第3話

 貴島志喜は異世界に愛されている。


 それが私の出した結論だった。


 まず第一に魔法のセンスがずば抜けて高い。私はこの世界の魔法について、何の呪文がどの程度の威力で、どの程度のコストを代償としているのかを全く把握していなかったが、少なくとも右手に炎を、左手に風を発生させながらそれを混ぜ合わせて射出している魔法の使い手を、私は貴島以外に知らなかった。ひとたびフィールドに出れば当たり前のようにモンスターが襲ってくる生活の中で、武器や魔法を用いてそれを退治し生活の糧としている人間は私たちのほかにもたくさんいた。時には共闘も小競り合いも発生した。貴島に付き添ってあらゆる魔法や技術を目の当たりにはしてきたが、それでも貴島のようなフットワークの軽く柔軟な魔術師には一人も出会わなかった。


「シキさんのそれは、詠唱短縮でもありませんわよね?」


 いつだったか、大型のモンスターを討伐した際に共闘することになったパーティーの魔術師が言った。いかにも魔女らしい三角帽子の鍔から、三角の耳が飛び出していた。


「詠唱短縮?」

 ところで、この時の私は既に異世界の人々とのコミュニケーションを円滑に行えるようになっていた。語学が充分に身についていない段階で留学した人の中で、とある瞬間から急に相手の言っていることがわかるようになる、という経験をする人も一定数いるようだったが、私の場合は相手の話に一生懸命耳を傾けるより、一生懸命に剣を振っている最中、突如として貴島以外の人間の話す言葉が理解できるようになった。その瞬間というのは、ある一体のモンスターの息の根を止めたタイミングだ。その直後から頭の中を覆っていた霧が晴れたように明晰になり、周囲の声が途端に意味をもって耳の奥に流れ込むようになった。『レベルが上がった』という概念をここまで体感的に理解したのは初めてのことだった。


「魔法の呪文っつーのは普通、なんかごちゃごちゃ前置きを唱えなくちゃいけないものらしいんだけどな。大掛かりで威力の高い魔法だと特に。それを唱えずにデカい魔法をバーンと撃てる魔術師が、たまにいるらしい」


 三角帽子の魔術師に向けたはずの私の質問に、なぜか異世界ビギナーであるはずの貴島が回答した。私が異世界の言語を操れるようになってから、貴島はあからさまに元気になった。わざわざ通訳しなくても会話が進むことへの開放感もあっただろうが、時期的な要素も絡んでいただろう。

 一週間が七日、一ヶ月が約四週間──現代日本と何ら変わりない暦を使っているこの世界において、さらに時計の表示と進み方までもが全く同一であるこの異世界において──貴島の妹の結婚式当日がいつであるかを知ることは容易だった。カレンダーの文字を読むことができるようになってからはなおさらで、異世界のカレンダーに書かれている数字は10だった。10月の10。私たちが現代日本から転移してきたのは10月3日から4日の間の夜だったはずだから、その週末となれば結婚式は8日か9日のどちらかだ。結婚式はとっくに終わっていた。


「ええ。でも、シキさんの使う呪文はごくごく初級ですわ。『フレイム』、『サンダー』、『アイス』、『ウインド』……詠唱を必要としない、威力の低い魔法のはず。ですのに、あれだけ大きな効果を得るだなんて……」


 先の戦闘を思い出してのことだろう、三角帽の魔術師は悩ましげに頬を押さえた。


「……志喜の性格は人に好かれますから。精霊もつい志喜に力を貸したくなってしまうんでしょう」


 異世界の言語を我が物としてから体感で理解したことだが、この世界の魔法は、人間の目に見えない精霊の力を、精霊の好む言葉を使って借り受けることで発動するようだった。貴島が言うところの「前置き」は簡単に言えば精霊を喜ばせる言葉の束で、それを使って精霊のご機嫌を取ることで威力の高い魔法を放つことができる。

 とすれば、普段の振る舞いの時点で精霊に「この人間には力を貸してやりたい」と思わせることができる人間であれば、詠唱なくして高威力の魔法を使うことも、まして詠唱を使わない最下級の号令のみで上級と同等の威力の魔法を放つことも、理論上は可能なのではないか。


 そう私は考えている……のだが。


「なになに泰ちゃ〜ん! 急に俺のこと持ち上げちゃってさ〜。さては俺の華麗なる実力に惚れ直したな!」

「痛い! やめろ……ったく」


 貴島は酒に酔ってでもいるかのように、一切の遠慮なく私の肩に腕を絡ませてくる。先の戦闘で少なからず負傷しているので、治療もしないうちから負荷をかけるのは控えて頂きたい。


 ……とはいえ、それでこそだ。


 それでこそ貴島志喜。


 お前はただ気のままに笑って、周囲の人間を奔放に振り回していればそれでいい。


「タイ……チャン?」

 三角帽の魔術師の戸惑う声を聞き、私は慌てて訂正する。


「ああ……いえ、これは渾名のようなもので」

 この世界の人々には姓がない。あるのは下の名前だけだ。貴島はこの世界でそのまま「シキ」と名乗り、私は苗字の「東屋」から「アズマ」とだけ名乗っていた。ハンドルネームのようなものだからすぐに慣れたが、下の名前である「泰誓」の要素は欠片も残っていないので、貴島が私のことを「泰ちゃん」と変わらぬ呼び方で接してくるのは、時と場合によっては少しヒヤヒヤする。


「お二人は仲がよろしいんですのね」


 微笑ましいといった感じで肩を揺らした三角帽の魔術師が、一拍置いてこう切り出した。


「お二人の実力なら──もしかしたらあのダンジョンも攻略できてしまうかもしれません。難攻不落の『王都のダンジョン』を」

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