第二章 ~『カイトの初恋』~


 アリアが屋敷に戻る頃には夜の帳が落ちていた。人のいない道を通ったため、遠回りになってしまったからだ。


 屋敷の居間に顔を出すと、シンと、その家臣たちが清酒片手に宴会をしていた。昨日のような暗い雰囲気はない。魔物狩りで大きな成果を挙げたのだろう。


「盛り上がっていますね」

「師匠、おかえりなさい」


 酒で顔を赤くしたシンが、アリアの帰宅を出迎えてくれる。端正な顔立ちのせいで、酔った姿まで絵になっている。


「魔物狩りの祝勝会ですか?」

「私がサラマンダーを討伐したから、皆が祝ってくれているんだ」

「それは凄いですね」


 やはり彼の実力は皇国でも抜きんでていると改めて実感する。


「でも今の盛り上がりは別件でね。ふふ、師匠もきっと驚くよ」

「シン皇子、余計なことを言わないでください!」


 カイトが声を張り上げて、シンの発言を制止する。いつも冷静な彼らしくなかった。


「まぁいいじゃないか。めでたい事なんだから」

「だからそれはシン皇子の誤解だと……」

「誤解なら話しても問題ないだろ?」

「それはそうですが……」


 カイトは嫌だと言いつつも、頬を赤くして、口元には笑みまで浮かんでいる。こんな上機嫌な彼は見たことがない。


(素直じゃない人ですね♪)


 アリアの中でカイトに対する印象が変化する。普段からムスッとした顔を止めて、笑いさえすれば、もっと魅力的になれるのにと残念にさえ思えた。


「実はね、カイトに好きな人ができたんだ」

「カイト様にですか⁉」

「師匠も気になるかい?」

「もちろん、私も女の子ですから」


 自分の恋に興味はなくとも、他人の恋バナは別だ。特に女性に興味のなさそうなカイトの恋だ。気にならないはずがない。


「シン皇子は誤解しています。私は恋をしているわけではありません。ただ感謝しているだけです」

「素直じゃないな~長い付き合いだし、カイトの気持ちくらい察している。私の前で取り繕わなくてもいいんだぞ」

「……まぁ……好意を持っていないと言えば嘘にはなりますが……」


 カイトは恥ずかしさによる頬の赤みを誤魔化すために清酒をグッと飲み込む。彼の口が軽くなっているのも酔いのおかげだろう。


「カイト様の好きな人はどんな女性なのですか?」

「顔は分かりません。ただ冒険者組合の人に聞いたところ、目を惹くような美人とのことでした。ただ詳しい情報は教えてもらえず……」

「組合は中立を唄っていますからね」


 当たり障りのない情報ならともかく、個人を特定できるレベルの情報は教えない。そんな意思を感じさせられた。


「でも容姿について訊ねたのですから、名前は知っているんですよね?」

「はい、アリアンさんという方です」


 一瞬、頭の中が真っ白になる。彼が好意を抱いた相手の名は、アリアが冒険者として登録した名前だったからだ。


(え、私が好き⁉ どうして⁉)


 事態が飲み込めずにパニックになっていると、カイトはうっとりとした眼で話を続ける。


「アリアンさんは使役している魔物で私を助けてくれました。サラマンダーのような強敵を相手に、命を賭けてくれたんです。そんな彼女に私は憧れました」

「そ、そうですか……」


 アリアは引き攣った笑みを浮かべることしかできない。楽しかったはずの他人の恋バナが、当事者だったと知ってしまったからだ。


「アリアンさんはランキングだと、無所属でしたし、ソロで活動しているのでしょう。なのに、九位に選ばれるほどの成果を挙げていた。優秀な人なのは疑う余地がないでしょうね」

「あ、あの、そんなに期待しすぎない方が……」


 アリアンの正体が露呈した時、落胆されたくない。ハードルを上げていいことは何もないのだ。


「聖女様はアリアンさんとお知り合いなのですか?」

「いえ、知り合いではありませんが……」

「ふ、嫉妬は醜いですよ」


 カイトは変に誤解したのか、鼻で笑う。


「嫉妬なんてしていません」

「聖女様の気持ちは分かります。同じ女性が活躍していることに苛立っているのでしょう?」

「…………」


 あまりに的外れな意見に、二の句を継げなくなる。だが事情を知らずに、状況証拠だけならそういう誤解をされてもおかしくはない。


(アリアンは私のことだと名乗れば問題は解決でしょうが……)


 それでは折角の秘密作戦が無駄になる。彼女はカイトの誤解を解くこと諦め、行き場のないストレスを溜息と共に吐き出した。


「カイトがここまで人を褒めるなんて、珍しいことがあるものだ」

「私の憧れの人ですから。それにシルバータイガーを使役していましたし、冒険者としても実力者のはずです――そうだ、シン皇子。アリアンさんに我らの陣営に加わって貰うのはどうでしょうか?」


 皇子同志の争いは優秀な家臣をどれだけ召し抱えているかで決まる。ランキング九位のアリアンを欲するのも当然の流れだ。


 しかしシンは首を横に振る。


「駄目だ。私たちの都合で一方的に利用するのはよろしくない」

「シン皇子……」

「それに、将来、カイトの奥さんになるかもしれない人だ。こんなことで嫌われるのは御免だからな」


 シンはどこまでも真っ直ぐな男だ。こういう人だからこそ、付いていくと決めたのだと思い出したのか、カイトは納得の笑みを浮かべる。


「ただどんな人かは興味があるな……名前はアリアンで、女性か……あれ?」


 シンの視線がアリアに釘付けになる。


(まさか私がアリアンだと気づいたのでしょうか?)


 目を逸らして、疑いを避けようとする。カイトもシンの疑念に気づいたのか、庇うように口を挟む。


「シン皇子、忘れたのですか。魔術は一人一つだけ。聖女様は回復魔術の使い手です。魔物を操る魔術ではありませんよ」

「それはそうだが……女性で実力者、しかも急に現れたんだ……あまりにもタイミングが良すぎないか?」


 疑念は晴れないのか視線が鋭くなる。もう駄目かと諦めかけた時、居間の扉が開かれる。背嚢を背負ったリンが魔物狩りから帰宅したのだ。


「帰ってきたわよ。あれ、随分と盛り上がっているわね」

「まさか……リンさんが……」

「私がどうかしたの?」

「い、いえ……」


 カイトは頬を赤らめて、リンから視線を逸らす。誤解はさらに拗れながら、宴会は盛り上がっていくのだった。


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