第四章 ~『仲間こそ大切』~


「どうしてハインリヒ様がここに……」


 王国にいるはずの元婚約者が現れたことに、アリアは驚きを隠せなかった。一方、ハインリヒ公爵は、バージルの後ろに控えながら、ニヤニヤと笑みだけ浮かべている。それがまた不気味だった。


「シン、まずはランクC討伐おめでとう。これで君たちがランキング一位だ」

「弟を褒めるためにわざわざ屋敷に?」

「まさか。本題はこれからだ」


 バージルはハインリヒ公爵の背中を押す。彼の含み笑いは止まらない。何か策があるのかと警戒する。


「君は?」

「私は公爵。アリアの元婚約者です」

「君が例の……」


 先ほどまで話題に挙がっていた人物だと知り、さすがのシンも驚く。呪いを受けて、体調を悪化させている彼を矢面に立たせるのはマズイと、アリアが前へ出る。


「私を王宮から追放しておきながら、よく顔を出せましたね」

「その件なら謝罪する。私が間違っていた」

「そうですか。ならもう無関係ですので、お帰りください」

「そうはいかない。私は大臣からの命令で派遣された使者だ。貴様を連れ帰るように命じられている」

「私を⁉」


 自分から追い出しておきながらどういう了見なのか。問い詰めるように鋭い視線を向けると、彼は観念したように説明する。


「フローラが思いの外、役立たずだったのだ」

「ですが、あの娘も回復魔術は使えるはずです」

「だが魔力が不足していた。さらにやる気もない。やはりアリアこそが聖女に相応しいと判断され、私に連れ戻すよう命令が下ったのだ」

「そうですか。でも私が命に従う理由はありません。お断りしますね」

「……肝心なことを伝えていなかったな。もし聖女として戻ってきてくれるなら、私との婚約を改めて結んでやろう。どうだ? 嬉しいだろう」


 ご褒美だと続けるハインリヒ公爵だが、アリアは苦虫を噛み潰したような表情に変わる。


「そんな罰ゲームのような婚約は御免です」

「なんだと⁉」

「私はもう王国の聖女ではないのですから、フローラの魔力を増やしたり、やる気を出させたりする工夫をしてあげてください。あなたが夫になるのですから」

「うぐっ……」


 すぐに靡くと思っていたアリアの冷たい正論にハインリヒ公爵は二の句を継げなくなる。追い込まれた彼に、さらなる追撃が後ろから放たれる。


「僕が聞いていた話と違うな」

「そ、それは……」


 バージルの反応に、ハインリヒ公爵は狼狽する。おそらく身勝手な約束を取り付けていたが、算段が崩れたために、話に矛盾が生じたのだ。


「もしかしてバージル様は私を王国に返すことで、シン様の陣営の戦力ダウンを狙っていたのですか?」


 だからこそ連れ戻しの使者であるハインリヒ公爵と手を組んだのではと予想した上での質問だ。彼は誤魔化すことなく、すんなり首を縦に振る。


「確かにそういう狙いはあったね。でもそれだけじゃないよ……僕は君を気に入っている。公爵から聞いた話では、君も彼に惚れていて、王国に帰りたがっているということだったからね。本人たちの意向を尊重した上で、僕らの陣営のプラスになるなら悪くないと思ったのさ」


 話を聞いてみると、バージルに悪意はなく、すべての原因はハインリヒ公爵の嘘にあった。アリアと恋仲であると騙されたからこそ、彼は手を組むと決めたのだ。


「でも、僕もまさか嘘だとは思わなかったよ。なにせ彼は土下座までしてきたからね」

「ハインリヒ様が土下座したんですか⁉」


 プライドの高い彼がそこまでした事実に驚かされる。彼は屈辱に耐えながら、何とか言葉を絞り出す。


「し、仕方あるまい。貴様を連れ帰らなければ、私は大臣に処刑されるのだ。なぁ、元婚約者が殺されるかもしれないのだぞ。可哀想だとは思わないのか?」

「不憫だとは思いますよ。ですが、私とは関係ありませんから」

「この悪魔め!」

「それは聞き捨てなりませんね。私は捨てられたんですよ。今更、手の平を返してきた人に優しくしないからといって、悪魔呼ばわりは納得できません」


 先に裏切ったのは彼の方だ。今更、聖女に戻って欲しいと乞われても、もう遅いのだ。


「生意気な女め。私の誘いを断ればどうなるか理解しているのか?」

「どうなるのですか?」

「ふん、貴様が世話になっているシン皇子に迷惑がかかるぞ」

「……どういうことです?」

「簡単だ。聖女は王国の宝だ。それを不法に引き抜いたとして、国王経由で皇国を非難させてもらう。次期皇帝の座を争う上で、王国との友好関係に傷を付けたと悪名が広がってもいいのか? それが嫌なら私と――」


 ハインリヒ公爵がすべてを言い終える前に、シンの拳が彼の顔を撃ち抜いていた。衝撃で倒れ込むと、鼻血を流して涙目になっている。


「師匠は私の大切な家族だ。それを失うくらいなら、私は次期皇帝の椅子を捨てることに躊躇いはない」


 シンは仲間を何よりも大切にしているし、その仲間にはアリアも含まれている。だからこそ家臣たちは彼を慕うのだ。


 一方のハインリヒ公爵は、シンに殴られた痛みに耐えながら、何とか起き上がる。


「わ、私は公爵だぞ。このような無礼が許されると⁉」

「相手が誰でも関係ない。私は仲間のためなら命を賭けて戦うだけだ」

「うぐっ……」


 脅しが通用しないと知ると、ハインリヒ公爵は黙り込む。縋るように、背後のバージルに視線を向けるが、彼の表情は冷たい。


「僕は君を助けるつもりはないし義理もない。それどころか、そんな卑怯な手を使うなら、僕もシンの味方に付くことになる。その覚悟はあるのか?」


 ハインリヒ公爵は崖っぷちの立場だ。二人の皇子を敵に回すような国際問題を引き起こした場合、むしろ彼が処罰されても不思議ではない。


 分が悪いと判断したのか、彼は悔しげに唇を噛み締めながら屋敷を飛び出してしまう。その背中を追いかける者は誰もいなかった。


「この度は失礼した。僕もこんな展開になるとは思わなかった」

「詫びる気持ちがあるなら、この呪いを解除してくれないかな?」

「断る。呪いが外れれば、僕らの勝算はゼロになる」

「つまりまだ勝利を諦めていないと?」

「もちろんだ。そのための策も用意している」


 アリアとのランキングを覆すためにはランクCの魔物を倒す必要がある。策とはつまり、それらの魔物を倒す術があるということを意味した。


「期待していて欲しい。僕らこそが勝利者だと証明してみせよう」


 バージルはそれだけ言い残して去っていく。彼相手ではまだまだ油断できないと、アリアは心の兜の緒を締めなおすのだった。

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