親に毒を盛られて生死の境をさまよう伯爵令嬢、幽体離脱していたのをいいことに逆襲する

亜逸

親に毒を盛られて生死の境をさまよう伯爵令嬢、幽体離脱していたのをいいことに逆襲する

 伯爵家令嬢パメラ・エリメールは、現在自分を取り巻いている状況に困惑していた。


 今日パメラは、父でありエリメール家の当主であるダラスの計らいにより、以前から恋仲にあった男爵家長男イスク・アルヌークとの縁談を行うことになった。


 場所はエリメール家の館。

 イスクと、彼の父であるアルヌーク男爵を招き入れ、縁談の前にまずは両家の親交を深めようと開かれた食事会の際に事件は起きた。


 パメラは料理を口にしてからほどなくして強烈な虚脱感が襲われ、床に倒れてしまったのだ。

 娘が倒れる様を見たダラスが、イスクとアルヌーク男爵に向かって料理に毒を盛ったなと言いがかりをつけ、衛兵に二人を捕らえるよう命じる声が聞こえたのを最後に、パメラは意識を失った。


 それだけでもパメラを困惑させるには充分だったが、本当の意味で困惑させられたのはその後だった。


 気がつけば、宙に浮かんでいたのだ。

 床に倒れている〝パメラ自分〟を見下ろしていたのだ。

 おまけに、全身が透けて見えるのだ。


『これはいったい……』


 困惑をそのまま口にするも、イスクたちが衛兵に連行されたことで一人部屋に残っている、ダラスの耳に届いている様子はなかった。

 それどころか、目の前に娘が宙に浮かんでいるにもかかわらず、全く気づいていない様子だった。


 そんな父の反応が、娯楽小説が大好きなパメラに一つの結論を導き出させる。


『もしかしてわたくし、幽体離脱してますの!?』


 まさかの体験にちょっとだけテンションが上がりそうになるも、そもそも幽体離脱の発端となった出来事を考えたら喜んでもいられないで、フルフルとかぶりを振る。


『そもそもこの状況、何もかもがおかしいですわね』


 まず断言できることは、イスクも、その父であるアルヌーク男爵も、絶対に自分に毒を盛ったりしないことだった。


 パメラはイスクのことを心の底から愛しているし、イスクもパメラのことを心の底から愛している。

 アルヌーク男爵はそんな二人の仲を応援し、二人が婚約できるようエリメール伯爵家に何度も何度も働きかけてくれた。


 一方、パメラの父であるダラスは、パメラのことを何かと疎んでいた。

 さらに言えば母親も、パメラのことを何かと疎んでいた。

 パメラが爵位が一番低い男爵家の長男イスクと恋仲になり、エリメール伯爵家よりも爵位の高い家との縁談をことごとく拒否してきたことが原因だった。


 しかも、ただ疎むだけではなく「お前、なんで生きているんだ?」とか「役に立たないゴミが」とか「お前なんて産むんじゃなかった」とか、およそ実の娘に向けるものとは思えない言葉を、毎日のように浴びせられた。

 親の言うことを聞かなかったことはパメラも悪いとは思っているが、それでもこの言いようはあんまりにもあんまりだった。


 しかしある日、ダラスは突然パメラとイスクの仲を認めた。

 そして縁談の場を設け……結果、パメラは毒を盛られて意識を失い、幽体離脱してしまった。


『怪しいのは父上ですが、いくらわたくしのことが嫌いだからって、そこまでするとは……』


 仲は最悪だとはいっても親は親。

 だから信じてあげたい――そんなパメラのか細い願いは、部屋にやってきたパメラの母イトナによって破られることとなる。


 イトナは室内に余人がいないことを確認してから、ダラス訊ねる。


「あなた、……ちゃんと死んでいますの?」


 床に倒れている〝パメラ〟を指差しながら、耳を疑うような言葉を吐く。


「心配するな。呼吸も心臓も止まっていることは確認済みだ。だからこのとおり……」


 ダラスはあろうことか、〝パメラ〟の頭をグリグリと踏みにじり始める。


「ここまでやっているのに、何の反応もないだろう?」

「そのようね。……よかった。ちゃんと死んでいてくれて」


 人の親とは思えない――いや、同じ人間とは思えない二人のやり取りに、パメラは幽体でありながらも目眩を覚えそうになる。

 自分に同じ血が流れているという事実に、おぞましさすら覚えそうになる。


 だが、


 パメラは本当の意味で両親に幻滅するのは、これからだった。


「とはいえ、ゴミはゴミなりに使い道がありましたわね」

「うむ。此奴こやつが男爵家如きの長男と結婚すると聞かなかった時は頭を抱えたものだが、まさかその男爵家の領地できんが採れる鉱山が発見されるとはな」

「けれど、ただイスク・アルヌークと結婚させただけでは鉱山を独占することができない。だから、イスクとアルヌーク男爵にゴミを毒殺させたことにして、アルヌーク領を、ひいては金が採れる鉱山をいただくって寸法ね」

「そういうことだ。ゴミとはいえパメラは儂らの娘だからなぁ。儂らに疑いの目を向けられることはあるまい」

「まさしく、完璧な計画ですわね!」


 二人して、高笑いし始める。

 イスクとアルヌーク男爵に濡れ衣を着せることに成功したとしても、アルヌーク領は国に接収される可能性の方が余程高いとか。

 そもそも自分の館に招き入れている時点で、疑いの目を向けられる可能背いはむしろ高いぐらいだとか。

 完璧とは程遠いことに気づいていない両親の頭の悪さはさておき。


『そんなくだらない理由で、わたくしに……実の娘に毒を盛って……イスク様とアルヌーク男爵に罪をなすり付けて……』


 その全てが、どうしようもないほどにゆるせなかった。


 その全てが、どうしようもないほどにやるせなかった。


『それが人間のやることですのっ!! お父様っ!! お母様っ!!』


 聞こえるはずもない怒声を二人にぶつけた、その時だった。


 テーブルの上に並べられている、そのほとんどが手付かずになっている料理。

 それらが突然、一斉に四方八方に飛び散ったのは。


「うわぁッ!?」

「きゃあッ!?」


 ステーキに顔面を殴られたダラスが、ポタージュを全身に浴びたイトナが悲鳴をあげながら後ずさる。

 瞬間、娯楽小説脳のパメラは、今し方起きた現象を理解する。


『まさか……〝ぽるたーがいすと〟!?』


 そうこうしている内に、騒音を聞きつけた衛兵が二人ほど部屋にやってきたので、試しに二人の腰に差してある剣を抜くよう念じてみる。


「ダラス様! イトナ様! いったい何が――ぁあッ!?」


 二人の衛兵は、ひとりでに抜かれた自分たちの剣が宙に浮かぶ様を見て、腰を抜かしそうになる。

 これ以上騒がれても面倒なので、パメラは念を送って剣を操り、柄頭で二人のこめかみを強打して昏倒させた。


「ま、まさか……パメラの呪いだとでもいうのか!?」

「そ、そんなことよりもあなた! 早くここから逃げるわよ!」


 逃げ出そうとするダラスとイトナ。

 当然パメラは二人を逃がすつもりはなく、〝ぽるたーがいすと〟によって吹き起こした風で二人を壁際に追いやると、ナイフとフォークを操り、着衣越しから壁に突き刺すことで二人を壁に縫い止めた。


 当然それだけではパメラの怒りは収まらず、割れていない赤ワインの瓶を宙に浮かせると、詮を抜き、中の赤い液体を使って血文字さながらに中空に文字を象らせる。


 ――あなたたちは、わたくしに毒を盛った。


 ――実の娘に毒を盛った。


 ――許さない。


 ――絶対に許さない。


 ――絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶――……




「「ひぃいいぃぃいいぃいぃぃいぃッ!!」」




 恐怖のあまり、ダラスとイトナが二人仲良く悲鳴をあげ、二人仲良く失神する。

 人でなしの割りには情けなさすぎる両親にパメラは心底辟易するも、許さないと言いつつもこの程度で済ませている自分の甘さにも、少しだけ辟易してしまう。


『……イスク様とアルヌーク男爵を助けに行かないと』


 そう自分に言い聞かせ、幽体で空を飛ぶという感覚に慣れるのに四苦八苦しながらも部屋を後にする。

 幽体離脱こんなことになってしまったからにはもう、自分は助からないかもしれない――その可能性から知らず知らずの内に目を背けているのか。

 パメラは床に倒れたままになっている〝パメラ自分〟に、一瞥もくれることはなかった。


 それからパメラは、幽体であるのをいいことに壁をすり抜けて館内を飛び回り……ほどなくして、イスクとアルヌーク男爵が囚われている部屋を発見する。


 二人が部屋の隅に縄で縛られていること、四人の衛兵を見張りにつけていることを確認すると、〝ぽるたーがいすと〟で四人の剣を鞘から抜いて意表を突き、その隙に柄頭で強打して昏倒させるという、先と同じパターンで瞬く間にその場を制圧した。


『さあ、お二人とも。早く逃げてください』


 どうせ聞こえるわけがないと思いつつも、〝ぽるたーがいすと〟で二人の縄を解いた、その時だった。



「パメラ……なのか……?」



 まさかすぎるイスクの言葉に、パメラは瞠目してしまう。


『イスク様……まさか、わたくしが見えていますの!?』

「い、いや、すまない。君の姿は見えない。だが、君の声ははっきりと聞こえる」


 と、イスクは答えてくれてはいるものの。

 アルヌーク男爵からしたら突然息子が独り言を言い出したように見えておらず、イスクの隣で困惑しきりになっていた。


 説明している暇はないと判断したのか、困惑する父には構わずイスクは続ける。


「本当にそこにいるのか、パメラ?」

『はい。幽体……よりわかりやすく言えば、幽霊になりますが』

「幽霊になっているということは……まさか!?」


 最愛の人イスクが表情を悲痛に歪ませ、口ごもる。

 ここから先の言葉をこの人に言わせてはいけない――そう思ったパメラは、イスクたちに罪はないという真実とともに、散々目を逸らしてきた現実を言の葉に乗せた。


『父がわたくしの料理に盛った毒で死んでしまったせいで、わたくしは幽霊になってしまったのだと……思います』

「そんな! いや、それよりも、本当に君のお父上が毒を盛ったのか?」

『……はい。父と母が共謀してわたくしに毒を盛り、その濡れ衣をイスク様とアルヌーク男爵に被せ、アルヌーク領を奪い取るという算段でいることを、はっきりとこの耳で聞きました』


 イスクの表情が、ますます悲痛に歪む。

 自分の死を受け入れたことよりも、最愛の人を悲しませてしまったことがつらかったパメラは、知らずイスクから目を逸らしてしまう。


 ややあって、


「……父上」


 一人状況についていけていなかったアルヌーク男爵は、イスクに呼ばれたことにビクリと驚きながらも「なんだ?」と返す。


「エリメール伯爵は自分の娘に毒を盛り、その濡れ衣を僕たちに被せるつもりです。ですので、今すぐこの館を脱出し、国にこのことを報告してください」

「そ、それはまことなのか? ……いや、この状況を鑑みれば、そう考えた方が合点がいくか」

「そういうことです」

「話はわかったが、イスク。お前はどうするつもりだ?」

「僕は……」


 イスクがこちらを見つめてくる。

 その顔立ちがあまりにも真摯で、あまりにも精悍だったものだから、パメラは心臓もないのにドキリとしてしまう。


「パメラを救います」

「そうか……わかった」


 その言葉を最後にアルヌーク男爵が部屋を去っていく中、パメラはおそるおそるイスクに訊ねる。


『わたくしを救うと言っていただけるのは嬉しいですが、幽体離脱こうなってしまった以上はもう……手遅れかと』


 最後の言葉は自分でも受け入れられなかったせいか、絞り出すような声音になってしまった。


「君が死ぬなんて認めないし受け入れられない。それだけだよ」


 言いながらイスクは歩き出し、部屋の外に出る。

 こうして話している時間すらも惜しいと言わんばかりに。


『で、ですが、どうやってわたくしを――』

「解毒剤を飲ませる。料理に毒を仕込んだシェフが持っているはずだ」


 こちらの言葉を遮って、イスクは断言する。


『い、今さら解毒剤を飲ませたところで、間に合うとは思えな――』

「間に合わせる。絶対に」


 またしてもこちらの言葉を遮って、断言する。

 そのあまりの揺るぎなさに、一途さに、熱くなるはずもない胸が熱くなる。


(これ以上は、否定するだけ野暮というものですわね)


 そう思ったパメラは、イスクに負けず劣らず揺るぎない物言いで提案した。


『でしたら、先程わたくしたちが食事をしていた部屋に戻ってください。父の性格を考えると、まず間違いなく不測の事態に備えて解毒剤を隠し持っているでしょうから』

「! わかった!」


 目的地が明確になったからか、イスクは廊下を走り出し、パメラは空を飛んで彼の後を追う。

 ほどなくして部屋に辿り着き、壁に磔にされているパメラの両親――ダラスとイトナを見てイスクはギョッとするも、


「……いや。見た目ほどひどいことにはなってないか。親とはいえ、自分を殺そうとした相手だというのに……やはり君は優しいな。パメラ」

『そ、そんなことありませんわ』


 照れくさくなったパメラは、思わずイスクから顔を逸らしてしまう。


『……それよりイスク様』

「わかっている。……失礼します」


 いまだ失神しているダラスに一言断りを入れてから彼の懐をまさぐり、解毒剤が入っていると思しき小さな木瓶を発見するも、


「パメラ、どう思う?」


 ダラスの懐から見つけた木瓶を、こちらに見せてくる。


「おそらく――いえ、間違いなく、片方には毒が、片方には解毒剤が入っているでしょう」

「やはりそうか……」


 イスクは木瓶の栓を開けて中を覗き込んだり、匂いを嗅いだりしてみるも、


「……駄目だ。見た目も匂いも違いが感じられない」

『ならば、いっそのこと両方ともわたくしの口に流し込んでみては?』

「それも駄目だ。君が幽霊になっている以上、君の肉体は今抜け殻の状態になっている。直接口に流し込んでも、解毒剤を飲ませることはできない」


 ならばどうやって?――と訊ねる前に、娯楽小説脳のパメラは、イスクがどうやって床に倒れている〝パメラ自分〟に解毒剤を飲ませようとしているのかを理解する。


(も、もしかしなくても口移し……ですわよね?)


 いまだ婚約を結んでいないからという理由により、パメラはいまだイスクと口づけを交わしたことがない。

 熱くなるはずもない頬が熱くなるのを感じるも、問題はそこではないとすぐさまかぶりを振り、頭を切り替える。


『だとしたら、もしイスク様が毒の瓶を口に含んでしまったら……』

「……君を救うどころか、僕も死んでしまうかもしれないね」

『そ、そんなの駄目ですわっ!!』


 だからわたくしのことはもういい――と言おうとするも、「言わせない」とばかりにイスクに見つめられ、口ごもってしまう。


「パメラ。ここは君の父上を起こして、どちらが解毒剤か確認するというのはどうだろう?」

『それだけは絶対に駄目ですわ。あの父がまともに答えるとは思えません。余計に混乱させられるのが目に見えています』

「……そうか。ならば、迷うだけで時間の無駄だな」


 言葉どおり、イスクは迷うことなく、無造作に木瓶の片割れを口に含む。


『え? あ、ちょっ……!?』


 パメラが狼狽えている間に、イスクは〝パメラ〟を抱き起こし、その唇に自身の唇を重ねた。




 数日後――




「まったく……あの時は本当に無茶をしてくれましたわね」


 アルヌーク男爵邸の一室で、アフターヌーンティーに興じていたパメラが、テーブルを挟んで対面に据わるイスクに唇を尖らせた。


「わたくしが父に飲まされた毒は、瞬く間に体の自由を奪うもの。あの時イスク様が解毒剤を引き当ててなかったら、本当に二人揃って天国に行っていたところでしたわよ」

「なに。その時は天国で君と添い遂げるだけだよ」


 臆面もなく言うイスクから、パメラは思わず顔を背けてしまう。

 生身ゆえにしっかりと熱くなった頬には、本人が思っている以上にしっかりと朱が差し込んでいた。


 二人無事でいることからもわかるとおり、イスクはあの時、解毒剤の入った木瓶を見事に引き当ててみせた。

 事件後、念のためもう片方の木瓶を識者に調べてもらったところ、しっかりと毒が入っていたものだから、数日経った今でもパメラは生きた心地がしていない。


 そして、今回の事件を企てたパメラの両親は、アルヌーク男爵の報告と、他ならぬ実の娘パメラの証言によって、爵位の剥奪を筆頭にいくつもの厳罰を受けることとなった。

 その結果としてエリメール領は接収されることになったが、アルヌーク男爵家に嫁入りすることが決まっていたパメラにはどうでもいい話だった。

 実の父と母だからこそ極刑にはならないよう働きかけはしたが、それ以外のことは知ったことではなかった。

 そういった意味でも、やはり自分はイスクに「優しい」と言われるような人間ではないと、パメラは思う。


「……パメラ。なにか、僕にしてほしいことはあるかい?」

「突然どうしたのですか?」

「いや、優しい君のことだから、ご両親のことで胸を痛めてるんじゃないかと思って」

「胸を痛めるどころか、せいせいしてるくらいですわ」


 とは言うものの、折角の申し出だったので思い直すことにする。

 なぜなら、幽体離脱してしまったせいで、イスクとのことで一つだけ心にができてしまっていたから。


「ですが……そうですね……一つ……お願いしても……?」


 これからお願いする内容が内容だからか、ますます頬が熱くなっていくのを感じながらもパメラは続ける。


「解毒剤を口移ししたあの時……事実上は……その……〝わたくし〟とあなたにとってのになるわけですけど……肉体なかに入ってなかったわたくしは……まだを経験していないわけでして……」


 パメラが言わんとしていることを察したイスクが、淡い笑みを浮かべる。


「わかったよ」


 その言葉どおりに完璧にお願いに応えてくれたイスクは、パメラの唇におのが唇を優しく重ねた。

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