4.

 Jが片手を上げるとカフェの店員がパソコンを持ってきた。


「ありがとう」


 お礼を言ってJはそれを受け取る。


「今はどこでも無線LANが使えるから便利だよね」


 そう言ってパソコンを起動する。

 固くなって見守っているとJは笑って言った。


「そう緊張しなくても大丈夫だよ。今すぐ殺そうってわけじゃないんだからさ」


 物騒なセリフをサラッと言う。


「人間いつかは死ぬんだしね」


 そして一言余計だ。

 ますますガチガチに筋肉がこわばるのがわかる。


「J」

「ん?」

「……俺に命令するためにウイルスを打ったのはわかります。でもなぜ自分にまで打ったんですか?」

「それがわからない?」

「はい」


 目線を上にして考えるそぶりを見せた後、Jは言った。


「まあ、君のそういうところだよね」

「そういうところ、とは」

「自分を優先するか他人を優先するか」


 Jは指を二本立ててそう言った。


「まず自分を優先するか、と考えたとき」


 Jは指を一本だけ立てる。


「君は天涯孤独だ」


 俺はビクッと震える。


「父母ともに君が高校生になる前に死亡。両親とも同じく天涯孤独で近しい親戚はなし。家族で暮らしていたアパートの大家、教師、両親の友人が交代で家に住まわせてくれたことで住む場所には苦労しなかったが苦学生で自分の生活費はバイトで稼いでいた。現在は一人暮らし」


 まるでなにかの調書を暗記しているかのようにサラサラとそう言った。


「だからいつ死んでもいいとまではいかなくても自分のことをそこまで顧みないんじゃないかと思ってさ。だから、他人を使う」


 二本目の指を立てた。


「見たところ大学内にはそこまで近しい友人はなし。浅く付き合っているというところかな。大学で会っても家に呼びはしないし当然彼女もナシ」

「彼女って……」

「どう。当たってる?」


 不承不承ながらうなずく。

 悪魔的な洞察力で内容もデリカシーにかけるが、天使なみの微笑みでJは続けた。


「誰でもよかったと言えばそれまでなんだけどね。赤の他人では不確定要素多すぎだし、まあ使えるものは使えってことで」

「それで自分を犠牲に?」

「そう」


 話を聞いて思ったことは一つだ。

 どうかしている。

 それで俺が話に乗らなかったらどうする。

 話に乗っても失敗すれば自分も死ぬんだ。

 気づけば腕を痛いほど握っていた。

 死ぬのが恐くないのか。


「どうかした?」


 そう言って見つめる目はいっそ無垢なほどに透明で。

 ああ。

 死ぬのを恐れていない。

 そう、わかってしまった。


「……別に、なにも」

「そっ?ならいいけど」


 何回かマウスをクリックしてJは止まった。

 目的の画面が出たようだ。


「はい、これ」


 パソコンをぐるりと回して俺に画面を見せる。


「これは?」

「ある場所までの地図」

「いや、それはわかりますけど……」


 地図をよく見てハッとした。


「これ……」

「気づいた?」


 どことなく見覚えがあると思った。

 隣町。

 大学に入るまで住んでいた場所の近辺だ。


「ここに探し物があるんだ」


 その中の一点が光った。


「これ……。化け物屋敷」

「化け物屋敷?」

「あっ、周りでそう言われていただけで。すごい廃墟みたいな家なんですよね。たしか、おじいさんが一人で住んでいたんですけど、その人も人を寄せつけなかったっていうか」

「ふうん」

「あと見た目が。……人の悪口を言うのはどうかと思うんですがそのご老人の顔に火傷のあとみたいなものがあって」


 Jはにこやかに話を聞いていたが、それを聞いてますます笑みを深くした。


「化け物屋敷か。それはいいね」

「はい?」

「一度会ってみたかったんだ。怪物にね。じゃあ行ってみようか、タクトくん」


 そう言って立ち上がったので慌てて俺も立ち上がった。


「行くって今からですか」

「そうだよ」


 頷いて言う。


「タイムリミットは迫っている」


 静かな声で。


「発症までの時間は一日だ。それもケースバイケースだけどね。僕たちにあとどれくらい時間が残されていると思う?」


 そう言ってこっちをじっと見つめてきた。


「……探し物が見つかった時点で、貴方だけ抗ウイルス薬を投与するんじゃないですか」


 逃げるんじゃないか、と。


「信用ないね。じゃあこうしようか」


 Jは携帯端末を取り出して、操作した。

 そして、数字入力の画面を俺に見せる。


「君が決めてよ。入力終わったら決定ボタン押して」

「なんですか?これ」

「ロッカーの暗証番号。抗ウイルス剤を入れてある。変更したら僕の携帯電話持っていて」


 ぽかん、と我ながら呆れた顔で見るとJは言った。


「君が打ち込んだ番号を僕は知らない。君はロッカーの場所を知らない。これでどちらが裏切っても大丈夫でしょ?」


 口は笑みの形のままだが、目が笑っていない。

 俺は震える手で数字を打ち込んだ。

 決定ボタンを押す。


「じゃこれで不安要素はないね。行こっか」


 Jは軽やかに足を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る