戦術パターンの一つとして使えるはずだと有用性を認識する。


 アリアはゴブリンチャンピオンの魔石を拾い上げる。美しい翡翠色の魔石に見惚れていると、傍にもう一つ魔石が落ちていることに気づく。


(これはゴブリンライダーの魔石ですね)


 猪に跨っていたゴブリンのことを思い出す。外に魔石が落ちているため、降ってきた炎の矢に貫かれたのだろう。


(ギン様とドラ様にご褒美をあげてもいいかもしれませんね)


 アリアの回復魔術は望んだ形で蘇生することができる。つまり猪の肉を食材という形で蘇らせることもできるのだ。


 魔石を猪肉の塊に変化させ、収納袋から鍋を取り出す。それだけで以心伝心したのか、ギンが倒壊した建物から薪を運んできてくれる。


 土台の下に薪を敷き詰め、炎魔術で火をつける。鍋用の水も魔術があれば確保できる。即席の牡丹鍋の準備が完了した。


「猪の肉を食べるのは初めてですね~」


 収納袋からストックしておいたネギや白菜も投入し、煮えるのを待つ。イノシシ肉の甘い脂の匂いが漂い、食欲を誘う。


「これは味が楽しみですね♪ ですが最初に食べるのは……」


 頑張った召喚獣たちが優先だ。小皿に取り分けた肉を与えてあげると、理性を失くしたように頬張り始める。尻尾を振る相棒たちの様子に、アリアまで嬉しくなる。


(では私も……)


 鍋の中で茹でられた肉を箸で持ち上げる。牡丹と称されるほど猪の肉は濃い紅色だ。ゴクリと固唾を飲んでから、口の中に放り込む。


 赤身の旨味と、程よい脂の甘味が口内に広がっていく。噛むのが止まらなくなるほどの美味しさに頬も緩んでいった。


(これが幸せなのでしょうね)


 アリアが何気なく上空を見上げると、満点の星空が浮かんでいた。ブラックな職場で働いていた時は、この光景に感情が動くことはなかったが今は違う。美味しいものを食べて、美しい自然を鑑賞する。贅沢な時間の使い方に生きていてよかったと強く実感した。


「キュイ♪」

「ドラ様はもう食べ終わったのですね……あ、ギン様も」


 食欲旺盛な相棒たちの皿は空になっていた。手元に肉はもうないが、探せばゴブリンライダーの魔石がまた見つかるかもしれない。


 そう考え、立ち上がった瞬間だ。悪寒が全身を包み込む。


「ギン様、ドラ様、敵です!」


 アリアの声に反応し、相棒たちは臨戦態勢となる。砦の入り口をジッと見据え、悪寒の正体が現れるのを待つ。


 暗闇から姿を現したのは、猫型の二足歩行する魔物。アリアが探していたシャムニアであった。

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