最終章 蠱竜陀

第28話 最終試合 -Ice and Fire-


逝原の都に土砂降りの雨が降り注いでいた。

夏のうだるような暑さが遠のき、死合いの熱狂が嘘だったかのように大気が冷めている。


逝原城の一室から空を眺め、雹右衛門は思う。

(独言髑髏の死を悼んでいるのだろうか……)

柄にもない感傷だと、自分でも思う。

それほどまでに、独言髑髏の死は雹右衛門にとって大きかった。


こんこん。

戸を叩く音がした。

雹右衛門は息を呑み、戸を開く。


「兄さま」

「よく来たな、雪路。雨には降られなかったか」

「うん」


近くに人の気配はない。

雨の降りしきる都の景色を横目に、兄妹は正座して向かいあった。


「捕まっていたんだろう。その……大丈夫か?」

「うん、眠り薬を使われたみたいだけど……もう平気。それより兄さま、目の怪我は」

「おれは……大したことない」

「よかった」


二人は表面的な会話を交わすと、押し黙った。

次の言葉が見つからないでいた。

雨音がザァザァと部屋を満たし、時間だけが、どんどん押し流されて進んでいってしまうような気さえする。


(切りださねば。これは、おれが始めたことなのだ)


雹右衛門は息を呑むと、雪路の目を見た。


「雪路、聞いてくれ。おれが……『虫斬り雹右衛門』だ」

「……うん」


雪路は、小さく頷いた。


「逝原と契約して、金や情報と引き換えに業物使いたちを斬っていた」

「あの日の事件で奪われた業物を狩り集め、父上の仇を探すためだ」

「雪路の目を焼いた憎い相手を、おれは許すことができなかった」


一度堰を切ると、言葉がつぎつぎに溢れ出した。


ずっと秘めていたことを、改めて言葉にする。

すると、自覚していなかったことすら言葉になって表れる。


「斬って、斬って、斬って……いつしか、おれも『虫』になってしまったんだ。ひとたび『虫』と決めつけた相手を殺すことに、何のためらいも抱かなくなっていた。こんなおれを、雪路には知られたくなかった」


自らの言葉に、雹右衛門は「そうだったのか」と思う。

雪路を守るためと言いながら、その実はただ自分のしていることを知られたくなかっただけなのだ。


「だが、おれの覚悟が半端だったゆえ、結局は雪路を巻き込んでしまった」


雹右衛門は、頭を下げた。


「すまなかった。許してくれ」


明日の死合いがどう転ぶとしても、雪路の前からはもう消えよう。

畳を見つめながら、雹右衛門はそう決意しようとした。


その時。


「顔を上げて、兄さま」


雪路が、雹右衛門の肩に手を置いた。


「私、ずっと兄さまが心配だったの。私の見えないところでいっぱい苦労している兄さまが、いつかフッといなくなっちゃうんじゃないかって」

「……」

「巻き込まれることなんかより、兄さまがいなくなってしまうことの方がずっとイヤ。だから、兄さま」


雪路は、雹右衛門の頭に手を置いた。


「これからは、私も兄さまの業を背負うわ。戦うことはできないけど、城銀の人間として、兄さまを支え続ける」

「……駄目だ、雪路」


雹右衛門は首を横に振る。


「そうすれば、お前も幕府に目を付けられる。取り返しのつかない道を行くことになる」

「幕府を敵にしたってかまわない。兄さまと一緒に逃げられるなら、きっと幸せだと思う」

「雪路、だめだ……おれなんかのために、人生を棒に振るな……」


雹右衛門の言葉は、弱々しく、語尾になるにつれてグズグズに崩れていった。


「先に兄さまが、私のために使ってくれた人生よ。少しぐらい、私にだって」

「すまない。雪路、すまない……」

「ふふ、父さまに叱られて泣いてた兄さまが、帰ってきたみたい」


しばらく、言葉はなかった。

ただ雹右衛門の嗚咽だけが、雨にかき消されていく。


それもようやく収まった頃、雪路は窓の外を見やってつぶやく。


「マチちゃん……大丈夫かしら」


顔を手で拭いながら、雹右衛門は答えた。


「……幕府で保護すると、逝原柾国は言っていた」

「ここの人たちを信じていいの?」

「信じるべき……では、ないんだろうな。でも裏切られるまでは、従うしかない。独言髑髏の孫娘も、きっとそうやって生き延びるはずだ」

「どうして」

「祖父の仇が……おれが、まだこうして生きているからだ」


雹右衛門は、雨空を見上げた。


「時に、恨みや絶望は、希望や喜びよりも強く人を活かす薬にもなる」


雹右衛門にも覚えがある。

幸か不幸か、あの沸き立つような『虫』への怒りが無ければ、長い『業物狩り』の戦いを乗り越えられはしなかっただろう。


「独言髑髏に、孫のことを頼まれた。おれが生きてあの娘の憎しみを受け止め続ければ、きっといつかは」

「そんな悲しいこと……」

「これが、人を斬って背負った業だ。『虫』と蔑んでごまかしてきたが、おれはやはり人殺しだ。理由も経緯も関係ない。他の誰でもない、おれが背負わなければならない……」


雹右衛門は立ち上がった。


「おれは明日、絹どのと死合う。あの人はおれだ。たった一人の身寄りすら亡くしてしまったおれだ。誰かが、斬ってやらなければ」

「兄さまじゃなければ、駄目なの?」

「『人別帖』に残ったのは、今やおれ一人だ。幕府も、もはやおれにしか頼れぬのだろう」


一度は死を覚悟した。

しかし、今は生きなければならない理由がたくさんできていた。


「かならず戻る。見届けてくれ」

「うん」


いつしか雨空は割れ、雲間から天上の光が差し込み始めていた。


 ◆


明くる日の正午。

ぬかるんだ松殿島の地を踏みしめ、二人のつわものが向かい合っていた。


「絹どの、一つお訊ねしたい」


新調した笠に返ってきた羽織を纏い、雹右衛門は目前に立つ白銀の女戦士に訊ねる。


「何ですか」

「あなたには、幕府に人質に取られるものが何もない。ならば、いったい何故この死合いに臨むのだ」

「……」


白銀の板金鎧に身を包んだ絹は、覗き穴越しに雹右衛門を睨んだ。

その腰には業物『天照』と『加具土』、そして、腰の鞘には二丁の『八俣大蛇』の姿があった。


「私が求めているのは、幕府が把握している業物『伊弉冉いざなみ』の在処です」

「伊弉冉……?」

「あら、業物鍛冶の貴方がご存じないのですか? 業物の始祖が造りたもうた、始原の業物の一つですよ」

「そんなものが」

「対となる『伊弉諾いざなぎ』は既に我が師の手の内。伊弉冉をも黄泉帰らせ、逝原を討ち果たす。その目的のためなら、幕府の罠にも喜んで踏みこみ、道化も演じましょう」

「……止まりませぬか」

「止まれません。私たちは抜き放たれた刀、この期に及んで言葉は不要です」


シルクマリアは、腰の銃鞘に手を伸ばした。

対して、雹右衛門もまた羽々斬の柄に手を伸ばす。


「絹どの、貴女を斬る。ご覚悟召されよ」

「覚悟なら、初めから済んでいます」



『鬼門蠱竜会』最終試合

『虫斬り雹右衛門』対『殲姫シルクマリア』 



「はじめよ」


柾国の言葉を待たず、両者は同時に動き出した。

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