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フウガがアリアを背負ったその足でやって来たのは、町から追いやられるようにひっそりと佇む古びた神社だ。境内は伸び放題に育った木々に覆い尽くされ、鳥居も隠れてしまっている、まるで小さな森のようだ。それでも良く見れば、人が通れる道がかろうじてある。緑が生い茂るトンネルのようなその道を進めば、開けた空間がぽっかりと現れ、そこに、朽ちかけながらも立派に佇む社があった。


「お帰りなさい…アリアさん、大丈夫ですか!?」


まるで外界から身を隠すように佇んでいるその社、フウガ達がやって来ると、その中から二人の神使が飛び出してきた。見た目は幼い子供のようで、髪を頭のてっぺんでお団子に結っている。お揃いの浅葱色の着物は大分くたびれてしまっており、大きな丸い瞳までそっくりの彼らは、まるで双子のようだ。

神使達は、ぐったりとしているアリアを心配そうに見つめ、社の中へ迎え入れてくれた。社の中は見た目に反して綺麗に保たれており、神使達は大慌てで布団の用意をしてくれた。


「アリアさん、昨日よりも顔色が悪く見えます」

「立て続けに人間に力を与えていたので。彼はいつもこうですから」


神使に礼を言いながら、フウガはアリアを布団に横たえた。薄紫色の髪が、汗で額に貼りついている。眉間に皺を寄せる姿は先程よりも苦しそうで、フウガは落ち着かない気持ちになった。そのまま視線を下ろせば、アリアの両手に浮かび上がった傷が見え、その腕を取って袖を捲れば、火傷のような痕が肘の上まで続いているのが見えた。恐らく肩まで続いているのだろう。


「悪魔の仕業ですか?」

「これは、悪魔の手を消滅させる為の代償です」


神使の心配そうな声に、フウガは落ち着かない気持ちを押し込め、淡々と返した。



この世界には、悪魔というものが存在する。遠い昔、人の心が生み出した負の感情、それを表す影でしかなかったものに神様が命を与えてしまった為、悪魔が生まれたという。何故そんな事をしたのかは、天使や死神が知るところではない、ただ分かるのは、それは本来生まれる筈のない存在だったという事だ。

命を得た影は意思を持ち、人間の心を欲する悪魔となってその数を増やし、今も人を襲い続けている。退治しなくてはならない存在だ。


先程の、人の体に纏わりつく黒い影のような物体は、悪魔の手と呼ばれており、その名前の通り、悪魔が操る力だ。悪魔は人の心を欲し、人を襲う。アリアの持つ力は、天使や死神の中で唯一、悪魔の手のみならず、悪魔そのものを消滅させる事が出来るもので、また、人の心に根付いてしまった力を滅し、人を救う事が出来るという。

アリアの火傷のような痕は、その力を使い続けると出来るもので、アリアの体力をこうして奪ってしまう。数時間もすれば火傷のような痕は消えて体力も回復するが、その負担が蓄積しない訳ではなく、更に、悪魔は休む事なく毎日やって来る。



高熱に浮かされるようなアリアの姿に、神使の片割れは水を汲んでくると言って、再び慌ただしく社の外に出ていった。神社の敷地内には井戸があり、見た目はぼろぼろだが、水は神聖で清らかなものだ。


「申し訳ありません、私共の力が及ばず…」


残った片割れの神使は、申し訳なさそうに膝をついた。


「いいえ、神様が社にいないのです。お二人は尽力して下さっています」


そうフウガが言うと、神使は顔を上げ、申し訳なさそうに頭を下げた。


「これが我々の仕事ですので、お気になさらず」


フウガはそう穏やかに言うと、「アリアを少しお任せしても構いませんか?」と、片割れの神使に尋ねながら、胸ポケットから小瓶を取り出した。先程、フウガが捕らえた悪魔の力、悪魔の手の一部がその中に収められている。捕らえた直後は瓶から出ようと懸命だった黒も、今はただの液体のようになっている。


「それは勿論、構いませんが…」


神使はそう言いながら、心配そうにフウガを見上げた。フウガは「ありがとうございます」と、やはり穏やかに礼を言いながら、今度は部屋の片隅に置いてあった黒い革の鞄にその小瓶をしまうと、それを手に「では、ちょっと出てきます」と頭を下げるので、片割れの神使は焦った様子で声を掛けた。


「あの、フウガさんはどちらへ?」

「下界の支部に、今夜の報告をしてきます」

「ですが、もう真夜中ですよ?」

「私は死神、夜の方が得意ですから」

「眠らないのですか?朝からずっと、」


フウガはそっと微笑むと、神使の言葉を遮るように指を鳴らした。すると、艶やかな黒髪は再び銀色へと変わった。人から死神へと姿を変えたのだ。この姿は、アリアの天使の姿もそうだが、人間に見える事はない。


「では、彼をよろしくお願いします」


フウガは頭を下げて社を出ると、ふわりと空へ浮かんで行った。






空に浮かんで、パチ、と指を鳴らすと、今度は空中に車が現れた。丸みのあるフォルムが可愛らしいレトロな車、1958年式のスバル360を真似てつくったという、フウガの愛車だ。これも人には見える事はない。

フウガはそれに乗り込むと、エンジンをかけた。


そして、車は空へ向けて走り出した。



いつか人間の世界にも、車が空を飛ぶ未来が日常になるのだろうか。何の変哲もない夜空に、そんな夢を見る人もいるだろうが、夢見る夜空には既に、死神の乗る車が行き交っていた。


車線はないので、上に下にと自由に車が飛び交っている。車種も様々ではあるが、全体的に黒のミニバンが多い印象だ。すれ違う同僚達と挨拶を交わしながら、フウガも車を走らせていれえば、一台の車が近づいてきた。並走する車の窓が開いて声を掛けられたので、フウガは助手席の窓を開けた。

その車の運転席には銀髪の女性が乗っており、後部座席には、半透明となった人々が涙を流したり呆けていたり、興味津々で辺りを見回したりと、それぞれが様々な表情を見せていた。皆、死を迎えて魂となった人々だ。


「よぉ、フウガ。アンタ、下界の悪魔対策課だって?あのアリアのお守りって本当かよ」


彼女は同僚の死神だ。銀色の長い髪を掻き上げる姿が色っぽいが、口調や態度はいつだって男前、というのがフウガの印象だ。


「これも世界のバランスの為ですよ」

「じゃあ、そのバランス直して早く帰ってこいよ。アンタがいないと、仕事に時間がかかってしょうがない」


彼女は疲れたように溜め息を吐いた。



死神は、死神課に属しており、その仕事とは、命を終えた魂を天界へ連れて行く事だ。

それだけ聞けば簡単そうに思えるが、これがなかなか骨の折れる仕事だったりする。世界中の魂を、限りある人数で天へと導かなくてはならない。天使により死神課へ送られる死期リストは膨大で、一人に割ける時間も限られている。それに、全ての魂が素直に死を受け入れてくれるとも限らない。もし魂に拒まれ説得も失敗すれば、その魂は下界を漂ったり、その場所に縛られたりする。そしてそれは、生きてる人間に影響を及ぼす事もあった。もし、その影響で、突発的に予定外の死者が出るような事があれば、元々決まっていた他の死期リストも変更しなくてはならない、別の誰かの死を見送ったり早めたりしなければならないからだ。世界の人口は、神様の采配によって決まっている、それを勝手に変えることは、たった一人であっても許されない。


それに、変更すれば誰でも良いというわけではない。魂の振り替えや見送りというのは大変な作業だ、変更の分だけ他の魂をどう天へ導くかの精査も必要になり、時間も人員も、いくらあっても足りないのが現状だった。


その中でも、フウガの仕事振りが優秀といわれているのは、他の死神達の何倍もの量を迅速に、それでいて丁寧にこなしていくからだ。魂から反感も買う事もなく、魂一人一人に寄り添い導いてくれるので、フウガが天国の街に出れば、転生前の人々から声を掛けられてはお喋りに興じ、アリアや同僚の前では全く見せない愛想も振り撒くので、フウガの周りには、よく魂の人だかりが出来ていた。

勿論、愛想を振り撒くのは、相手が仕事関係にある魂だからである。




「では、私と変わりますか?」


仕事の事だ。フウガが同僚の彼女に尋ねれば、彼女は男前に声を上げて笑った。


「冗談!アリアの世話なんて、アンタの仕事についていくより大変そうだからな」


じゃあなと、ひらひらと手を振って、彼女は車を走らせ去って行く。フウガは「そうでしょうか」と一人ごち、少し思案した後、はっとした様子で眼鏡のブリッジを押し上げ、アクセルを踏み直した。



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