19
***
「ここも駄目か…」
話は戻り、現在。フウガがアリアを簀巻きにして社を出てから数時間が経っていた。彼が居るのは住宅地の一角で、更地になったその場所を見て、肩を落とした所だ。
フウガが開いた黒い手帳には、簡単な名前と、ざっくりとだがその人に関わる情報が書かれている。それらは神様の日誌を見て、フウガが書き出した物だった。
社には、人間が目視出来るにも関わらず、無意識の内に無いものとして見てしまう部屋が幾つかある。フウガ達が寝泊まりしている部屋も、その内の一つだ。
フウガが立ち入った部屋には、膨大な数の日誌が、幾つもの藤の籠に入れて保管されていた。どれも、神様がつけていたものだ。日誌には、空白の期間が数年あったが、それを除けば、一昨年の春まで、ほぼ毎日書いていたようだった。
それを改めてみれば、今では寂れて人も近寄らないような神社が、五、六十年程前までは、賑やかな町の中心であった事が分かった。その頃の神様の文字を見ても、心なしか生き生きと感じられる。
この神社は、
神様の日誌には、桜の人以外にも、特定の人物が何度も登場している。
錦酒屋の次男坊と塚本米店の三男坊の喧嘩を止めるべきか悩み、翌日には仲良く川遊びをする二人を見てほっとしていたり。
学校裏の畑で採れた白菜を持ってきてくれる浦和古書店の爺は、孫娘の健康をずっと祈っていた事。
八重という少女は、毎日やって来ては、学校鞄を抱えて拝殿の階段に座り込んでいた。転校してきたばかりで馴染めないのだと、その話を寄り添って聞いてあげた事。
祭りの準備が始まると町中に活気が満ち、楽しくなって町をふらふらしては神使に怒られた事。
町の変化に戸惑いながらも、人々の無事を願い、新しく出来た駅、ビルやマンションの上から、人々の朝を見送っていた事。
熱心な願いに背中を押し、悲しい肩は抱きしめ、感謝にはその人の幸福を祈り、悩み事には一緒に頭を悩ませた。あの日誌からは、神様がこの町の人々に寄り添っていた事が伝わってくる。
その中で、フウガは注意深く桜の人とのやり取りを探していたのだが、日誌の中ではその人との出会いの話もなく、突然、桜の人を見守る様子が書かれていたので、フウガは再び眉間に皺を寄せる事となった。
日誌が書かれていない数年というのも、丁度、桜の人が登場する前だ。敢えて書いていないのか、何か書けない理由があったのか、それは桜の人と関係があるのだろうか。
確か、最後の日誌には、その人と実際に対面した事があるように書いてあったが、桜の人が登場してからは、そんな様子は書かれていなかった。
その人は毎日のように神社にやって来て、神様とのお喋りを楽しむように帰っていく。これは、一方的に神様に語りかけているだけだ。
学生時代を過ぎ仕事を始め、恋をして結婚をして。町を一度出たが、家族と共に再びこの町に戻って来たらしく、それからは、以前と同じように神社へ来ていたようだ。その姿を見守る様子からは、神様の愛情を感じる。風が浚う髪の行方にどきりとして、明るく弾む声の愛らしさに心を癒し、溜め息に胸を痛め、皺の増えたその手に触れてみたくてやめた事。その人が幸せである事を願う文章には、一日に一度、その顔を見れただけで幸せだと、喜びが感じられる。
神様が桜の人に特別な感情を抱いていれば、神様を探す手がかりがその人にあると思うのだが、桜の人は日誌に何度も登場するのに、どこの誰かという事も書かれていなかった。
錦酒屋の次男坊というように、誰かの名前と合わせて、赤いポストのある家とか、十字路の時計店、ミモザの愛らしい庭園など目印のように書いてあるのに、桜の人に関してはそれが一切ない。
特別だからこそ、敢えて書かなかったのだろうか。だとしたら迷惑なポリシーだと、フウガの眉間は皺を刻みっぱなしだ。
なので仕方なく、その他の、日誌に頻繁に出てくる人物を当たってみようと、その人物達の居どころを示す言葉を書き出し、こうして探し歩いているのだが、これもあまり成果はなかった。便利な死神の手帳を駆使し、過去と現在の鞍木地町の地図を映像に起こして照らし合わせ、酒屋だったり米屋だったりを探してみるが、この町は随分変わってしまったようだ。
目の前の更地は、錦酒屋があった場所だ。他にも、家があっても当時の人は引っ越していたり、当人が既に天国にいたりして、そこに神様の気配は感じられなかった。
神様がどんなに愛しく思っても、町も人も変わっていく。命が巡り世界が循環するなら、それは町も同じだ。変化が起きるのは当然で悪い事ではないが、少し寂しいものだなと、フウガはぼんやりと思った。
このまま立ち去ろうかとも思ったが、斜め向かいにある一軒家に人が立ち止まったのを見て、フウガは彼に声を掛けた。高校生の制服を着た少年だ、彼に錦酒屋の事を尋ねてみたが、酒屋は遠の昔に畳み、錦家は別の町に引っ越したという。
「酒屋なんて、俺の爺さんの代の話だけど…何かの調査っすか?」
「はい、私、“暴け!不思議現象倶楽部”という雑誌の記者でして、この町の不思議を探しているんです」
「不思議?酒屋に何かあるんですか?」
「いえ…神社を調べていたんです。森みたいな神社があるでしょう?当時の町の様子を文献で見て、過去と現在の違いを調べたら何か発見があるかと思いまして、それで」
訝しむ視線が突き刺さり、フウガは何も悟られまいと、にこりと微笑みを浮かべた。大抵のご婦人は、この笑顔で絆されてくれる事をフウガはこの二週間で学んだが、男子高校生にも効くかは微妙だ。
「ふぅん…本当に記者ですか?」
「はい」
「モデルかと思った」
そう言いながら、少年は難しい顔を止める事はない。完全に怪しまれているようだが、フウガはこの町では謎の雑誌記者として散々声を掛けているので、別の職業を名乗る訳にはいかない。そうでなくとも、フウガは目立つ。全身真っ黒なのに、紫頭のアリアよりも人目を引くようで、いつも若干困惑していた。
とにかく今は、踏み込まれた質問をされてボロが出ても困るので、早々に礼を言って立ち去るべきだと思い、フウガは礼を述べ踵を返そうとした。だが、「調べてるのってさ」と、少年が眉を顰めながら一歩詰めてきたので、フウガの足は再び地面に貼りついた。
「枯れた桜が咲いた話?
「桜…?神社と関係のある話ですか?」
桜と聞けば、どうしても桜の人とを結びつけてしまう。桜の人に関わる何かを知っているのかと、今度はフウガが前のめりになれば、少年は戸惑って瞳を揺らした。
「…なんだ、違うなら良いんだ。すみません」
「いえ…あの、」
「木島の家、今、大変なんです。取材なら他を当たった方が良いと思います」
少年は頭を下げると、逃げるように家に入ってしまった。
「…何の話だ、一体」
木島とは誰なのか。それが、桜の人の名前だったりするのだろうか。フウガは眉を顰め、再び手帳に視線を向けた。まさかインターホンを鳴らして少年に詰め寄る訳にもいくまい。気になりはしたが、とにかくピックアップした日誌の登場人物を当たる方が先だと、再び地図を睨みつけるのだった。
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