28


「こんな時間に、こんな所で何をしているんだ?」


そう声に出して、随分、上から目線の物言いになってしまった事に、神様は後悔した。八重やえは、突然目の前に現れた少年に驚いているようだった。

そして、妙な事を言った。


「あなたは、人間…?」

「は…?」


その神妙な一言に、神様は思わず素っ頓狂な声を出した。今の神様は、どこからどう見ても人間だ、まさか正体が見抜かれたのか、こんな小娘にと、戸惑うばかり。そんな神様の様子を見て、八重の方は、やってしまった、といった具合に口元を軽く押さえ、それから申し訳なさそうに境内の中を指差した。


「…あの狸ちゃん、見えてますか?」


そう尋ねられ、神様も境内に視線を向けた。そこには、赤い羽織りを肩に掛けた狸もどきが、草むらの中に頭を突っ込んでいるところだった。バッタでも見つけたのだろうか、狸もどきはこんな風に、よく境内に来ては遊んでいる。神様や神使ともお喋りをしたり、神様達も狸もどきと一緒に遊んだりもしている。

神様は、もこもこのお尻ともこもこの二本の尻尾を見て、それからもう一度境内に目を向ける。あの狸もどきの他に、狸と呼べそうな動物は見当たらなかった。


「あいつが見えているのか?」


あれは妖で、人間には見えない筈だ。半信半疑で尋ねてしまえば、八重は再び驚いた顔をした。


「やっぱり!あなた、人間じゃないよね?雰囲気があの子に似てるもの!」


似てる…私があれと?


神様は思わず首を傾げたが、八重が言いたいのは、姿形が似ていると言いたい訳ではないだろう。八重はぐいと身を乗り出し、真剣な面持ちで呟いた。


「…私、見えてはいけないものが見えるんです。あなた、妖怪なんでしょ?」


深刻な表情に、神様はそういう事かと、ほっとして肩から力を抜いた。

妖が見える人間は珍しいが、大昔からこの世を見てきた神様にとっては、懐かしい感覚で、少しばかり嬉しさを感じていた。


大昔は、この世界は妖と人間の境界が曖昧で、神様も人間との交流を楽しんでいた。時代が進むにつれて妖が見える人々は姿を消してしまい、それに対しての寂しさはあったが、それも時代が変わるという事だと、前向きに受け止めていた。なので、八重の見える体質は、神様にとってはとても貴重なものだった。

神様がほっとしたのは、自分が神であるとバレた訳ではないからだ。気配はしっかりと隠してある、まったくヒヤヒヤさせられた。


「…だが、そんじょそこらの妖と一緒にして貰っては困る。私は、この町を守る使命があるからな」

「そうなの?」

「お前の事も知っている、最近この町に越してきた、八重だろう」

「え、何で知ってるの?」

「この町を守る為だ、お前も私が守るよ」

「…はあ…」


この顔は信用していないなと、神様は面白くなくて、ならばと胸を張った。


「知っているのはそれだけではないぞ。毎朝、この神社に来ているだろう。そしていつも浮かない顔をしている。それは何故だ?皆が騒いでるあれか?」

「…それも知ってるんだ」


勿論だと、再び神様が胸を張ってふんぞり返れば、八重は困ったように苦笑った。


「…前の町では、この体質だけだったの。気味悪がられて、それでも頑張って隠して、ようやくこの体質とも上手く付き合えるかなと思ったんだけど…」


八重は顔を伏せ、それからぽつぽつと、抱えているものについて話をしてくれた。



八重が進学早々、学校に馴染めなかったのは、越してきた家が、立派な桜の木のある、この町では色んな意味で有名な家だったからだ。


元の家の主人、芳井よしいという男は相当な遊び人だったらしく、妻を亡くしてからはその財力をちらつかせ、愛人を何人も囲っていたという。

八重の父親は早くに亡くなった為、母親は女手一つで八重を育てていた。夜の町で芳井と出会った八重の母は、愛人ではなく、仕事を紹介して貰った間柄で、男女の関係は一切なかった。八重にとっての芳井は、勉強を教えてくれる洒落たおじいさんで、いつもあんこのたっぷり乗ったお団子をご馳走してくれる優しい人だ。

芳井が八重達母子に何を見たのかは分からないが、その頃には、愛人達との縁はすっかり切れていたようで、病に倒れた芳井を看取ったのも、八重達だった。そして、彼が最期に残した頼み事が、桜の家の管理だった。

芳井が妻と共に過ごしていた家、妻が大好きだった、花に囲まれた自慢の庭園。妻が亡くなってからは、愛人達にも秘密にしていた大切な家。


あの家には、老いた桜の木がある、それが枯れるまで面倒を見て欲しい。

桜が枯れたら、あなたの手で葬ってあげてほしい。家は売ってしまっても構わないから。


そう彼は八重達に思いを託し、天へ旅立ったという。

八重達は芳井の願いを叶えるべく、この町にやって来た。だが、町の人達には、芳井の最後の愛人が本妻との家まで奪いに来た、そう噂され、気づけば噂だけが先行し、八重も母親も、なかなか町に馴染めずにいるという。


八重が学校に行けない理由を聞いた神様は、春の青空に顔を上げた。


「それなら、お茶会をするのはどうだろう」

「…お茶会?」


神様の提案に、八重は訝しんで眉を寄せた。


「芳井の家は桜だけじゃない、四季折々の花が楽しめる立派な庭園があるだろう?芳井の妻が存命だった頃は、よく家を開放してたんだ。町の人々を家に招いて、お茶会を開いていた。まあ、そんな大それたものではない、縁側でお茶をするようなものだったが、それでも近所の人々の憩いの場だったんだ。きっと芳井の主人も、その賑やかな庭園がもう一度見たかったのではないだろうか。あの男は、妻を心から愛していたからな。

今でも塀越しに桜を覗く者も多い、こちらから歩み寄れば何か変わるかもしれないぞ。私も何か力になろう、人間に化けて、八重の家の評判をそれとなく吹き込んでもいいな」


神使にはダメだと言われそうだが、と、内心で溢しつつも、見るからに楽しそうな神様の様子に、眉を寄せていた八重も、気づけばそっと肩から力を抜いていた。そして、手を弄びながらも、ぽつりと呟いた。


「…私も、もう一度頑張ってみようかな。あの桜も寂しいだろうし…芳井のおじいちゃんも、奥さんも」

「そうだ、その意気だ」


これも神様の力なのか、それとも単純に、神様の楽しそうな様子に当てられたのかもしれない。

翌日には…と、そこまで簡単にはいかなかったが、八重は母親に協力を求め、芳井邸のお茶会を復活させる事にした。母は職場の人とは打ち解けていたので、大いに協力してくれたようだ。久し振りに開放された芳井邸の庭には、町の人々が少しずつ足を運んでくれた。芳井邸にあるのは、神様が言ったように桜だけではない、芳井が亡き妻の為に手入れを怠らなかった庭園は、その意思を受け継ぎたいとした八重達の思いも、伝えてくれたのかもしれない。


お茶会作戦が思いの外上手くいったのには、神様の囁き作戦の効果も大きかったようだ。勝手に様々な人間に化けては、八重の家の事を至るところで触れ回っていたので、神使達は何かあったらどうするのだと、心配でしょうがなかったという。神様にとっては、そんなへまする筈ないのに心配性だな、と、あまり危機感はないようだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る