27



空に、白い帯がひらりと舞う。神様は幼い腕を必死に伸ばし、懸命に空を駆けていく。


指の先に見えた、夜に紛れそうな死神の車。その車窓に映る横顔は、その瞳に見つめられていた頃とは随分変わってしまった。変わることのない自分とは、住む世界が違うのは分かってる、分かって、彼女の前から消えたのだ。


八重やえ…!」


それでも声が届いてしまって、八重が窓越しにこちらを見下ろして。その瞳に映ってしまえば、この瞳に映してしまえば、視線が重なってしまえば。

こんなにも胸が苦しい。幾つになっても、どんなにその姿が変わろうとも、あなたは変わらないんだと、神様は溢れる思いに唇を噛みしめる。



思い起こすのは、桜の散る春の事。


八重がまだ学生だった頃、神社がまだ鞍木地くらきじ町の人々の、生活の一部であった頃。


神様は、八重に恋をした。




***




神様が八重と出会ったのは、彼女が神社の境内でぼんやりと佇んでいた時の事。


お下げ髪を結った制服姿で、学校が始まっているにも関わらず、八重は毎朝のように神社に訪れては、ぼんやりと階段に座り込んでいた。人が来れば隠れるのだが、それでも午前の内は神社に居ることが多かった。

神様としては、別に神社に居るのは構わないのだが、こう毎日となれば、さすがに心配になってくる。

せめて手を合わせてくれたら、その心の内を聞くことが出来るのだが、八重が神様に頼る様子もない。神社に来ているのにだ、それはそれで何だか面白くない。


「ダメですよ、また余計な首を突っ込んでは」

「あの娘なりの理由があるのかもしれませんよ」


社から境内の様子をこっそり覗いていれば、双子のような神使が、神様の両脇から顔を出し、じとっとした目で見上げてきた。この頃の神様は今よりも力があったので、子供の姿ではなく、青年の姿で日々を過ごしていた。緑色の長い髪はそのままに、同じ色の瞳は丸みが少し取れ精悍な印象だ。着流しの色も同じだが、白い帯がひらひらと靡くことはない。

神様は、神使の忠告に苦い顔を浮かべた。最近は、仕事と称して町をふらついてばかりいるので、ちゃんと仕事をしてと、神使に小言を言われてばかりいるのだった。


「これも仕事の内だ、悩める人間を導くのも神の仕事だ、そうだろう?」

「そんな事言って、また仕事をサボる気でしょ!」

「天界に提出する報告書が真っ白ですよ!」

「日誌よりもこちらに力を注いでください!」

「悪魔の動きがまた、活発になっているんですよ!」


そう両脇から交互に責められ、神様はますます苦い顔を強めて言葉を詰まらせた。

神使の言うことも分かる、だが、どうにも気になるのだ。


「ちょっと考えてもみてくれ、毎朝のように神社に来ては、時間を潰すだけ潰して帰っていく。せめて手を合わせてくれたら、その心の内を知ることができるのに、それもない、気になるではないか」

「それは、彼女の噂が真実だからなのでは?」


神使の言葉に、神様は首を横に振った。


「人が外側から言っているだけの言葉を鵜呑みにしてどうする。他人が勝手に話してるだけで、それが真実とはならないだろ。人間は複雑だ、どんな風に見られようとも、本当のところは本人にしか分からないものだろ?私は、本人の口から聞きたいのだ」


それは、神様としては素晴らしい人間への心がけかも知れないが、神使達にとっては、目の前の仕事を優先して欲しいのが本音だ。双子のような神使は神様の両足にそれぞれしがみつくと、まだ何やら抵抗を見せている神様をそのままに、力ずくで神様を部屋に押し込むのだった。



神様も、八重の噂話は耳に入っていた。これでもこの町の神様だ。

それに、当時は今ほど町の人口も多くなく、八重は町の人々の噂の的となっていたので、神様の耳にもその噂話は入りやすかった。

とは言え噂は噂だ。本人がどういった事情を抱えているのか、何に思い悩んでいるのかは、本人にしか分からないし、噂の信憑性は、いつの時代も不確かだ。


神様は、朝から学校にも行かず拝殿前の階段で座り込む八重に、どうしたら悩みを打ち明けて貰えるか、白紙の報告書を前に頭を悩ませるばかりだった。



だが、悩んでいても時間は過ぎるばかり。これなら直接聞いてしまった方が早いのではと、神様は八重と接触することにした。



明くる日、神様はこっそりと部屋を抜け出し、神使達の様子を盗み見た。

神使達は社の裏手で、妖を前にお説教中だ。

何でも、人間が運転する自転車に勝手に乗り込み、タクシー代わりにしているという。人間からしてみれば、運転中に見えない重しが、突然、横から上からとのし掛かるのだ、驚いた拍子にハンドルを取られ、転倒してしまう事故が相次いでいるという。今月だけで、十二件だ。中には打ち所悪く、足や腕を骨折してしまった人もいる。これは厳重に注意をしなくてはいけない。姿が見えない妖では、人間に謝罪したくても難しい。


白熱する双子の説教タイムに、神様はこっそりと部屋を抜け出し、今日も朝から神社に来ている八重の元へ向かった。勿論、神様の姿は人間には見えないので、思いきって人間の子供に化けてみることにした。その姿は、現在の神様と同じ姿で、子供に化けたのは、子供相手なら彼女も警戒しないだろう、そう考えての事だった。


神様の気配をしっかりと消して、神様はいざ、八重の元に向かった。


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