幕間 ~『土下座する公爵★ハインリヒ公爵視点』~


~『ハインリヒ公爵視点』~


 ハインリヒ公爵は王宮の大理石の床に頭を擦り付け、土下座をしていた。その先には椅子に腰掛けるフローラがいる。彼女はふてぶてしい態度で、足を組んでいた。


「頼む、フローラ。私を助けてくれ」


 ハインリヒ公爵は窮地に追いやられていた。アリアを王宮から追放し、フローラを次の聖女として首を挿げ替えたが、その彼女が働こうとしないからだ。


 苦情はすべてハインリヒ公爵の元へと集まり、評判の低下に繋がっていた。王国の上層部では爵位降格の話が進んでおり、このままでは彼は破滅してしまう。


(フローラが働いてさえくれれば、私は再起できるのだ)


 アリアと違い、フローラには華がある。聖女の務めさえ果たしてくれれば、アリアを追放したのは間違っていなかったと皆が認めるはずなのだ。


 しかしハインリヒ公爵の必死の説得も、フローラの心に響くことはなかった。


「頼む、この通りだ」

「嫌ですわ。私はもう二度とあんな重労働をしたくありませんの」

「だ、だが、このままではフローラの立場も……」

「私はこの国唯一の聖女ですわ。誰が私を害すると?」

「うぐっ……」


 アリアがいた頃とは違う。もう聖女の代わりはいないのだ。二番手がいないからこそ、フローラは強気な立場に出ることができていた。彼が無理強いできない理由もそこにあった。


(私はどうすればいいのだ……)


 強制的に働かせることもできないし、このまま遊ばせておくこともできない。八方塞がりの状況に頭を抱えたくなる。


(しかたない。長期的な問題解決は後回しだ。まずは急場を凌がねば……)


 爵位降格を主導しているのは、彼の上役である大臣だ。大臣さえ味方につければ、時間的な猶予はできる。


「フローラ、なら一人だけ治療して欲しい。それで私は納得する」

「本当に一人ですの?」

「約束する。私を愛しているのなら、力を貸して欲しい」

「……仕方ありませんわね」


 フローラは渋々ながらも首を縦に振る。心の中でガッツポーズをした後、彼女を連れて、大臣の待つ執務室へと向かう。


「失礼します」


 ノックをしてから扉を開くと、机に座る大臣の眉間に皺が寄る。だが後ろのフローラの姿を認めると、先ほどまでの表情が嘘かのように破顔した。


「ようこそ、いらっしゃいました。フローラ様!」


 大臣の歓待に、ハインリヒ公爵は改めて聖女の価値を実感する。


(どうやら、今まで聖女を安売りしすぎていたことが間違いだったようだな)


 人は必ず病気や怪我をする。フローラの治療を受けたければ、その夫を厚遇しなければならないと知れば、自然と彼の元に富と権力は集まってくる。


(やはり私にアリアはいらない。フローラさえいれば十分なのだ)


「それで私は誰を治せばいいんですの?」

「聖女様はどんな病も癒せるとお聞きしました。私の肺の病の治療を、どうかお願いしたいのです」


(肺の病の治療なら、以前、アリアが治療していた。問題なくクリアできそうで一安心だな)


 想定以上の難病で、回復魔術でも治療できないなら困ったことになっていた。彼はふぅと息を吐くが、フローラは気まずそうに頬を掻いた。


「私には治療できませんわ」

「フローラ、我儘は止めてくれ。治してくれると約束したじゃないか」

「我儘ではなく、私では治せませんの」

「嘘を吐くな。アリアは治せていたぞ」

「お姉様の魔力量は飛びぬけていましたもの。傷と違い、病気の治療は魔力の消費量が多くなりますの。だから私の魔力量では治療できませんわ」


 絶望の言葉が紡がれる。崩れ落ちそうな膝をグッと我慢するが、目尻には小さく涙が浮かんだ。一方、フローラはいつもと変らない天真爛漫な態度で背を向ける。


「私は頑張りましたし、街に遊びに行きますわね。後はよろしくですわ」


 フローラは執務室を去る。静寂が戻った部屋にはハインリヒ公爵と大臣の二人だけ。先ほどまで笑顔だった大臣の表情は見る見るうちに険しくなっていく。


「これはどういうことだ?」

「あの、これは、想定外の事態で……」


 大臣は言い訳を聞く価値すらないと判断したのか、傍にあった杖を掴むと、ハインリヒ公爵の頭に叩きつけた。


「だ、大臣、暴力は止めてください」

「五月蠅い、この馬鹿者が! 止めて欲しければ、アリア様を連れ戻して来い!」

「どこに行ったか分かりませんので」

「ぐっ……この無能がっ!」


 怒りを発散するために、大臣は杖を何度も振り下ろす。ハインリヒ公爵の額から血が流れたところで、彼の手は止まった。


「私が間違っていた。爵位降格では生温い。処刑する方が王国にとっての利益になる」

「そ、それはどうか考え直しを! チャンスを頂ければ私は結果を出します」


 大臣の目は本気だ。このまま進めば、ハインリヒ公爵の命は断頭台の露と消えるだろう。


「本当に結果を出せるのか?」

「私はフローラの婚約者です。打てる手はあります」

「……なら最後のチャンスをやる。ただし次はないと思え」

「ご安心を。私は鬼になる覚悟を決めましたから」


 追い詰められたハインリヒ公爵の瞳が狂気に染まる。彼は処刑を回避するため、フローラを地獄へ突き落とす決心をしたのだった。

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