56
それから数週間後の事。
この日は休日だが、どういう訳か、神社には朝から多くの人が集まっていた。
その中で、少年が一人、拝殿に手を合わせていた。彼は、
参拝を終えて少年が境内を振り返ると、近所の人達だろうか、子供からお年寄りまで様々な人が、楽しそうにお喋りをしている姿があった。
少年が手を合わせ終えたのを見て、側に居た中年の男性が「さあ、始めますか!」と、皆に声をかけて回った。快活な掛け声に、皆がそれぞれ頷いて声を掛け合い、境内の中を散らばっていく。
皆が始めたのは、境内の清掃や、神社を隠すように生い茂る木々の手入れだ。「
「まさか、こんなに集まってくれるとは思わなかった。
紡が、快活な声の男性、錦に礼をすれば、木の状態を確かめていた錦は、目尻に皺を溜めて微笑んだ。
「何言ってるんだよ、そもそも紡が言ってくれなかったら、俺はこんなこと思いもしなかったんだから」
事の発端は、紡の言葉だった。
「ばあちゃんの好きだった神社を、昔みたいに、皆が集まれる神社にしたい」
八重のお葬式の日、紡は錦にぼんやりと呟いた。
錦は、八重の同級生だった錦酒屋の少年、彼の息子だ。紡とは親子ほど年齢が離れているが、八重の繋がりを通して交流はあった。この時も、一人でぼんやりしている紡を気にかけ、声を掛けてくれたようだ。
その中で、紡は後悔を口にした。神社の事だ。八重の命が長くないと聞かされて、紡は久しぶりに神社を訪れたという。幼い頃、八重に連れられて来た事はあったが、木々が鬱蒼としていて怖い場所といった印象しかなく、それ以来、神社を訪れる事なかった。
そして、再び神社を訪れた時、こんな寂れた神社に、八重はたった一人で通っていたのかと、八重の気持ちを思えば何だか切なくて。
それから、八重の回復を願い、紡は神社に通った。残念ながら八重は天国へ向かってしまったが、八重の安らかな寝顔を見ていたら、八重の人生は幸せだったのかなと思ったという。
でも、本当は神社の事が気がかりだったのではないかとも思っていた。毎日のように行っていたのだから、自分が少しでも綺麗にして、人が立ち寄れるくらい綺麗に出来たら、八重は喜んでくれたんじゃないか。八重は優しいから何も言わなかったけど、大切な場所を一緒に守ってあげれば良かった。
出来るなら、昔のような神社を八重に見せてあげたかったと、そんな思いで錦にポツリと溢したら、錦は紡の肩を掴んで「やろう!」と、目をキラキラさせて言ったという。
それからは、あっという間だった。お葬式に集まった人々や、錦の父親と繋がりのある鞍地木町の人々と連絡を取ったりして、気づけば
「でも、錦さんが声を掛けて回ってくれたからじゃん」
紡の言葉に、錦はそれでも「俺の力じゃないって」と笑って、賑やかな境内を改めて見渡した。
「きっと、八重さんが集めてくれたんじゃないかな。皆、八重さんの為ならって感じでさ。こんな事なら、八重さんが生きてる内に集まるべきだったな」
「…俺も、何もしなかった。ばあちゃんが毎日参拝に来てるの知ってたのに。ばあちゃんの事を願う前に、もっと前から一緒に来てれば良かった」
錦は眉を下げ、紡の肩を叩いた。
「八重さんがさ、一人で境内の掃除をしに来てたのは皆、知ってたんだよ。なのに、たまに手伝いに来るのがどんどん減って、俺だって、神社がこんなんになってるの知ってたのにさ…」
「昔は、子供の遊び場だったんでしょ?」
「そうそう、親父の代は特に…あ、お前、八重さんの初恋知ってるか?」
「何それ」
「何でも、緑の髪をした少年と、ここで良く会ってたらしくてさ、それがここの神様なんじゃないかって。いつか私は神様のお嫁さんになると思うのってさ、真顔で言うんだって」
「ばあちゃん、夢見がちなとこあったからなー」
「でも、あながち嘘でもないような気がしてきてさ」
「え?」
「神様かどうかとかは、さすがにあれだけどさ。でも、八重さんのおかげで、すっかり顔を合わせる事もなくなった近所の連中や、昔馴染みが集まってさ、それもこの神社でさ。神様からの贈り物のような気もするし、この神様をよろしくっていう、八重さんの気持ちのような気もするし」
そう言いかけ、彼ははっとした様子で少年に顔を寄せた。
「あんまこんな事言ってると、先に天国に行った旦那さんに悪いから、内緒な」
「はは、大丈夫だよ。じいちゃんとばあちゃんは、めっちゃ仲良しだったから」
「確かになぁ…二人共、本当にいい人だったよな。あの旦那だったら、八重さんを任せられるって、うちの親父も昔を思い出して、よく言ってたよ。うちの親父と塚本の親父さ、子供の頃は二人で八重さんを取り合ってたんだってさ。でも、別の同級生に聞いたら、全然相手にされてなかったんだと。なのに、今でもたまに八重さんの事で張り合っててさ、まったく困っちゃうよな」
錦は楽しそうに笑い、それからそっと目尻を拭った。その涙を見て、紡の胸もじんわりと熱くなる。散々泣いて、涙なんて枯れたと思ったけど、思い出が枯れる事がないように、涙も枯れる事はないようだ。紡はぐいと目を擦ると、鼻を啜って彼の背中を叩いた。
「錦さん!仕事、仕事!」
「おう、そうだった!ぴっかぴかの神社にしてやるからな!」
はは、と笑って、紡は境内を見渡す。社の側では、何やら年配の男性が言い合っている。錦と塚本の父親達だ。まさか、今も八重の事で張り合っているのだろうかと、そんな事を思えばまた胸がいっぱいになる。紡が知っている人も知らない人も、八重の事を思ってくれる人がこんなにいる。八重の為にと、神社の清掃に参加してくれているのだ、八重が愛されていた事を知って、こんなに嬉しい事はない。
「…また来てよね」
紡がぽつり呟くと、錦は笑って紡の頭を撫でた。
「来るよ、綺麗な神社になったら、新しい参拝者も来るかもしれないしな。そしたら、神様も寂しくないだろ」
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