第29話 ぱらいそ -What The Hell-
『殲姫シルクマリア』こと種田=シルクマリア=絹。
彼女の原初の記憶にこびりついているのは寒く凍った故郷、北邦・於頭藩の海景色だった。
魚はよく獲れたが、物なりは悪く、冬は雪に閉ざされとにかく寒い。
どこか閉塞感の立ち込める地であったと、後に故郷を失ってから絹は回想する。
「絹よ、海を渡り西欧の世界を見て来い」
八年前。
於頭・種田の乱が勃発する前年のこと。
父、於頭藩主・種田=オーギュスターン=麻時は絹を呼び出してそう告げた。
「私が……海の向こうに?」
「そうだ。お前ならば諸国の進んだ文化技術を吸収し、閉塞した逝原に一石を投じることもできよう」
麻時は、そう断言した。
当時、絹は十二歳。
結婚していてもおかしくない年頃であったが、絹も麻時も、彼女が家庭に入るなどという道は考えすらしていなかった。
「嫁にやるにも、この地で終わらせるにも、あまりに惜しい。神から授かった才覚を活かさずに捨て置くのは冒涜ぞ」
「ゆえに、外ですか」
「そうだ。閉じきったこの逝原の地に、いかなる可能性が残っているというのだ。こうしている間にも、大陸諸国の文明はどんどん進んでいる」
麻時の言うことにも一理があった。
戦国時代後期より西欧の異教を受け入れた於頭の地では、西欧の学術・文化を取り入れた知の体系が確立されつつあった。
幕府の締め付けがあるせいでなりを潜めてはいるが、そこに可能性を感じる父の気持ちも分からないではなかった。
しかし、絹は醒めた目で父に問う。
「ですが、いかに渡りをつけるのです。今や外事は幕府に固く禁じられております。人を送るなど、明確な謀反行為ではありませぬか」
「問題ない。奴らの目をかいくぐる専門家がおる」
「専門家……?」
「いかにも」
「っ!」
男の声がして、絹は背後を振り返った。
座敷の隅に、見知らぬ男がたたずんでいた。
「お初にお目にかかる、絹姫よ」
人皮の仮面を被った、異様な気配を纏うつわものだった。
覗き穴から光る二つの目は、刃のように鋭く冷たい。
ただものではない。
醒めた物の見方をする絹であっても、そう思わざるを得なかった。
「おお蠱師どの。貴方から見て、我が娘の才覚はいかほどか」
「逸材だ。地獄を見れば見るほど研ぎ澄まされる、修羅の才がある」
「おおっ!」
「麻時どのが望まれるならば、我が弟子として一端のつわものに仕立ててもよい」
「是非に、是非に!」
父・麻時が手を打って喜ぶのを横目に見ながら、絹は危うさを覚えた。
それは、野生動物を見てそれが有毒か否か自然と見分けられるような、言葉に表せない勘働きに過ぎなかった。
だが、それでも絹は確信した。
目の前の『蠱師』は、猛毒を秘めている。
少なくとも、麻時の手には余るだろう。
しかし警戒する反面、絹は自分の心の中でふと沸き立った思いにも気が付いていた。
(『外』……海の向こう、か)
絹は、窓の外を見た。
きっと海の向こうでは、こうもやかましく雪なんて降ったりはしないのだろう。
今の生活に不満があるわけでも、才能がどうとか大層な使命感もない。
ただ、『外』に自分の知らない世界があるならば、それを見てみたかった。
(少なくとも、ここにいるよりは……)
絹は蠱師の前にひざまずいた。
「そのお申し出、お引き受けいたします。どうか、私を貴方様の弟子にしてください」
種田絹。
後の洗礼名を、種田=シルクマリア=絹。
彼女の願いは、初めはほんのささやかなものだった。
こことは違う場所に行って、知らない景色を見てみたい。
ただ、それだけだった。
◆
対『虫斬り雹右衛門』の戦闘方針は王槐樹と同じく『近づけないこと』。
彼を殺すための最初の一手は決めてあった。
「業物『八俣大蛇』」
羽々斬を手にした雹右衛門が迫って来る一方で、シルクマリアはそれを迎え撃つべく大蛇の引き金を引いた。
型番は八。
最初の一発目に籠められた弾丸は、特別製の毒を孕んでいる。
「『八塩折』」
見えず触れず、弾丸の放たれた音も無い。
王槐樹を仕留めた魔弾だ。
その正体は、後に『青酸』と呼ばれ、主に秘密警察らによって暗殺に用いられることとなるシアン化水素を含む化合物であった。
その沸点は摂氏26度。
気化した青酸瓦斯の致死濃度はおよそ〇.〇二七パーセント。
吸い込めば呼吸器系が麻痺し、死に至る猛毒である。
発射した瞬間には弾丸の形をしていた毒が融解し、気化しながら相手に向けて降りかかり、人を殺す。
気体が人を殺すとは、まだ理解されていなかった時代である。
例えば温泉地や火山地帯などでの炭酸ガスによる死亡事故は昔から存在したが、逝原の人々にとっては祟りや呪いの領域でしか理解されていなかった。
ただ一つ、例外があるとすれば。
「羽々斬もまた、瘴気を扱う業物だ」
雹右衛門は羽々斬を思い切り振りきった。
急速に気化した極低温窒素ガスが気流を起こし、青酸の毒霧を裂いた。
「斬ったのですか、不可視の弾を……」
しかし、それはまだ想定の範囲内。
「所詮は一度晒した手札。足止めで十分」
シルクマリアは間髪を入れずに大蛇を三発撃ち込んだ。
いかに達人と言えど、連発された銃弾を全て弾くことはできない。
「くっ……」
シルクマリアに向けて直進していた雹右衛門は左右に弾をよけ、その勢いを失った。
合わせて四発、ここまで使ってようやく雹右衛門の前進を止めることができた。
両者の距離は、およそ五歩。
「この距離では、私が圧倒的有利です」
シルクマリアは左手に構えた大蛇を雹右衛門に向けたまま、空の右手を腰に伸ばす。
「業物『加具土』」
これも王槐樹戦で晒した手札だが、奇襲性が全ての『八塩折』とは違い、加具土はバレても痛くもかゆくもない。
「焼け死になさい」
抜きざまに、一太刀。
切り上げる形で雹右衛門を火炎でなぎ払う。
対して、雹右衛門は横に飛ぶことで炎の刃を躱した。
(速い……でも、王槐樹ほどではない)
シルクマリアは兜の奥で笑みを浮かべた。
(そうですとも。あんな化け物が、そうそういてたまるものか)
問題ない。
近付かせずに、中距離で抑えきれる。
シルクマリアは確信した。
「雨でぬかるんだ地ではいつまでも躱せないでしょう。天も地も、私を味方してくれている」
シルクマリアは有利を確信し、加具土による後隙を埋めるべく大蛇の五発目を構えた。
その刹那、シルクマリアの背筋を寒気が走った。
「独言髑髏よ、発想を借りるぞ」
「え?」
白煙を纏った刃がシルクマリアの眼前に迫っていた。
雹右衛門の手を離れた羽々斬が、真っすぐにシルクマリアの頸めがけて飛んできた。
「『羽々斬』を投げたッ⁉」
雹右衛門を象徴する最大の『牙』の放棄。
予想外の一手に指を止めて逃れようとしたが、もう遅い。
飛来した刃を躱すのに精いっぱいで、照準がブレた。
ぱん。
的外れな方向に弾丸が飛び去っていくのと同時に、『羽々斬』がシルクマリアの兜を掠めた。
「く……ッ!」
兜の表面を掠めただけなのに、首筋に氷を押し当てられたような冷気が全身を襲う。
「なんという冷気……!」
一瞬、故郷の地が思い浮かぶほどの寒気と衝撃に、シルクマリアはひるんだ。
雹右衛門は既に、シルクマリアまであと二歩の距離まで詰め寄っている。
(丸腰で接近戦を挑むつもりですか。ならば)
シルクマリアは自らの後方を目だけで顧みた。
羽々斬は彼女に掠ったことで勢いを失い、すぐ後方のぬかるみに突き立っている。
シルクマリアは、雹右衛門に背を向けた。
接近してくる相手に背を向けるのは、通常ならば自殺行為。
(それでも、羽々斬を押さえられるならば……!)
たった半歩、仮に雹右衛門への対応が遅れるとしても、彼がぬかるみに足を取られる分を差し引けば釣りが来る。
ほぼ反射の速度で判断を下し、シルクマリアがその半歩を踏み出そうとした刹那……
ぐらり。
シルクマリアの身体が傾いた。
「っ!?」
既に、雹右衛門は一歩の距離に迫っている。
ぬかるみの地理条件が無ければ、今頃は……
「違う、これは……ッ!」
シルクマリアは自らの足元を見た。
ぬかるみが……足に絡みついた泥土が凍結され、シルクマリアの具足を拘束していた。
そんな状態と知らずに普段通り身体を動かそうとすれば、体勢を崩すのも道理。
(まさか、こうなることを狙って羽々斬を投げたか!)
雹右衛門は、瞬きもしないうちにシルクマリアにたどり着くだろう。
こうなることを確信していなければできない、全速の前進だ。
(私は、彼を侮っていた……!)
王槐樹に打ち勝った経験が、シルクマリアの目を濁らせていた。
雹右衛門が持つ恐ろしさは王槐樹とは別種。
緻密にシルクマリアの行動を読み、地の利を生かし、殺す算段を組み立てるその才覚。
『虫』を潰すような徹底的な殺人の才能にこそある。
「ま、まだよッ!」
シルクマリアは体勢を崩したまま左手の大蛇を雹右衛門に向けるが、その手首をあっさりと取られ、拘束される。
「ちっ……」
ただでさえ体勢を崩されていたシルクマリアは受け身も取れず、そのまま氷結したぬかるみへと倒れ込んだ。
雹右衛門は王槐樹の二の轍を踏まない。
倒れたシルクマリアを半歩素通りし、雹右衛門は羽々斬を引き抜いた。
「く……っ!」
「絹どの、苦しませはしませぬ」
雹右衛門は倒れたシルクマリアを見下ろし、羽々斬を突きの型に構えた。
その狙いは兜と鎧の隙間、首筋へと向けられている。
「急所には火薬は仕込めまい」
刃が突き入れられようとした刹那、
「その程度の冷気で、私の業火を消せるものか!」
シルクマリアは大蛇を捨て、左手手甲の隙間から伸びた紐に指を絡めた。
その紐の先には炸裂装甲『火産神』の起爆装置が繋がれている。
「! 自爆する気か」
回避は間に合わぬと見て、雹右衛門はそのまま羽々斬をシルクマリアへと突き入れる。
「凍れ」
「爆ぜろッ!」
殺意と殺意が交錯した、次の刹那。
二人は冷気と爆炎の嵐に包まれた。
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