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それからは、八重やえが学校を休むことはなくなった。毎朝、八重が神社に来ることは無くなったが、今度は学校帰りに顔を見せてくれるようになった。休日も通ってくれているし、時には狸もどきを連れて、神様が八重の家を訪れることもあった。神様と八重の交流が途絶えることはなく、その距離は徐々に近いものとなっていった。


先にどちらの気持ちに変化が訪れたのかは分からないが、神様の気持ちは自然と八重に向かっていった。

年齢を重ねるごとに、八重はどんどん美しくなる。学校のこと、友達のこと、母親のこと、今流行っているもの、夏祭りのこと。八重との話は尽きることなく、ころころと変わるその表情や柔らかな声色に、共に過ごす時間はいつも穏やかに流れていく。胸の内が優しい気持ちで満たされて、擽ったいような、懐かしいような、ぎゅっと抱きしめたくなるような。

こんな気持ちは、いつぶりだろうか。


気づけば思いが溢れてしまいそうで、八重の事を日誌に書く事が怖くなった。お茶会を成功させた事ですら、日誌から消してしまった。この時はまだ恋に落ちていなくても、今となっては、八重との日々、その全てが神様にとって特別なものだったからだ。


まさか、神である自分が人間に恋をするなんて。

それを誰かに知られてしまうのが、怖かった。






あやかし様は、お祭りに行くの?」


夏のある日。八重は十八才になっていた。いつものように、八重と神様は狸もどきを交えて神社で過ごしていた。熱い太陽の日差しを避け、木陰となっている境内の階段に腰かければ、時折吹く風も涼しく感じられた。

そんな中、張り切って声を上げる蝉の声に掻き消されそうになりながら、八重はどこか緊張した面持ちで神様に尋ねた。


妖様と呼ばれるようになったのは、神様が自らを名乗る前に、間にいた狸もどきが、八重の前で神様を何と呼んで良いのか迷った末に、ぽろっと出てしまったものだ。八重としては、町を守る妖だからそう呼ばれているのだろうと納得したようで、それ以来、神様は、八重から妖様と呼ばれていた。


「勿論、行くよ。毎年参加している、私の為の祭りだからね」


え、と、きょとんとする八重に、足元で話を聞いていた狸もどきは、はっとして顔を上げた。

いくら町を守る妖だとしても、夏祭りは神様への祈願や感謝の思いを伝えるものだ。

この頃、狸もどきは神使に頼まれ、神様のお目付け役となっていた。神様は見張っていても勝手にどこかへ行ってしまうので、八重を前にして余計な事を言わないように、また、何かあればフォローしてほしいとお願いされていたのだ。そして、今がまさにそのタイミングだった。


「妖様は、この町を守るのが心情ですから!祭りの時ほど血が騒ぐのです!何か問題が起きないかパトロールをしなくてはなりませんし、だから自分の祭りだと、つい言っちゃったんですよね!」


そう熱量高く同意を向けられ、神様は慌てて頷いた。

こうして、素直に狸もどきの訂正に応じるのは、神様の八重との交流が天界にも知れており、これ以上、特別な感情を持ったまま八重に近づくのは勿論のこと、八重にもし神様だとバレようものなら、八重の死期を早め、即座に転生を行うと言い渡されていたからだ。


「じゃあ、一緒に行きませんか?」

「え、」


だが、そんなこと八重は知らない。これは純粋なお誘いだ、更に声を小さくして、照れ臭そうにはにかむ様子が愛おしくて、だからこそ神様は顔を伏せた。


「あなたは、友達と行きなさい」

「…妖様だって、…友達だよ」

「人間の友達だ、それに私はまだ子供で、」

「嘘!あなたが大人の姿でいるところ、見たもの。この神社で、あなたはもっと成長してて、背だってぐんと大きくて、」

「私は人間ではないのだ!」


突き放すような物言いに八重は目を見開き、それから寂しそうに目を伏せた。


「そんなこと分かってる、分かった上で言ってるの。並んで歩いてなんて言わない、そのパトロールのついでで、ほんの少しで良いから、側で…、ううん、離れてていいから、ただ一緒に歩いてるって、その事実だけでいいの。それでもダメかな…」


最後の言葉は、息に消え入りそうだった。

もしかして、八重も同じ気持ちでいてくれているのだろうか。そう思えば、神様の胸は途端に熱くなった。だが、頷くことは出来ない、もしそれで八重を失うことになってしまったら、そう考えただけでも辛い。それが、ましてや自分が好意を抱いたからなんて。そんな事になれば、耐えられそうにない。


神様からの得られない返答に、八重の手がぎゅっとスカートの裾を掴むのを見て、狸もどきは耐えきれないとばかりに勢い良く挙手をした。


「はい!はい!申し上げます!ならば、妖様は僕と行きましょう!八重さんとは、たまたま同じ日、同じ時間に行き会っただけ。我々は妖なので姿は見えません、それに、祭りは町の人間がわんさか訪れます!それも引っ切り無しに!町の外からもたっくさん!妖様と八重さんが同じ空間にいたって、偶然だと胸を張っていればよいではありませんか!」


狸もどきの必死な申し出に、八重も期待するように瞳を輝かせる。二人の熱い眼差しを前に、神様が折れないでいられる筈がなかった。もし叶うのなら、神様だって八重と一緒にいたい、隣で歩けなくても、目を合わせられなくても、特別な時間を同じ時、同じ場所で過ごせるなら、それだけで幸せだ。

神様が迷いながらもその提案に頷けば、二人は華奢な手と丸い前足でハイタッチをした。八重の嬉しそうな笑顔を見れば、自然と神様の頬も緩んでいく。八重と過ごす時間を重ねる度、八重の存在がどんどん大きく胸を占めていく。


きっともう、八重以上に誰かを愛することなんて出来ないんだろうと。

いつかは、彼女の側から離れなくてはいけないのに。


八重のいない日々が必ずやって来る、自分はそんな日々を、果たして受け入れられるだろうか。


熱い太陽に負けじとわんわんと蝉が鳴く、耳を塞がれたこの場所は外界から閉ざされた世界のようで、いっそこのまま、八重をこの世界に閉じ込めてはくれないだろうかと、神様は思った。思ってしまってから、神らしからぬその願いに気づき、神様は八重から目を逸らした。


「妖様?」


どうしたのと、八重が少し不安そうに顔を覗き込んでくる。その愛おしい瞳に、神様は「なんでもないよ」と笑って、その頭を撫でた。小さな手の平が優しく髪に触れ、八重はポッと頬を赤く染めるので、神様は思わずその表情に見惚れてしまった。照れくさそうな表情に、この手を受け入れてくれるように寄り添う八重に、胸がきゅっとして、髪に触れた手を滑らせその頬に触れようとして手が止まる。視界に入った自分の幼い手を見て、神様ははっと我に返ったように、立ち上がった。


「そうだ!今日はアイスキャンディー屋が来る日じゃなかったか?狸、お前も食べたがっていただろう!八重、待っていろ!買ってきてやるからな!」


神様は逃げるように神社を駆け出し、残された八重は返事もなく、熱くなった顔を両手で覆い俯いていた。


「…僕、アイスキャンディー楽しみです」


狸もどきはそんな八重を見上げ、擽ったそうに微笑んだ。


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