12


どれもこれも仕方のない事だ。空を掌握するかのような悪魔の手、あちこちで同時に黒い力が降り注げば、守りきれない魂がどうしても出てしまう。全ては守れない、でもぐずぐずしていては新たな犠牲者が出る、人の命は流動的だ、見知らぬ命の行く末に気を留める時間はない。


フウガはそう思ってこの任務と向き合っていたが、アリアの背中を見ていると、その思いが揺らいでくる気がして、落ち着かない。


「神様は何やってんのかねー、まったくさぁ」


伸びをしてアリアは立ち上がる。


「俺の負担が増えるばかりよ、これじゃ」


困ったもんだなと、アリアはふわふわの髪を搔きながら振り返った。その笑い顔を見れば、アリアがひっそりと隠した思いが垣間見えた気がして、フウガは「そうですね」と応じるので精一杯だった。


「さて、次はどうする?」

「…今日はこの辺にしましょうか。あなたは少し神社で休ませて貰いましょう」

「え?別に大丈夫だけど」


きょとんとするアリアに、フウガは眉を寄せた。


「ですが、病院で座り込んでいたでしょう」


そう言えば、アリアは「あ!」と、思い出した様に声を上げた。

フウガが病院から出てアリアを見つけた時、自分から聞き込みをすると言っておきながら、結局はサボりたかっただけなのかと、アリアに注意をしようと近づいた。だが、見えた横顔が普段よりも力なく見え、もしかしたら体調が優れないのかもしれないと、病院への聞き込みはまたにしようとアリアを促した。そのまま神社に戻ることも考えたのだが、それからのアリアの様子はいつも通りで、彼に仕事を切り上げさせるタイミングを見失っていたのだ。

そんなフウガの思いに気づいたのか、アリアはどこか落ち着かない様子を見せたが、それでも元気をアピールしようとしてか、無意味に肩を回した。


「平気平気!さっきは、妖が見当たらなかっただけだから。早く神様見つけないとだろ?」


確かにそうなのだが。フウガはアリアの様子に小さく首を傾げた。駅から病院まで、あんなに文句を言っていたのに、今はこうしてやる気を見せている。

やはりフウガには、この天使の気持ちはよく分からない。それに、人間の流れる命をこんなにも気にかける天使が今までいただろうか。それがどうして、怠け者のアリアなのだろう。


「何だよ!お前、仕事好きだろ?さくさくやっちゃおうぜ」


そう笑って肩を叩かれれば、全くどの口がと言いたくもなるが、本人がそこまで言うならその気持ちを尊重しようと、フウガは気持ちを切り替え顔を上げた。


「…では、これを」

「ん?」


フウガが示したのは、先程取り出した黒い手帳だ。新たにページを開くと、名前と住所が一覧で記載されたページが現れ、フウガがその一つをタッチすると、手帳の上で地図が映像として浮かび上がった。


「あなたも白い手帳を持っているでしょう」

「あー…」

「…え、待ってください、…持ってないんですか?」

「いや!持ってる!はず!」


世界管理局では、天使は白い手帳、死神は黒い手帳を支給されている。人間の道具で例えると、スマホのようなものだ。この手帳には、死神であれば死期リストの担当区分を受け取ったり、連絡事項の受け取りや地図機能、必要な情報のインプット等、様々な機能が搭載されている。同時に、世界管理局の本部や支部等の入館証代わりにもなっていた。個人を識別する為の証明書でもあるので、常に携帯するのが決まりとなっている。


それをアリアは持っていないのかと、一体どこまで怠けているんだと言わんばかりにフウガの表情が歪められていくのを見て、アリアは空笑いをしながら慌ててジャージのポケットを探しているが、恐らくないだろう。上着も脱いで探しているが、どう見ても持っていない事は明白で、フウガは溜め息を吐いた。


「あなた、そんな調子でよく本部を出入り出来ましたね」

「いや、なんつーか…顔パス?」

「顔では入口のゲートは認識しないでしょう…それに、その服装どうにかならないんですか?毎日毎日、そのよれたジャージばかり着て」


今の今まで揺さぶられていた気持ちが、くたびれたジャージと怠惰な性分を見ていたら何だか台無しにされた気分になり、つい思っていた事が口をついて出てしまった。

フウガは毎日黒い服を着ているが、下界に降りるにあたって替えの服を持ってきている。当然、洗濯だってしている。だが、アリアは毎日同じジャージを着ている、あれは洗濯をしているのだろうか。


「なんだよ、神使殿だってぼろぼろの着物だろ」

「彼らの着物は、彼らの力が反映されてるんです。でもあなたは、力を使う前からそのジャージじゃないですか」

「うるさいなぁ、何着ようが俺の勝手だろ?お前みたいな、サラサラでイケイケ男に俺の気持ちが分かるか!」

「また訳の分からない事を…」

「俺はどうせダメダメだよ!ヨレヨレのジャージがお似合いだって思ってんだろ!」

「なんで喧嘩越しなんですか、そこまで言ってないじゃないですか」

「言わなくても分かる!お前はきっちりくっきりしてて、なんか疲れるんだよ!」

「失礼な…でしたら、風呂もろくに入らないあなたを毎日背負う私の気持ちも、あなたには分かってるんでしょうね」

「しょ、しょうがねぇだろ!嫌いなんだもん!面倒臭いもん!」

「こんな清潔感に欠ける天使がいるなんて、天界の恥さらしも良いところですよ」

「風呂に入らないぐらいなんだよ!それで消滅すんのか!?」

「いちいち極論を持ってこないで下さい、子供ですか」

「残念ながら百年単位で生きてますー、数えきれないほど生きてますー」

「それが子供だって言うんですよ」


フウガは呆れて溜め息を吐いたが、アリアはふいと顔を背けて歩き出す。


「ちょっと、どこに行くんですか」

「一緒に行動する必要ないだろ。手分けした方が見つけやすいんじゃないの」

「駄目ですよ!」


フウガに腕を引かれ、アリアは驚いて振り返った。だが、怒ったような顔を向けられたら、何だか悔しくなったのか、負けじとムッと表情を歪めてフウガを見上げた。


「途中で倒れたらどうするんです!あなたが主軸の仕事だと忘れたんですか!」


ぎゅっと握る手が必死のようで、アリアは瞳を揺らした。急にどうしたのだろうか、今までこんな風に感情をあらわにするフウガを見たことがなく、アリアは戸惑っているようだ。それでも簡単に折れる事は出来なくて、「…それは分かってるけど」と、アリアは唇を尖らせ、眉を寄せたまま俯いた。


「一緒に居て下さい。悪魔が行動するのは夜が多いですが、昼間は何もしないという保証はないんです。弱った所をつけこまれたらどうするんです?あなたは神様と似た力を持っているだけで、神様ではないんですよ?」


叱る声に心配が混ざっているようで、アリアは更に戸惑い、うろうろと瞳を揺らした。それからややあって、張る意地が溶けたのかアリアが小さく頷くと、フウガはほっとして肩を下ろした。


「では、」


そうアリアを促そうとした時、フウガの開いた手帳に、新たなメッセージが現れた。下界の支部からのようだ。


「何だって?」

「一度神社に戻るようにとの事です」

「神様が帰って来たのか?」

「いえ、神使殿に何かあったようです。戻りましょう」


フウガは辺りを見回し、ひと気がないのを確認すると、手の平を宙に向けた。すぐに空気の膜のような結界が二人を包み込み、その中でフウガは指を鳴らした。二人は死神と天使に姿を変えると、急いで空を駆けて行った。



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