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それから数週間後の事。


この日は休日だが、どういう訳か、神社には朝から多くの人が集まっていた。

その中で、少年が一人、拝殿に手を合わせていた。彼は、八重やえの病院にも駆けつけていた少年、八重の孫だ。ジーンズの後ろポケットからは、鞄に付けていた桜のお守りが覗いている。

参拝を終えて少年が境内を振り返ると、近所の人達だろうか、子供からお年寄りまで様々な人が、楽しそうにお喋りをしている姿があった。


少年が手を合わせ終えたのを見て、側に居た中年の男性が「さあ、始めますか!」と、皆に声をかけて回った。快活な掛け声に、皆がそれぞれ頷いて声を掛け合い、境内の中を散らばっていく。


皆が始めたのは、境内の清掃や、神社を隠すように生い茂る木々の手入れだ。「つむぎ、こっちこっち」と、快活な声に呼ばれ、八重の孫の少年、紡も皆に混じって作業を始めていく。


「まさか、こんなに集まってくれるとは思わなかった。にしきさんのお陰だよ、遠いのにありがとう」


紡が、快活な声の男性、錦に礼をすれば、木の状態を確かめていた錦は、目尻に皺を溜めて微笑んだ。


「何言ってるんだよ、そもそも紡が言ってくれなかったら、俺はこんなこと思いもしなかったんだから」





事の発端は、紡の言葉だった。


「ばあちゃんの好きだった神社を、昔みたいに、皆が集まれる神社にしたい」


八重のお葬式の日、紡は錦にぼんやりと呟いた。

錦は、八重の同級生だった錦酒屋の少年、彼の息子だ。紡とは親子ほど年齢が離れているが、八重の繋がりを通して交流はあった。この時も、一人でぼんやりしている紡を気にかけ、声を掛けてくれたようだ。


その中で、紡は後悔を口にした。神社の事だ。八重の命が長くないと聞かされて、紡は久しぶりに神社を訪れたという。幼い頃、八重に連れられて来た事はあったが、木々が鬱蒼としていて怖い場所といった印象しかなく、それ以来、神社を訪れる事なかった。


そして、再び神社を訪れた時、こんな寂れた神社に、八重はたった一人で通っていたのかと、八重の気持ちを思えば何だか切なくて。

それから、八重の回復を願い、紡は神社に通った。残念ながら八重は天国へ向かってしまったが、八重の安らかな寝顔を見ていたら、八重の人生は幸せだったのかなと思ったという。


でも、本当は神社の事が気がかりだったのではないかとも思っていた。毎日のように行っていたのだから、自分が少しでも綺麗にして、人が立ち寄れるくらい綺麗に出来たら、八重は喜んでくれたんじゃないか。八重は優しいから何も言わなかったけど、大切な場所を一緒に守ってあげれば良かった。


出来るなら、昔のような神社を八重に見せてあげたかったと、そんな思いで錦にポツリと溢したら、錦は紡の肩を掴んで「やろう!」と、目をキラキラさせて言ったという。

それからは、あっという間だった。お葬式に集まった人々や、錦の父親と繋がりのある鞍地木町の人々と連絡を取ったりして、気づけば鞍地木くらきじ町にゆかりのある人々が、再び神社に集まってくれた。





「でも、錦さんが声を掛けて回ってくれたからじゃん」


紡の言葉に、錦はそれでも「俺の力じゃないって」と笑って、賑やかな境内を改めて見渡した。


「きっと、八重さんが集めてくれたんじゃないかな。皆、八重さんの為ならって感じでさ。こんな事なら、八重さんが生きてる内に集まるべきだったな」

「…俺も、何もしなかった。ばあちゃんが毎日参拝に来てるの知ってたのに。ばあちゃんの事を願う前に、もっと前から一緒に来てれば良かった」


錦は眉を下げ、紡の肩を叩いた。


「八重さんがさ、一人で境内の掃除をしに来てたのは皆、知ってたんだよ。なのに、たまに手伝いに来るのがどんどん減って、俺だって、神社がこんなんになってるの知ってたのにさ…」

「昔は、子供の遊び場だったんでしょ?」

「そうそう、親父の代は特に…あ、お前、八重さんの初恋知ってるか?」

「何それ」

「何でも、緑の髪をした少年と、ここで良く会ってたらしくてさ、それがここの神様なんじゃないかって。いつか私は神様のお嫁さんになると思うのってさ、真顔で言うんだって」

「ばあちゃん、夢見がちなとこあったからなー」

「でも、あながち嘘でもないような気がしてきてさ」

「え?」

「神様かどうかとかは、さすがにあれだけどさ。でも、八重さんのおかげで、すっかり顔を合わせる事もなくなった近所の連中や、昔馴染みが集まってさ、それもこの神社でさ。神様からの贈り物のような気もするし、この神様をよろしくっていう、八重さんの気持ちのような気もするし」


そう言いかけ、彼ははっとした様子で少年に顔を寄せた。


「あんまこんな事言ってると、先に天国に行った旦那さんに悪いから、内緒な」

「はは、大丈夫だよ。じいちゃんとばあちゃんは、めっちゃ仲良しだったから」

「確かになぁ…二人共、本当にいい人だったよな。あの旦那だったら、八重さんを任せられるって、うちの親父も昔を思い出して、よく言ってたよ。うちの親父と塚本の親父さ、子供の頃は二人で八重さんを取り合ってたんだってさ。でも、別の同級生に聞いたら、全然相手にされてなかったんだと。なのに、今でもたまに八重さんの事で張り合っててさ、まったく困っちゃうよな」


錦は楽しそうに笑い、それからそっと目尻を拭った。その涙を見て、紡の胸もじんわりと熱くなる。散々泣いて、涙なんて枯れたと思ったけど、思い出が枯れる事がないように、涙も枯れる事はないようだ。紡はぐいと目を擦ると、鼻を啜って彼の背中を叩いた。


「錦さん!仕事、仕事!」

「おう、そうだった!ぴっかぴかの神社にしてやるからな!」


はは、と笑って、紡は境内を見渡す。社の側では、何やら年配の男性が言い合っている。錦と塚本の父親達だ。まさか、今も八重の事で張り合っているのだろうかと、そんな事を思えばまた胸がいっぱいになる。紡が知っている人も知らない人も、八重の事を思ってくれる人がこんなにいる。八重の為にと、神社の清掃に参加してくれているのだ、八重が愛されていた事を知って、こんなに嬉しい事はない。


「…また来てよね」


紡がぽつり呟くと、錦は笑って紡の頭を撫でた。


「来るよ、綺麗な神社になったら、新しい参拝者も来るかもしれないしな。そしたら、神様も寂しくないだろ」



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