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その日から、アリアとフウガは神社で変わらずお世話になりながら、神様の仕事の邪魔にならないように、その様子を見守っていた。

あれから悪魔がこの町にやって来る様子はなく、神様の力が不安定に揺れる事は何度かあったが、その度にアリアが側に寄って、神様の気持ちを宥めていた。フウガとしてはアリアの方も心配だったが、アリア自身は力を使っていないようなので、この二日は特に変化はなかった。



三日後。神様は、暫くまともに町の様子も見ていなかった為、今日は商店街を中心に見て回るようだ。神様が町に降りれば、神様の姿を目にした妖達が、わらわらと集まってくる。何かを訴えるのではなく、神様が戻って来た事が皆、嬉しいようだ。こんな事があった、あんな事があったと、皆、話を聞いてほしいようで、神様はすっかり囲まれてしまった。


「人気者なんだな…」

「こんなに慕う妖がいたんですね」

「皆、いなくなって初めて気づいたのかな…それに気づけないくらい、神様もいっぱいいっぱいだったのかもしれないな」


アリアがぼんやりと呟くのを、フウガはそうなのだろうかと、同じくぼんやりと神様を見つめながら思った。そんな風に見ていると、人間と妖がぶつかりそうな距離に居る事に気づき、フウガはそれとなく声をかけた。


「神様、場所を変えた方が良いのではないでしょうか。近くの公園なら問題ないかと」

「そうだな、皆、場所を変えよう、話はゆっくり聞くから」


フウガの言葉に頷いて、神様は皆を広い場所へと促す。近くの公園なら、平日の午前中だ、人もそんなにいないだろう。

人間に姿を見られる事はないが、ぶつかる事はある、こうして注意して暮らすのも、人間の暮らしに影響を与えない為だ。



そうして、百鬼夜行と呼ぶにはおどろおどろしさはなく、どちらかと言えば不思議の国のパレードといった陽気な輪の中、神様がふと足を止めた。

妖達が浮かれながら横を通りすがる中、神様は遠い空をまっすぐに見上げている。アリアとフウガも足を止め、その視線の先に目を向けると、キラキラとした細やかな光が空に昇っている事に気がついた。

人の目には見えない煌めきだ。


「神様?」


妖の一人に不思議そうに声を掛けられ、神様ははっとした様子で、妖へ顔を向けた。きょとんとして神様の着物の袖を引くのは、狐の耳を頭につけた、子供姿の化け狐だ。神様は小さく呼吸を整えると、「何でもないよ」と柔らかに微笑んだ。その頭を撫でてやれば、彼は擽ったそうに肩を竦めた。それから神様は再び空を見上げ、少しだけ悲しそうに表情を歪めたが、妖達に無邪気に背中を押されて手を引かれると、すぐに笑顔を取り戻し、歩き出した。


あの煌めきは、命を終えた体に残っていた故人の思いの表れで、天に昇っているのは、先に天国へ向かった魂の元へ還る為だ。誰のと言わずとも神様なら分かる、あれは八重のものだ。家族や友人も、八重との最後の別れを果たしたのだろう。空へと昇る煌めきは、八重らしく柔らかで優しく、この町を、神様の歩く道を穏やかに照らしてくれるようだった。




「桜、咲いてたんだな」


その様子を見守っていたアリアが不意に呟き、フウガは神様からアリアに視線を移して首を傾げた。


「約束の桜さ、本物は無くなったけど、神様の思いはちゃんと伝わってたんだろうな。なんだよ、桜の苗木ってさ。桜の人なんて書いたってさ、気持ちだだ漏れじゃんな」


アリアは笑って、どこか愛おしそうに表情を緩めた。


「今も、大事にされてんじゃんな」


生まれた桜は、今も八重やえの子供達が大事に育てていると聞いた。店はまだシャッターを閉めているので見る事は出来ていないが、きっと、今も変わらず愛されている。

フウガはふと、神様の日誌を思い浮かべた。


「…日誌が書かれなかった期間があったのは、何故でしょうか」

「それはあれだろ?八重の名前が桜の人に変わるまで、時間が必要だったんだろ?」

「どういうことです」

「八重を好きになっちゃったから、書けなくなったんじゃない?ほら、日誌なんて、簡単に他の奴に読まれちゃうんだから。八重の気持ちに区切りを付けて、自分に言い聞かす為にも、また書き始めたんじゃないの。だから、わざわざ名前変えてさ。神様に聞いてないから、本心は分からないけど」


フウガはアリアの説明を聞きながら、眉間に皺を寄せた。


「…あなた、実は人間だったことがあるのでは?」

「は?なんでよ」

「私には、全くもって分かりません、他人の気持ちなんて」

「俺だって知らないよ。そうなんじゃないかって思うだけで。だって、自分の事すら分かんないんだから」


アリアは情けなく表情を歪め、ポケットから煙草を取り出した。


「あ、でもそれ言うならさ、人間じゃなくて、神様だったりしてな」


ぎくりとしてフウガは顔を上げた。「あ、無かった」と、空の煙草の箱を不満気に見るアリアに、フウガは靄のかかる胸の内を鎮め、その箱を横から取り上げた。


「…嫌ですよ、私は。ヤニまみれの面倒臭がりな神様なんて」


そう冷静を装って言ってみせれば、アリアは可笑しそうに笑った。


その顔を見て、フウガはようやく気づく。この妙な天使と、もう少し同じ時を過ごしていたいのだと。

任務はいつかは終わる。終わった後、アリアがどうなるのか分からない。下界で仕事をするようになるかもしれないと、ヤエサカは言っていたが、その時、アリアがアリアのままでいられるのかは分からない。悪魔と対峙した時の力を思えば、それが天界が隠したいものとするなら、何か対策が打たれるかもしれない。


フウガは、歩き出すアリアの背中に目を向けた。


ただこなすだけの仕事の向こうに、命の、誰かの人生があると、アリアに気づかされた。ただすべき事としか捉えていなかった仕事に心が生まれれば、見える世界も変わってくる。

世界の循環の為である事は変わらなくても、そこには、懸命に生きた命があって。一人一人が、この世界を守っているように感じられて。何かを大切にしたいと思う気持ちが、今は少し分かる気がする。



フウガは、アリアの後を追いかける。その先で、神様がもう一度空を見上げ、微笑んだ。


清々しいほどの青空に、どこから現れたのか、季節外れの桜の花びらがひらりと風に乗り、神様の手の平を掠めていった。



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