14



神使が回復したことで、僅かながらどんよりとしていた神社の空もやがて晴れ、昼食の準備だろう、ザクザクと野菜を切る音が蝉の声に混じり、静かな社に響いている。


社のとある部屋では、片割れの神使がフウガの言いつけを守り、正座をしてアリアの行動に目を光らせていた。アリアは居心地悪く、気を紛らわそうと障子戸を開ければ、縁側から少し熱を絡ませた風が入ってくる。暑さは感じるが、不快ではない。神社を呑み込まんとする鬱蒼と繁る緑も幾分生気を取り戻したようで、ざわざわと枝葉を揺らす音もどこか爽やかに聞こえる、熱を含んだ風から夏の暑さを和らげようとしてくれているようだった。


アリアとフウガは、神様が見つかるまでの間、この社で寝泊まりをしている。下界の支部にも寮はあるが、社にいた方が神使達と連携も取りやすく、すぐに動く事が出来るからだ。その為、アリアは奪われた煙草をフウガが留守の間にこっそり取り返し、部屋に隠していたりもする。だが、こう見張られていては取りにも行けない。アリアは小さく溜め息を吐き、仕方なく腰を下ろした。


「…なぁ、そんな律儀にあいつの言う事を聞かなくても良いんじゃない?それに体調だってさ、回復したって言ってもまだ本調子じゃ、」

「いえ!アリアさんのお陰で、私は元気いっぱいです!アリアさんが力を分け与えて下さった分、しっかりお仕事させて下さい!」


にこにこと喜びとやる気に満ちた笑顔を向けられ、アリアは言葉を詰まらせた。自分が力を与えたというなら、フウガではなく自分の言う事を聞いてはくれないか、なんて思いもしたが、この無垢な瞳を前にしては、さすがに言えない。

それにと、アリアは心の中で言葉を切り、胸の辺りを擦った。実を言うと、今朝から何だか調子が悪かった。フウガの言う事を聞くのは癪だが、煙草はやめておいた方が良いのかもしれない。


「アリアさん?どうかされましたか?」

「え?あー、何でもないよ。腹減ったなーって思っただけ」


そう、ぽんと軽く腹を叩けば、神使は心配そうな表情を見せながらも納得してくれたようで、納得すればまた、真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。アリアは苦笑った。


「大丈夫だって、ここに居るから」


そう言いながら、神使の前に戻ってどかりと胡座を掻けば、神使ははっとしたようにぴっと背を伸ばし、それから申し訳なさそうに項垂れた。


「…すみません、神様にもよく言われるんです。力が入りすぎだぞって。もっと気楽に構えられたら良いんですが…」

「真面目なんだな」


自分とは偉い違いだと、アリアは胸の内で呟いた。きっと、アリアを知る者は誰もがそう思うだろう。神使は「いえ…」と苦笑いを見せたが、やがてそれもしゅんと落ち込んだ。


「私共は、神様が居なくては何も出来ませんから。だから、神様に少しでもお返しをしたくて…、でもそれも、もしかしたら神様の負担になっていたのかもしれません」


神様を思いながら、神使達は神様が居なくなった事に責任を感じている、彼らが責任を感じる事なんてないのにと、アリアは思う。だって、アリアがもし神様だったら、愛らしく世話焼きで、こんな働き者の神使がいる社は居心地良く感じるだろう。神様だって、同じ気持ちの筈だ。でなければ、神使がこんなに神様を思い慕う筈もない。


「…神様も、ちょっと息抜きが必要なんだよ。お前らがどうとかじゃなくて、ほら、色々あんじゃん、生きてりゃさ。生きてるって表現で良いのか分かんないけど…まぁ、色々さ。昨日は大丈夫だったのに、今日になって凄い不安になったりとか、そういう何でもなさそうな事とかもさ、神様にだってあるかもしんないし」

「…アリアさんも?」

「俺は…、ただのなまくら天使だから、実に気楽なもんよ」


ひらひらとおどけるように手を振れば、神使は少し表情を和らげた。


「だから、ちょっと出掛けてるだけでさ、きっとすぐ帰ってくるよ。フウガは優秀だしね、神様だって、お前らのご飯がそろそろ恋しくなってくる頃だろ。そうだ、帰ってきたら叱ってやんなきゃな」


気休めにもならないかもしれないが、アリアの不器用な励ましを汲み取ってくれたようで、神使はアリアの言葉に頷いて笑ってくれた。


その姿を見て、アリアはなんだかこそばゆいような気分だった。叱られて呆れられてばかりいた自分が、誰かを励まそうとしているなんて。その思いの先に浮かぶのは、フウガの姿だった。あれはアリアの尻を叩く為、仕事の為以外の何物でもないだろうが、それでもフウガはこの二週間、アリアの力が必要だと言い続けていた。

それが、この胸の内に少しずつ積み重なっていたのだろうか。そうでなければ、誰かを励まそうなんて思わなかったかもしれないと、アリアは思う。


必要とされている事が、少しの自信と勇気をくれる、みたいな。まぁ、フウガにそっくりそのままお返しするのは何だか癪に障るので、素直に礼など言ってやらないが。


「アリアさんには、感謝してもしきれません。町の人々を悪魔の手から守り救って下さって、本当にありがとうございます」


そう頭を下げた神使に、アリアは困って顔を上げさせた。


「そんなのいいよ、俺は別に感謝される事は何もしてないし」

「いいえ、私達だけでは人の子を救う事は出来ませんから」

「俺だって、」


言いかけて、アリアはその先の言葉が出てこず、視線を揺らした。

思い出すのは、悪魔の手から救えなかった人々の事。手を出す事の出来ない、目の当たりにした死期リストの事。


下界に来て二週間、これまで感じる事のなかった誰かの死期が、唐突に身近なものに感じられた。それは、アリアが誰かを救って、救おうとして救いきれなかったからだろう。

死期リストに載った命は、今すぐにどうこうなる人間ばかりではない。死期リストが変更になる可能性もある、だが、それがどうであれ、アリアが手を出せない事に変わりはない。

今は普通に生活して楽しそうに笑っているのに、これから数日の間に、死神はその人の前に突如としてやって来る。アリアが悪魔から誰かを救えた時、救えなかった時、それに応じて、リストの名前は変わっていく。

天界の都合で簡単に、誰かの命の期限が変わっていく。


自分が感謝される資格は、あるのだろうか。

自分が何もしなくても、本当は世界に影響なんて無いのではないか。


アリアは、じわりと浮かび上がった火傷のような痕を、そっと擦った。


「俺は、」


自分は結局、誰も救えていないんじゃないか。


渦巻いた不安が、胸の奥深くをしくしくと抉っていく。手の甲にしかない筈の傷が、途端に全身に駆け巡って、首に絡まるみたいで苦しくなる。


「アリアさん?」


言葉を切ったアリアに、神使が戸惑いながら声を掛ければ、その顔が驚きに染まった。そんな顔して、どうしたんだ。アリアは尋ねようとしたけれど、その前にぐらりと視界が傾き、アリアは意識を手放した。




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