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「あの店は、八重やえさんの娘さん夫婦がやっているんですよ」


狸もどきの言葉に、アリアは店が閉まっていた理由に納得した。


「あー、だからシャッター降りてたのか。八重の事があったからだろ?じゃあ神様が見回りのルートに入れてたのは、八重の家族を見守ってたのか」

「それもあると思いますが、あの店には、桜の木があるんですよ」


狸もどきは、思い出に語り掛けるように言う。優しいその声と眼差しに、アリアの頭には朽ちたという約束の桜が浮かび、またもや困惑した。


「え?でも、桜は折れたんだろ?嵐の日に咲いて、その翌日には折れた姿に戻ったって」

「はい。その折れた桜の足元に、前日まではなかった桜の苗木があったんです。

神様が桜を蘇らせた時、その力が溢れ落ちて、偶然的に新しい生命を生み出してしまったのだろうと、神様はそう言っていましたが、あれはきっと、八重さんへの贈り物だと思います」


狸もどきは、柔らかに瞳を細め、少しだけ寂しそうに笑った。



あの嵐の翌朝、薄ら雪の積もる中、折れた桜の木の傍らに、ある筈のない桜の苗木を見つけた時、八重も同じように思ったという。


この桜が、神様にとってどんな思いが込められているのか、八重にはもう確かめようも無いけれど。失った約束の代わりに桜の木を残してくれたこと、神様も共に過ごした日々を大事に思ってくれているのだろうか、もしかしたら、これが神様からの答えだと思って良いのだろうか。


同じ気持ちでも選ぶことが出来なかった、あの日々を、記憶の底に留め置いても良いのだろうか、許してくれるのだろうか。


桜を見つけた八重は、涙が堪えきれなくて。零した涙が、真っ直ぐと伸びた苗木に落ちて、キラキラと細い木を伝っていく。朝日に照らされた八重の横顔がキレイで、傍らにいた狸もどきは、胸の奥がぎゅっと痛んで苦しかったという。それでも涙を拭って、八重の傍らでその背中を支えた、神様の代わりにはなれないが、せめて、その心が安らぐように。

神様だって、八重の涙は辛いだろうから。


八重はそれからも、その桜を大事に育てていた。桜と言っても、鉢で育てられるサイズだ。何十年となるが、変わらずに毎年花を咲かせてくれている。悲しいことがあった時、嬉しいこれがあった時、何でもない時も、語りかければその花が、枝葉が寄り添ってくれているようで、応えてくれているようで。だから余計に、神様が見守ってくれているような気がして。

家がなくなって、町が変わっても、この花だけは、いつまでも共にいてくれて。




「八重さんを、ずっと支えてくれていたようですよ」


狸もどきは八重を思い出してか、赤い羽織りの裾で涙を拭った。


神様は、その桜にどんな思いを込めたのだろう。

伝えられなかった八重への想い。駄目と分かっていても愛情は消えない、彼女を思っているからこそ身を引いて、彼女の幸せを願うからこそ、八重の傍にはいられないと思った。

だから、傍にいられない神様に代わって、桜にせめてもの思いを託したのだろうかと、アリアはぼんやり想像した。

直接声は届けられなくても、触れられなくても、寄り添う事は出来るかもしれない。その背中を支える事が、出来るかもしれない。そんな思いが込められていたりするのだろうか。


「桜の人か…」



「君達か、人の日誌を読み漁っていたのは」



ぼんやりとアリアが呟くと、背後からゆったりとした子供の声が聞こえた。その声にフウガが驚いて振り返れば、いつの間に側に来ていたのか、神様が立っていた。フウガは慌てて一歩下がり、頭を下げた。


「申し訳ありません、神様を探す為とはいえ、勝手に日誌を広げてしまい…」


頭を下げながら、フウガは戸惑いを感じていた。何故だろうか、フウガの腕の中にいる狸もどきの体に緊張が走るのが感じられた。同時に、神様の足元から、じわりじわりと這い出る見えない何かが、フウガの足に絡みついてこようかと気配がする。顔を上げたら、その何かに喰われてしまいそうな、抗えない恐怖に、今、刃の切っ先が首に当てられているような。


「…あ、」


突然襲いかかる謎の恐怖に、フウガが何も出来ないでいると、狸もどきが思わずといった様子で声を漏らした。それが合図のように、地面を映すフウガの視界に白い翼が見えた。アリアの翼だ。呆然と顔を上げると、アリアがフウガを庇うように立っていた。


「…大丈夫か?」


アリアの言葉は、フウガ達ではなく前に向いている。神様に声をかけたのだと気付き、フウガはアリアの背中越しに神様の姿を探した。

神様は頭を抱え、地面に踞っていた。


「…すまない、昨夜、無理に力を使ったからか、コントロールが利かないんだ。無駄に使ったら、勿体ないっていうのにな」


神様は苦笑い、それから深呼吸をして顔を上げた。

「君は…」と、神様はアリアの顔を見て僅か目を見開き、それから申し訳なさそうに表情を歪めた。


「君は、すっかり私の力に馴染んでしまったようだね」

「…え?」


アリアはきょとんとして、自身の体を見下ろしているが、フウガが見ても何か変わった所は見当たらない。そうしている内に、神様も落ち着きを取り戻したのか、「もう大丈夫だ、ありがとう」と言って、ゆっくりと立ち上がった。


「驚かせてすまない。怒ったわけではないから安心してくれ。君達には感謝しかないんだ。日誌の箱も、綺麗に整理してくれたみたいだしね」


神様はそう力なく眉を下げた。今の神様からは、先程の恐怖はまるで感じなかった。それどころか、子供の姿ながら、その物言いや雰囲気からは、風格のようなものを感じられる。

フウガはその姿に胸が震え、自然と頭を低くした。

昨夜も神様と会っているが、その時の不安定な威圧感とは明らかに違うのが分かる。纏うものが変わっている、そう思うのも、神様の心が穏やかである証かもしれない。

時に、コントロールの利かない力に揺さぶられるようだが、それがなければ、神様はこのように穏やかなのだろう。余裕が懐の深さを引き出して、この腕が、この町を守っているのだなと実感させられるような。

確かに恐怖はないのだけれど、畏れ多いというか、容易に触れてはいけない雰囲気には、静かに圧倒される。

そんなフウガとは対照的に、狸もどきは構わず神様に飛びついた。


「わ、」

「ダメですよ、勝手にいなくなっては!神使さん達がまた悲しんでしまいますよ!」


狸もどきにとっては、この存在感を示す神様こそ、慣れ親しんだ神様の姿なのかもしれない。安心した様子で、平気で神様に注意をして、それに対して神様は、申し訳ないとしょんぼり肩を落としている。


端から見れば、狸に子供が怒られている妙な図だ。その様子を見て、アリアもふわふわと笑っている。アリアはいつもと変わらない姿だが、フウガは甦るアリアの正体への疑問に、落ち着かない胸を手で押さえた。


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