22


それからアリアは、無い知恵を絞り頭を捻り歩いているが、良い案が浮かぶ事はなく、目的地に着いてしまった。


「ここ?」

「はい!こちらです!」


アリアが狸もどきに連れられてやって来たのは、アリアも午前中に来た三丁目の総合病院だった。思わずアリアは躊躇いを見せたが、狸もどきがそれに気づく様子もなく、或いは気づかない振りをして、急ぎ足で病院へと向かっていく。アリアもそれに続き、病院の入り口に向かおうとしたが、狸もどきが向かったのは入り口ではなく、塀と建物の間にある細道だった。


「え、そこ?」

「裏から行けばすぐですから!」


人が通れない程ではないが、一般の人間が勝手に通って良いものか。アリアはキョロキョロと辺りを見回してから、狸もどきに続いた。辺りに人はいるが、特別アリアを注視している人間はいないようだ。

細い建物脇の道を進むと、やがて開けた場所に出た。病院の裏庭だろうか、敷地の境界に沿うように立派な木が等間隔に植えられ、その足元には丸く刈られた植木が連なっている。小さな花の咲く花壇もあり、今は誰も居ないが、ベンチが所々に設置されていた。


「二階にある病室に彼女が居ます。窓辺のベッドなので、あの木の上から見る事が出来ます」


狸もどきは、手前から三本目の木を指さした。建物からは距離があるが、大きく立派な木だ、登れば病室が覗けそうだし、アリアがよじ登っても折れる心配はまず無さそうだ。

アリアはそれに頷き、周囲を確認してからパチと指を鳴らした。狸もどきは妖だから人に姿が見られる事はない、見えたとしても、狸とか少し大きな猫くらいに誤魔化せれば大した問題ではないだろう。だが、さすがに人間の姿のアリアが木によじ登れば、警備員が飛んで来て追い出されかねない。


白い翼が背中に現れ、いつものように金の輪を帽子のように被ると、アリアは狸もどきの後を追うように翼をはためかせた。狸もどきは、軽々と木に登っていく。彼の言った通り、木の上なら病室の様子が覗けた。病室は大部屋のようだが、入院患者は一人のようで、窓辺のベッドには穏やかに眠る女性がいた。一つに結った白い髪を胸元に乗せ、顔には皺が目立つが、優しそうな表情を浮かべた高齢の女性だ。

彼女のベッドの傍らには、四、五十代くらいの男女の姿がある。女性はベッドの傍らにある丸椅子に腰掛け、眠る彼女の手を握って顔を俯けており、男性は、俯いて震える女性の背中を擦り寄り添っていた。彼らは眠るその彼女の子供、夫婦だろうか。二人の様子からは、悲しみが、どれだけ彼女を思っているのかが伝わってくるようだ。


「…あの人が?」

「私の大事な人です」


「そう」と相槌を打ちながら、アリアの頭に浮かんだのは、眠る彼女の命の期限だ。死期リストに載って数日が経っている、このまま変更がなければ、間もなく死神がやって来るだろう。


「…恩人で、希望です。だから失いたくないのです、お願いします、彼女に命を与えて下さい」


必死に頭を下げる狸もどきのその様子に、アリアは戸惑いを見せた。狸もどきの体から滲み出る、隠しきれないその正体の濃度が、より濃くなったように感じられた。彼女の命の期限を思えば、焦る気持ちも分かる、それほど彼女が大事で、必死になっているのだろうという事もよく分かる。

それが理解出来るから、アリアは怖くなる。

目の前の狸の皮を被った見えない存在に、アリアは改めて緊張を覚え、自然と拳を握った。

さっさとひれ伏してしまいたくなる、でも、してはいけない。

アリアは自分を奮い起こし、平静を装ってポケットから煙草を取り出すと、青い巻き紙の煙草を咥え、ジッポで火をつける。すぐに煙が立ち昇り、アリアは吸い込んだ煙を吐き出した。

そして、心の中で呟く、間違うなと。


「…神様が、そんな事して、本当に良いの?」


「え」と、狸もどきは目を丸くして顔を上げた。アリアは変わらぬ態度を装い、咥えた煙草を吹かしている。微かに青い煌めきが煙に乗って、狸もどきの顔をうっすらと覆った。


「…あんた、失踪中の神様だろ?気配を消してるみたいだけど、さすがに一緒に居れば俺でも分かるよ。俺、これでも天使だし。だから悪いけど、俺は力になれない。そもそも、神様がそんな事していいのか知らないけど」


妖に化けていたのは、神様の気配を感じさせない為だろう。初対面の時に妙な気配だと思ったのは、その気配を隠そうとする力と隠しきれない存在が混ざっていたからだ。

いくらアリアといえど、天使の前で隙を見せるなんて、神様も余程焦っていたのか。それとも、ちゃんと隠しきれない、化けきれない理由があるのか。


理由がどうあれ、それでも相手は神様だ。


震えそうな翼を気取られないように、アリアは木の上で胡座を掻き、病室の様子を見つめる。内心では、どうしようと冷や汗が止まらなかった。

天使が神様に敵う筈もない、いくらアリアに与える力があれど、これは神様に対抗するものではない。神様が本気を出せば、アリアなんて簡単に抑えつけられる、その力を使わせる事も造作無い事だ。それを最初からやってこないのには、何か理由があるのだろう。なら、アリアはせめて心を強く持たなくては。

神様の力に呑み込まれてしまわないように、神様の考えを逸らせるように。


だけど、そんな事出来るのだろうか。アリアは平静を装おうだけで精一杯なのに。

そのまま神様の反応も見れずに病室を見つめていれば、その病室に、高校の制服を着た少年が入って来た。鞄には桜色の御守りが見える、神社に来ていた少年だ。彼はベッド脇の夫婦の息子だろうか、会話を交わしながらベッドで眠るその人を見つめている。見えた横顔は、今にも泣きそうだった。


「…何故だ」


静かに発せられた地を這うような声に、アリアはびくりと肩を震わせ、狸もどきに視線を向けた。

彼は病室の様子には気にも留めず、アリアをじっと見つめている。アリアの言葉は、その心を逆撫でたのかもしれない。狸もどきは柔らかな雰囲気を徐々に固く尖らせ、愛らしかったその目を、冷たく眇た。



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