Column14 「壮絶」という言葉のイメージ

 ——壮絶な戦いだった。


 突然ですが、皆さんは上記の一文を読んで、どんな戦いをイメージしたでしょうか。


「壮絶」とは「きわめて勇ましいこと」(『明鏡国語辞典 第三版』より)。


 そのため、「壮絶な戦いだった」は「きわめて勇ましい(戦いだった)」という風に捉えるのが正解です。しかし、「悲惨な、むごたらしい(戦いだった)」とイメージする方も多くいるようです。


 実は私も、最初はそういう意味として捉えていました。

 ある漫画で「彼の壮絶な孤独は――」というようなセリフがあり、前後の文脈や物語から推理すると、この場合の「壮絶」は「悲惨な」とか「たとえようもなく、すさまじい」などの意味であると考えられます。

 そのため、「壮絶」には大きな悲しみがまとったような、甚だしさのようなものがあると思っていたのです。


 しかし、「壮絶」の「壮」には「意気・血気が盛んで勇ましいこと。また、大きくて立派なこと」というような意味があり、「絶」には「壮」の意味を強調する「非常に」とか「この上ない」として使われていることを考えると、「悲惨な、むごたらしい」として捉えるのは不適切であることが分かります。


 では、「壮絶」は「きわめて勇ましい」以外の使い方をしてはいけないのか、というと、それもまたはっきりとは言えなくてですね……。


 もちろん、「悲惨な、むごたらしい」として捉えるのは、「壮」の意味からすると難しいのですが、程度の甚だしさ、つまり「きわめて」とか「たとえようもなく」という意味として使うことを否定することはできないようなのです。


『三省堂国語辞典 第八版』を引いてみると、「②はげしさや、異常さが感じられて、おそろしいようす。凄絶(おそくとも終戦直後からある用法)」や「③程度がひどいようす」と書いてあります。また、『大辞泉』には「『壮絶ないじめ』のように、すさまじいさま、むごたらしいさまの意で用いられることがある」とも書いてありました。


 それくらい多くの人たちが、「壮絶」を元の意味とは違うもので使っているということでしょう。


 ただ、元の意味とは別に、「はげしさや、異常さが感じられて、おそろしいようす。凄絶」の程度の甚だしさの語釈に挙げているのは、私が確認した辞書のなかでは『三省堂国語辞典 第八版』のみでしたし、『大辞泉』でもそういう風に用いられることがあると書いてあるだけで推奨しているわけではありませんでした。


 そのため、今のところはまだ「壮絶」は「きわめて勇ましいこと」、という意味として用いた方が無難かなとは思います。

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