3.

 走ってカフェ店に行くと、十分弱で着いた。

 荒い息のまま入り口をくぐると店員にいらっしゃいませ、と言われた。

 あまり利用しないが、自由に席につくシステムだったはずだ。

 見渡すまでもなくその顔を見つけた。

 入り口から一直線の、見渡しのいい奥の席に座っている。

 目があうといっそにこやかにヒラリと手を振った。

 俺は早足でそちらに向かう。


「やあ。早かったね」


 男にしては高く甘い声。

 にこやかな笑顔に背筋が冷たくなる。

 立ち尽くす俺に男は言った。


「座ったら?」


 無言で立っている俺を他の席の客はちらちらと見ているようだった。

 視線に耐えられなくなり座る。

 フッと男は笑った。


「まずは自己紹介といこうか。僕はJ」


 紙ナプキンを取るとグラスの水で男はアルファベットのJを書いた。

 ジェイ。

 名前だろうか。略称か。

 日本人離れしていると思ったが、かといってどこの国か見た目からではわからない。

 日本人とヨーロッパ系のハーフ。日系人かもしれない。そんな陳腐な感想しか浮かばない。


「Jって名前、ですか」


 その視線は外見の年齢からはかけ離れた妙な威圧感があり、つい敬語が出た。

 見た目は高校生くらい、俺の年下に見える。

 背も俺より低くて華奢きゃしゃだ。

 俺の声に一瞬沈黙したあと、フハッと笑った。


「そこ重要?まあ名前でもあり呼び名でもあるかな」


 俺は声をしぼり出した。

 なまりを飲んだように喉が重い。


「それで」

「うん?」

「俺に何の用ですか」


 近い距離で目が合った。

 視線がそらせない。

 間近で見て初めてJの目は少し青みがあることに気づいた。

 そんなことを考えている場合ではないが不覚にも綺麗だ、と思ってしまった。


「君は……」


 Jは俺を真正面から見つめて言った。


臆病おくびょうだね。先ほどからチラチラと横目で入ってきたドアを見ている。けれど、度胸があるとも言える。僕からのメールひとつでここまでやってきたのだから」


 あのメールを見たら来る以外の選択肢はなかっただろうが。


「まあ臆病なのは悪いことじゃないよ」


 目を伏せて微笑み、それから中腰の姿勢で俺の耳元に口を寄せた。


「君に打ったのはウイルスだよ。致死率は9割以上、発症までのリミットは一日」


 俺は目を見開いた。


「なっ……」

「叫ばないで。もっとも叫んでもなににもならないけどね」


 元のように静かに腰を下ろし、Jは足を組んだ。


「頼みがあるんだ。僕とある探し物をしてほしい。探し物がみつかれば、君に抗ウイルス剤を渡す」

「みつからなければ」

「今からそっちの心配するの?そうだね」


 Jは服の袖をまくって前腕を見せた。

 俺は息を飲む。

 注射の痕があった。


「君も死ぬし僕も死ぬ」


 オーバーに腕を広げてJはいっそ清々しい顔で言った。


「これで状況は公平だ」


 わけがわからない。

 こいつはなんの冗談を言っている?

 そんなことをして何の意味があるっていうんだ。

 喉がカラカラになる。

 なにも言葉が出てこない。

 それをJは面白そうな目で眺めている。

 なぜこの状況でそんな顔でいられるんだ。

 俺はパニックになりそうな気持ちを切り替え。

 テーブルに置いてあった冷水を一気に飲み干した。


「それで。俺はなにをすればいいんですか」


 Jは優雅な仕草で髪を耳にかけ、頷いた。


「そうこなくっちゃ」

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