57



その賑やかな声を、神様は変わらず少年の姿で、神使と狸もどきと共に社の屋根の上から、こっそり覗いていた。

座った神様の足元に収まっていた狸もどきは、頭にぽた、と何かが落ちてきたのを感じて顔を上げた。見上げると、神様は涙が溢れて止まらないようで、狸もどきは、神様の両脇に座る神使達と視線を合わせ、それから自分達も泣き笑い、神様に抱きついた。



神様の瞳から涙が一つ零れる度、どこかで萎れた花が息を吹き返す。それは、町に暮らす人々の心にもそっと寄り添い、優しく照らしているようだ。



「神様達、嬉しそうだな」

「そうですね」


境内の様子を、アリアとフウガは天使と死神の姿で、鳥居の上から見つめていた。


ここ数日、アリアは力を使った反動がいよいよやって来たのか、社の中で寝込んでいた。タイムラグのある体調の変化に、アリアの言っていた筋肉痛の話を思い出し、本人にはこうなる予感があったからあんな話をしていたのかと、フウガはぼんやり思った。


そんなアリアも、今はすっかり調子を取り戻し、鳥居の上でも構わず寛いで煙草を吹かしている。フウガは溜め息を吐いた。


「あなたね…ここは禁煙です」

「あ!まだ吸い始めたばかりなのに!」

「いくら天使でも、体に悪いですよ」

「別に良いだろ。この任務もどうせ終わりなんだから」

「まだ分かりませんよ」

「分かるよ。神様の力はじきに戻るだろ、この中のどれだけの人間がまたここに来てくれるか分からないけど、神社を綺麗にしてくれてるんだ、その思いは神様の力になるし、少なくとも八重の孫は来るだろ」


アリアはそう言って境内を見下ろし、「また一人増えたぞ」と指を差すので、フウガもそちらに視線を向けた。「あ」と、思わず声を漏らしたのは、やって来た少年が、フウガも知っている少年だったからだ。少年はつむぎと言葉を交わした後、神様に手を合わせてから清掃に加わった。彼は、フウガが日誌の登場人物を探しに歩いていた時、紡を思って声を掛けてきた少年だ。


「パン屋も来た、八重やえの子供だよな」


神社の外で軽トラが一台停まった。車には、森のパン屋とロゴが入っている。「遅れてごめん」と出てきたのは、八重の娘夫婦だ。今まで店で仕事をしていたのか、差し入れにパンを持ってきたと、声が聞こえてくる。


集まる人々の姿に、フウガはアリアへ目を向けた。


絆は離れていただけで、ほどけてはいなかったのかもしれない。八重の世代の人々も、その子供の世代、孫の世代、町がどんなに変わっても、変わらない絆があって、思いがある。


こんな風に、アリアも結び直す時が来るのだろうか。記憶を取り戻した時、この天使はどこにいるのだろう。それに自分は。


思考が深く潜りかけ、フウガはアリアから視線を外した。


「…この任務が終わるかは分かりませんが、この先、あなたが下界の戦力となるのは間違いないでしょう」


その言葉に、アリアは勢い良く顔を上げた。心なしか、大きな翼をそわそわと震わせている。


「え、また何か仕事?」


と、嫌そうな顔を浮かべているが、そわそわが隠せていない。フウガはそんなアリアが愛らしくも見え、眉を下げた。

寝込んでしんどい思いをしていたのに、今となっては怠けるよりも、役割を与えられるのが嬉しいのだろう。それに対しては、フウガにはどうしても複雑な思いが過ってしまう。

フウガはその気持ちを押し込め、胸元から手帳を取り出した。黒い手帳を開けば、先程送られてきたメッセージが浮かんでいる。送信者は、悪魔対策課の天使長、ヤエサカだ。


「この後の事ですが、正式に、あなたの下界での配属が決まりました。あなたは悪魔対策課の方が能力的にあってるでしょう」


もし今回の事がなければ、アリアの力は隠され続けていたのかもしれない。どうして神様が力を隠させていたのかは分からないが、明かした以上は、もう今まで通りとはいかないだろう。

もしかしたら、また記憶を操作でもするのか、それともアリアを隠してしまうのではとフウガは思っていたが、取り越し苦労に終わったようだ。


「…ふーん」


気のない返事をするアリアからは、そわそわとした空気に少し不安が混じるのが見えた。フウガは手帳の画面を閉じると、胸ポケットにしまった。


「安心して下さい、私も一緒ですから」

「え、でもお前は、死神の仕事があるだろ。今回は特別だったんだろ?お前は皆に必要とされてるし、早く帰って来いってよく言われてんじゃん」


神様を見守る中でも、フウガは仲間と顔を合わせる度、疲れた様子で早く帰って来いとせっつかれていた。アリアはそれを気にしているのだろう、フウガはそっと肩から力を抜いた。


「私がいなければ、あなたの面倒は誰が見るんです?そもそも下界で悪魔の行動を抑えられれば、それだけ天界の仕事もスムーズになりますから」


それにと、フウガはアリアを見つめる。アリアはほっとしたのか、今度はどこか楽しそうにそわそわしている。それでも、そんな自分が気恥ずかしいのか、頑張って気怠そうに見せているのがフウガには面白く、同時に庇護欲のようなものが生まれているのに気づいた。


アリアの力は人を守れる。悪魔にとってそれは邪魔でしかなく、その力を簡単には奪えないと知れてしまった。この先、悪魔達はアリアを排除しよう動き出すかもしれない。一人では歯が立たないと分かれば、結束を持つかもしれない。


フウガの役割は、アリアの世話ではなく、恐らく護衛になるのだろう。自分にそれだけの力があるのかは分からないが、まさか自分が誰かを守る仕事をする事になるとは。

命を奪う仕事をしてきた死神が、天使を守る仕事をするとは思いもしない。


「じゃあ、下界で暮らすのか?人間の姿で、あいつらうろついてるだろ」


下界の支部の天使達は、人間に紛れて過ごす事が多いという。


「あれは捜査や調査の一環で、というのもあるそうですが、我々も必要に応じてはそうなるでしょうね」

「住むのは?」

「支部の天使達用の宿舎がありますから。何かあれば、支部から天界へ戻る事も出来ますし」


魂を運ぶ為に死神は各々車を使っているが、ただ天界と下界を移動するだけなら、支部のエレベーターからあっという間に移動出来る。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る