腐れ縁呪

朱珠

第1話

 肩がぶつかる。立ち止まって前を向く。ひどく酒臭い。


「チッ。どこ見て歩いてんだ阿呆」

「ああ、すみません」


 俺の謝罪は彼には届いてない。彼の視線の先に居たのは小さな子供だった。

 そういえば、さっきのあれは向こうからぶつかってきた気がする。


 母親も目を離している。男は笑った。子供を前に足を振り上げる。

 こいつは異常だ。助けなきゃ。俺の中の英雄が猛る。


「まともに歩けないなら、肩、貸しましょうか」

「ああっ!? なんだテメェ!」


 男の足が俺の横腹にめり込んだ。痛い。痛い。痛い。痛い。泣いてしまいそうだ。嬉しい。嬉しい。これで男は裁かれる。


「今の見たでしょう? こいつ俺のこと蹴りましたよ!」


 ああ、本当に嬉しい。こんな奴が野放しにされていてはたまらない。

 こんな奴に弱いものいじめなんかさせてはたまらない。


「てめぇ! ふざけやがって!」


 そうか、怖がってるのか。確かに殴られて喜ぶ奴は普通じゃない。

 知らないものは、見たことないものは、誰だって怖い。


「きゃああっ!」

「おやめください!」


 甲高い悲鳴が耳をつんざく。悲鳴なんかいらない。

 俺が欲しいのは歓声だけだ。


「……ッ!」


 今度はなんだか頭が痛い。痛みのある箇所に手をあてる。

 どろりとした感触。まわりの悲鳴がまた一段とでかくなる。

 男の手には割れた酒瓶。俺の足元にあるのは硝子の欠片。


「俺の血か。よかった」


 俺の安堵は常人には理解されないようだった。

 その瞬間そこにいた人すべての時間が止まったような気がした。

 警察が駆け込んできて、ようやく俺以外の時が動きはじめる。


「もう大丈夫だよ。悪いやつは捕まったから」


 子供が母親の影で怯えている。それを宥めるように近くにいって頭を撫でてあげた。

 途端に子供は泣きだして、母親は子を抱えて走って逃げていく。

 遠ざかる鳴き声と二人の影を見て思う。


「これじゃ俺が悪者みたいじゃん」


 助けたかっただけなのに。守ってやったのに報われないや。

 そこで意識は途切れた。


 高校生の集団に虐められている犬を見つけた。衰弱しきって抵抗する体力も残っていないようだ。


 勇気をだして声をかけた。いきなり殴りかかっても負けると思ったから。


「その犬弱ってるじゃん。可哀想だよ」

「なにこいつ」

「なあ、お前もやるか?」

「うるさい! やめろって言ってるだろ!」


 ボコボコにされた。身体中痛くて痛くて泣きっぱなしだった。

 繰り返される暴力に声を掛けたことを後悔した。


 俺を殴るのにも飽きて暫くしたら帰ってった。犬と一緒に倒れ込んでて、気付いたら交番で保護されてた。犬は警察が預かってくれることになった。


 犬は別れ際に何度も頬を舐めてくれた。きっとありがとうって言ってくれてるんだと思う。


 俺はそれが誇らしくて、迎えにきた家族に少し誇張して喋った。

 俺はいいことをしたから、きっといっぱい褒めてくれるんだ。


「危ないんだから二度とそんな真似するんじゃないぞ」

「あなたが無事でよかったわ」


 まあ、言う通りなんだけどさ。そうじゃない。そうじゃないんだよ。俺が欲しかった言葉は、俺の功績を称えてくれる言葉が欲しかっただけだ。


 俺は命を救った。誇らしい。自分の息子が誰かの命を救った。誇らしく思えよ。まずは褒めてくれよ。


 そんな言葉は口には出せなかった。

 家に着くと妹の部屋に行った。妹は身体が弱くて、いつもベッドで眠ってる。


 だから俺の話を聞くと楽しそうに聞いてくれるんだよ。

 それが嬉しくて、今回も妹だけはちゃんと褒めてくれるはずなんだ。


「——だからさ、俺がその犬の命救ったんだよ! すごいだろ?」

「まだそんなこと続けてたんだ」


 はっとして飛び起きる。心臓がこれ以上ないくらいにばくばくしてる。目を開けると俺は病院のベッドにいた。


 夢か、そうだよな。夢だよな。あいつはそんなこと言わない。唯一俺のやったことをただ真っ直ぐに褒めてくれるのはあいつだけなんだから。

 

 やめてくれよ。この数年間を否定するような言葉、お前の口からは聞きたくないよ。


 頬に涙が伝う。犬は救えてなかった。保健所で殺処分になった。妹はだいぶ前に病死してしまった。


 妹が死んだのもこの病院だったっけ。俺、最後まで自分の話してたんだよな。今日も誰かの役に立ったよ。すごいだろ?って。

 

 お前が一番辛いのにさ、痛かっただろうにさ、無理に笑顔作って掠れる声ですごいねって褒めてくれんだよ。


天国でもお前だけは今の俺見て笑ってくれてるような気がしてならないんだよ。そんなのさ、もうやめるわけには行かないじゃんか。


 数年が経った。彼女ができた。俺に似合わずいい子だった。

 いつも傷だらけの俺が好きなんだそうだ。人の為に頑張ってる俺が好きなんだそうだ。そんな俺をサポートするのが好きなんだそうだ。


 口ではそう言ってたのに、殴られて笑う俺を、警察に連れてかれている悪党にざまあみろって笑う俺が怖くなったんだと。


 俺は俺の中の信仰が揺らがない限り生き方を変える気はないし、きっと死ぬまでこの命すり減らしてできる限りの人を救うし、できる限りの悪を排除するよ。


「ごめんね、君とはお別れだ」

「待って。わたしあなたに嘘ついてた」

「知ってる。嘘でも救われたよ」


 正直一人じゃ怖かったんだ。だからそんなときに支えてくれたのは助かった。


「そっか、あれは口実っていうか詭弁だった。あなたが人助けに取り憑かれてるような気がしたから」

「うん」


 特に余計な口は挟まずに相槌のみをうつ。


「他のことに触れたら今より笑ってくれるかなって思ったから」

「そっか」


「いや、だっておかしいでしょ……。そんな顔してるあなたが人助けなんか絶対おかしいよ! そんなの自分が幸せになってからすればいいじゃん!」


「やめられないんだ。今までずっと俺が何に縋って生きてきたと思ってんだよ。これがなきゃ俺がいる意味が……」


 いや、そろそろ潮時なのかな。褒め称えられたくてやってた自己満足の行為がいつの間にか死んだ妹への償いになってたんだ。


 最後までわがままで自己中で、あいつのことちゃんと知ろうとしなかったから。


 俺と、俺の唯一の理解者でいてくれたあいつとの繋がりがこれしかないから。この償いをやめたらそれこそ本当にあいつとお別れするみたいで嫌なんだ。


「わたしは! あなたに憧れてるから、好きだから、幸せになって欲しいんだよ」

「でも今更人並みの幸せなんてどうしたらいいのか分かんないよ」


「わたしと一緒に探そうよ。まだわたしも途中だから、特別に一緒に探してあげるから」

「……ありがと。そいつは助かる」


 こんな強引な子だとは思わなかった。意固地になってる俺を引っ張りあげてくれるにはこれくらいじゃなきゃ足りないかもなって思ったら笑い声が漏れた。


 彼女はそれを見逃さず指摘する。誤魔化すように俺は言った。


「あのさ、お墓参り行ってもいいですか?」

「いいよ。てかなんで敬語?」


 彼女は歩きながら笑いを堪えていた。こんなに笑う子だったっけ。

 それとも俺が気付かなかっただけだったかな。


 妹の墓の前に来てアイリスの花を添える。彼女は保護者のようにただ横で俺を見守っている。


「今まで俺の自己満足に付き合ってくれてありがと。俺の話ばっかりじゃなくてさ、お前の話もちゃんと聞いとけばよかったよな。

 俺には何も無かったからさ、すごいねって、かっこいいねって褒めてくれたのが本当に嬉しかったんだよ。

 だからお前が居なくなってからもまだお前が褒めてくれてる気がしてさ、ずーっとそれに縋ってたんだ。

 馬鹿だよな、本当に。お前との繋がりなんか俺の自分語りがなくたってちゃんとここにあったのに。知ってるか? 俺がここに来たのって今日で二回目なんだぜ。ひでー兄貴だよな」


 あの頃あいつに接してたような喋り方、ちゃんとできてるかな。

 これで合ってるかな。うんうんって相槌うって聞いてくれてんのかな。


 それとももうここには居なくて、どこか遠いところで頑張ってるのかな。

 でもこれは俺のけじめの問題だ。言いたいことはちゃんと伝えた。


「大丈夫、父さん達とも仲直りするつもりだから。あ、そうだ。こっちは俺と一緒に幸せを探してくれる人だ」

「こんにちは。って何その紹介? もっと言い方ないのかなー」


 彼女は墓石に手をつきだす。握手のつもりだろうか。


「わたしも助けて貰ったから、今度はわたしが支えてあげるんだ。だからはい、バトンタッチ」


 彼女は暫く手を伸ばしたあとに不安そうに首を傾げる。ちゃんとバトンを受け取れたかが心配なのだという。

 渡してくれたんじゃないかな。素直なやつだから。


「じゃあね。今度は幸せ見つけてたくさん楽しい話をしに来るから」



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