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三丁目の住宅街を抜けた先に、鞍木地くらきじ中央病院という大きな総合病院がある。駅からは少し距離がある為、直通のバスも通っているが、歩いて行けない距離ではない。

下界で働く者達は、人間の姿になった時に困らないようにと、下界で使えるお金が給料とは別に支給されているが、今は神様探しの途中なので、なるべく交通機関は使わずに移動しようとフウガは考えていた。どこで有益な情報に出くわすか分からないからだ。

それに対し、アリアはぶつぶつと文句を言いながらも、足を止めることなくフウガの後を着いてくる。意見しても無駄だと思っているのか、勝手に翼を出して飛んでしまう事も、タクシーが通りかかっても手を上げる事もない。ただ、文句が止まると、どこかぼんやりと空を見つめていたりするので、それがフウガには些か気がかりではあった。昨夜も辛そうであったし、体調がまだ悪いのかと思い声を掛けようと振り返れば、大あくびが返ってきたりする。それが示し合わせたタイミングのようにも感じられて、フウガは出かかった言葉を飲み込み、前を向いてそのまま歩を進めた。


やはり、この天使は何を考えているのか、いまいち分からない。


フウガの心は結局そこに行き着いて、もやもやを胸の内にまた広げては閉じるだけだった。





そうして、新たな情報を得ることもなく住宅街を歩いていると、病院の建物が見えてきた。


「あれか?」

「そのようですね」


フウガはアリアの言葉に頷いた。車道を挟んだ手前の通りで足を止め、その大きな建物を見上げた。

鞍木地中央病院は、六階建ての建物が二棟連なっており、その隣にある広々とした駐車場は、車がほぼ埋まっているような状態だ。町の外からの来院も多いのだろう、病院の入り口を見れば、通院患者や見舞いに来た人々が、病院を入っては出てを繰り返し、自動ドアも開いては閉じてと忙しそうだ。

空を見上げれば、病院の上空に死神の車が何台か向かってくるのが見える、きっと魂の迎えに来たのだろう。


「迎えがきたのか」

「そのようですね」

「お前はいつも淡々としてて凄いな」

「え?」


フウガはきょとんとして、アリアに顔を向けた。しかし、アリアの表情からは、その感情が上手く読み取れない。相変わらず気だるそうではあるが、その中には、それだけではないものが混じっているような気がする。


「仕事ですから」


それが何か掴めないまま、フウガは当然のように答えれば、「そうだよな」と、何だか寂しそうにアリアは笑った。


「アリア?」

「俺、そのその辺に妖がいないか見てくる。手分けした方が早いだろ」

「え、」

「じゃ、院内は任せた」


アリアはやはり気だるげなままフウガの肩を叩くと、フウガの返事も聞かずに歩き出してしまった。歩くのも億劫そうな足取りだ、追いかければすぐに追いつく事は出来たが、フウガはアリアを追いかける事が出来なかった。丸い背中が、着いてくるなと言っているようで、珍しくフウガを躊躇わせる。その躊躇いの理由が自分でも分からず、フウガは落ち着かない気持ちを誤魔化すように病院へと足を向けた。


アリアの体調の事もある、一人で歩かせるのは少し不安が残るが、病院の周辺だけなら問題ないだろうと、フウガは自身を納得させ、開閉に忙しい自動ドアをくぐり抜けた。


院内は、一部がガラス張りの壁になっており、そこから太陽の光が差し込んで、明るく広々とした印象だった。そして、とにかく人が多い。診察や会計を待つ人やらでロビーや待合室は埋まり、医療従事者達が忙しそうに行き来をしている。その中に紛れ院内の様子を窺ってみたが、特別気になる点はなく、目に止まるのは、魂の迎えに来た死神達の姿だ。


その同僚達の姿を見て、何故、アリアはあんな顔をしたのだろうと、ぼんやりと思う。死神の仕事は魂を導く事。アリアはそれに対して思うところでもあるのだろうか。


「思ったところで、どうにもならないと思いますが…」


フウガはひとりごち、踵を返した。同僚達の仕事の邪魔になってもいけないので、ひとまず病院周辺で聞き込みをしようと思ったからだ。


フウガには、仕事に意味を見出だす気持ちが分からなかった。死神や天使は、神様の手となり足となる為に生まれてきたようなものだ。それを悲観するつもりも、否定するつもりもフウガにはない、それが使命なのだから考える必要もないと思っている。神様の為、神様の創造したこの世界の為、フウガは使命感に沿った行動をとっているだけだ。

ただ怠けていただけのアリアとは違う。そう思いかけ、フウガはふと首を傾げた。


もしかしたら、アリアが怠けていたのには、何か理由があったのだろうか。







フウガが聞き込みを開始する一方で、アリアは妖を探すでもなく、病院の敷地内の花壇に腰かけ、院内の様子をガラス張りの壁の外からぼんやりと見つめていた。アリアが居るのは、駐車場側と病院の建物の間の通路だ。そこから見えるのは待合室で、患者やその家族達が椅子に座って待つ後ろ姿や、看護師達が慌ただしく動き回る姿、点滴スタンドを押して歩く患者の姿も見えた。


アリアは仕事をサボってばかりいたが、それでも世界管理局の局員であり、人間の命の期限を預かる天使である。最終決定は神様の手に委ねられているが、死期リストに加える人間を選ぶのは天使だ。


病院の前に居るだけで、頭の中で勝手に死期リストのページが捲られていくのが分かる。決定した命の期限を持つ人間は、感覚的に分かる。天使に備わる能力の一つだ。


それでも人間は、そんな事も知らず懸命に命を繋ごうとしている。天使は簡単に、命の期限を決めてしまうのに。

だがそれが、天使の仕事で、神様が決めた世界のルールだ。

転生をさせて命を巡らせなくては、世界のバランスが崩れてしまう。だが、だとしても、この世界に生きている人間からすれば、代えのきかない大事な命の一つだ。


そんな事、天界に居る天使は考えた事はあるのだろうか。

この二週間、悪魔の手から救えなかった人間の姿が、責めるみたいに頭に浮かんでくる事がある。あと一歩で救えなかった命もあった。


アリアは勝手に捲られていく死期リストに抗い、病院から目を背けた。


天使は、自分は、与える力は、目の前の彼らを救う事はない。


そう思ったら、顔を上げていられなかった。足が少し震えている気がする、与える力を持つ手を見つめ、この力は一体、何の為に授けられたのだろうと、アリアはその手を握り締めた。頭の中が急に暗くなったような気がして怖くなる、自分の力は、一体誰の、何の為にあるのだろうか。





「アリア?」


「どうしました」とフウガに声を掛けられ、アリアははっとして顔を上げた。見上げれば、心配そうに眉を寄せたフウガと目が合い、アリアは焦りながらも「何でもない」と答え、頭の中に現れた暗闇を必死に外へ追いやっていく。

フウガはその様子をどう捉えたのか、やや辺りを見回してから、「また改めましょうか」と、アリアに声をかけて歩き出した。


病院には、サイレンを鳴らした救急車がやって来て、ストレッチャーに乗せられた患者を医師や看護師が慌ただしく院内へ運び入れて行く。だが、その人はもう助からない。「お疲れ」と言ってフウガとすれ違った死神が、その後を追って行ったからだ。

死期リストは変えられない。変えてはならない、変えてはならないんだと、アリアは再び強く拳を握った。





その後は、周辺の住宅地にも足を向けたが、結局は何の手がかりも掴めなかった。平日の午前中、特別人通りも多くない住宅地だ、時折、空を飛ぶ死神の仲間や、支部の天使達とすれ違い、その度に言葉を交わしたが、これといった情報もない。


再び町の中心へと移動する途中、通りかかった道路脇に花が手向けられているのを見て、アリアは足を止めた。

電信柱には、四丁目とある。


「二日前に、悪魔によって命を取られた方のものですね」

「…助けられなかったからな」


アリアはぽつりと呟き、花の前にしゃがんだ。


「この魂は、天界に向かったのかな」


アリアの呟きに、フウガは黒い手帳を取り出した。ページを開くと、この場所で亡くなった人物の姿、亡くなった理由、転生までの期間が浮かび上がってくる。だが、転生までの期間の欄が空白になっていた。この人物が、天国に行っていないという事だ。


「恐らく、下界のどこかで彷徨っているんでしょう」


フウガは辺りを見回すが、魂の気配はない。魂となれば、死神の姿が見える。死神は皆、銀色の髪に黒い服装で宙に浮いているので、魂となった人々もすぐに死神だと分かるようだ。何も分からず魂となってしまえば、死神を見て、反射的に逃げる魂も少なくない。

だが死神側としては、次々に死期リストが送られてくるので、逃げてしまった魂のその後までは関与しない事になっている。そこから先は、下界の支部の天使達の仕事で、魂を捕まえ説得出来れば、そこから天界に連絡し、天使から死神へ改めて死期リストを送ってと、少々面倒な事務手続きが続く。その間、魂の気が変わる可能性もある、下界の天使は他の仕事をしながらそこにも目を向けなくてはならないので、下界で彷徨う魂をすぐに天界に導くのは、時間も労力もかかる作業だった。


アリアはぼんやりとその場所を見つめ、煙草を取り出そうとして持ってない事に気づき、軽く肩を落とした。そのままフウガを見上げたが、アリアの視線の意味にフウガは気づいていないようだ。


「…そいつに、この花は届いてんのかな」

「込められた思いは届いている筈ですよ。下界でも天界でも、転生した後にだって、亡くなった人への思いは巡り巡って届きますから」


ふぅん、とアリアは頷いた。フウガはそろそろ行こうと声を掛けようとして、言葉を止めた。アリアの口が、小さく動いた。声にはしなかったが、ごめんと呟いているように思えて、フウガはまた少し落ち着かない気持ちになる。

くたびれたジャージの襟、丸まっているその背中はいつも通りの筈なのに、いつもよりしょんぼりと見えてしまうのは何故だろうか。フウガは落ちたその肩に手を伸ばしかけたが、掛ける言葉を持たない事に気がつき、そのまま手を引っ込めた。


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