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Column14 「壮絶」という言葉のイメージ」への応援コメント


  • 編集済

    「壮絶な最期を遂げた」という言葉から入ったような記憶がありますので、
    「悲惨、惨たらしい」よりは、「非常に勇ましく、そしてそこに大きな悲しみを感じる」というニュアンスで捉えていました。
    本来は「きわめて勇ましいこと」だけだったんですね。

    作者からの返信

     吾妻藤四郎さん、コメントありがとうございます。
     >「壮絶な最期を遂げた」という言葉から入ったような記憶がありますので、~
     吾妻さんの「壮絶」という言葉との出会いは、「壮絶な最期を遂げた」が最初だったのですね。「非常に勇ましく、そしてそこに大きな悲しみを感じる」という意味として捉えていたとのこと。「壮絶」のなかにある「勇ましい」という部分が忘れがちななかで、その点を拾われているところがさすがです。

     >本来は「きわめて勇ましいこと」だけだったんですね。
     そうですね。挙げてくださった「壮絶な最期を遂げた」のように、使われる場面によって「悲しみ」「悲惨」という意味もあるように思われてしまったのかなと思います。

  • 「凄惨」→「凄絶」→「壮絶」でしょうか。「凄惨」という言葉が強烈すぎて、音が似た言葉にも「凄惨」のイメージが映っていってしまっているような気がします。

    作者からの返信

     花時雨さん、コメントをありがとうございます。
    「壮絶」が、元の意味とは違うものとして認識されるようになった経緯について、想像してくださったのですね。
     一応有力な説としては、「『想像を絶する』との混同」があるのですが、なるほど、「凄惨」の言葉には強い印象があります。その影響を受けて、「壮絶」は「凄惨」に似たような意味として捉えられたという考え方は一理あるかもしれませんね。