20



錦酒屋のあった更地から、徒歩で二十分程。はからずも、少年の残した謎の答えに行き着いた気がした。


フウガが足を止めたのは、木島きじまと表札のある家だ。次の人物をあたろうと、頭を悩ませながら町を歩いていたところ、たまたまその家を見つけたのだ。


この家が、先程の少年が言っていた木島だろうか。もしそうなら、日誌の登場人物達とも関わりがあるのだろうか。少々強引かもしれないが、近くに友達の家があってもおかしくはないし、これが当たりなら神様に一歩近づけるかもしれない。


そう思い、フウガが手帳の中の情報と照らし合わせようとしたところ、この家に暮らす木島八重やえという女性が、死期リストに名前が載って数日が経っている事を知った。このままリストに変更がなければ、今日にでもフウガの同僚が彼女を迎えに来るだろう。少年が言っていたのがこの家の事なら、大変だと言っていたのも分かる。八重の容態が危ないと知っていたのだろう。


「八重は確か…」


神様の日誌にも出てきた名前だ。だが、日誌にあった八重の家とは、家のあった場所が真逆だ、地域内で引っ越したのだろうか。


だが、もしこの家の八重が日誌の八重だとしても、桜との関係が分からない。

日誌の中の八重は、学校に馴染めない少女として登場しただけだ。その悩みに寄り添う様子は書かれていたが、その悩みがどうなったかは分からない。八重の登場は短かった。そこから数ヶ月が経った後、日誌は途切れ、数年先の日付から再開されていた。


八重と、桜と、神様。少年が神社の不思議と聞いてすぐに思い至ったのは、この辺りでは有名な話だからだろうか、それとも単純に、知人の家の話だから知っていただけなのか。それに、桜が咲いた話とは。枯れた桜を咲かすなんて、それこそ神様の力以外に考えられない。

神様は何故、枯れた桜を咲かせたのだろか。そんな事をしたら騒ぎになるのに。日誌には、そんな事書いていなかった筈、それも空白の数年の間に起きた出来事なのだろうか。


「…そもそも、神様は何を考えているのか分からないからな…」


それは、今探している神様がどうというのではない、神様全般に対してフウガが思う事だ。


名前に神とついているが、死神は神ではないので、フウガには神様の気持ちが良く分からない。

死神が神と名乗るのは、人間と直接関わる上で威厳を持たなくてはならないからだと、だから神の名前がついたんだとフウガは教わった。名前などなくとも、人間の体から魂を抜いて天界へ導く訳だから、威厳を感じられるどころか、人間達には恐れられ睨まれるばかりだが。


とにかく、フウガは神様というものが理解出来なかった。悪魔を何故生み出したのか、神様の部屋は何故ああも変化を繰り返すのか、自分があの部屋で過ごすとしたら、きっと落ち着いてはいられないだろう。アリアの力だってそうだ、何故アリアだけに与える力を授けたのか。

それを考えたら、枯れた木の花を咲かせるくらいは、大した事ではないように思えてくる。


フウガは改めて木島の家を見上げた。

そこには神様どころか人の気配もない、八重の事を思えば、家族は病院にいるのかもしれない。病院に行ってみようか、そう思いもしたが、先程の少年の言葉が不意に頭を過った。


「……」


仕事を優先すべきだと思うが、少年が木島家を思う気持ちが、フウガを躊躇わせる。そんな自分の変化が、また心を落ち着かなくさせて、フウガは軽く頭を振った。

まだ、少年の言った木島と八重が関わりあるのか分からない、桜の人との関係もだ。フウガは、再び手帳に視線を落とした。


「桜の人か…」


八重という名前からも、桜が思い浮かぶが。彼女の名前が出ているのは僅かな間で、その後はぱたりと途絶えていた。だから、フウガも八重にはあまり期待せずにいたのだが。


「呼び方を統一して欲しいものですね…」


フウガはムッと眉を寄せた。今思い返してみれば、八重と入れ替わるように桜の人が登場していなかったか。空白の時間が長いので何とも言えないが。

だが、それも消えてしまったのだ。月日を重ねる度に、日誌の中からは人々の名前が消え、桜の人も消え、神様は日誌を書かなくなった。


神様がいなくなってしまったのは、人々から忘れられた事への寂しさや、はたまた恨みなのだろうか。


だが、それでも神様の役割がなくなった訳ではない、神様はそこにいるだけで悪魔の抑止力になる。町を守っているのだ、アリアのようにだらけて過ごせとは言わないが、いるだけで良いなら、のんびり出来て良いのではとフウガは思う。

フウガが神様の立場になったら、のんびりするというよりは、存在する、という仕事に向き合うだろう。


「…天界が混乱すると分かって、どうしてこんな事するのか理解出来ないな」


あの怠け者のアリアですら、身を削って働いているというのに。


「……」


そう考えると、自分は随分、楽な仕事をしているなとフウガは思う。

フウガには、いくら仕事をこなしても、身を削るという感覚が分からなかった。面白いくらいに仕事の件数がこなせても、感じるのは達成感でも誇らしさでもない、ただ仕事をこなしたという事実だけ。

アリアのように不安を感じた事もない。それは逆に言えば、自分は仕事にちゃんと向き合っていないのではないかと、フウガは思ってしまった。アリアの方が仕事に向き合う気持ちが大きいから、こんな風に気持ちに差が出るのではないか。

あの怠け者の天使が、巡る命を持つ人間を気遣い、神使を気遣って、力を尽くし倒れながら。


「…なんでしょうか、この気持ちは」


色々と考えていたら、役目を放棄する神様にも、段々と苛立ちを覚え始めていた。こんな気持ちになるのは、何百年と生きてきて初めての事だ。


「フウガ!」


考えを巡らせていると、突然、慌てた声に名前を呼ばれ、フウガははっとして顔を上げた。見ると、青年が息を切らしこちらに駆けてきていた。見た目は普通の人間だが、天界の者ならすぐに分かる、下界の支部にいる天使だ。


「どうしました?」

「さっき、あの神社の神使に聞いたんだけど、アリアがいなくなったって」

「いなくなった?何故です」

「分かんないよ、近くの管轄の天使も呼んで捜索をかけてる。早く見つけないと、もうすぐ夜がくるぞ」


焦る声に空を見れば、西日が焦らすように沈みかけていた。フウガはもどかしい思いで周囲を確認すると、パチと指を鳴らし、銀色の髪を空に流した。


「ま、待って…!」


そのまま空を駆けようとした所で、フウガは動きを止めた。新たな声に振り返り見ると、そこには、赤い羽織りを肩に掛けた狸もどきの姿があった。朝、駅で見かけた狸もどきだろうか。彼はフウガと視線が合うと、ピリリッと毛を逆立て怯えた表情を浮かべたが、それでも今度は逃げる事なくフウガへと駆け寄って来た。


「…なんです?急いでいるんですが」

「お願いします!神様を止めて下さい!あの方の願いなんです…!」


そう頭を下げた狸もどきに、フウガと傍らの天使は目を丸くして顔を見合せた。




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