第27話 人斬り -Samurai Execution-


雪路のために、自らの命は捨てる。

ひとたび明確に死を覚悟してから、雹右衛門の世界は妙に静かだった。

くも八の隙を縫ってマチを撃とうとする攻防までは、それはまだ予感に過ぎなかった。

しかし雪路が危機を脱し、再びくも八と向かい合った時には確信へと変わっていた。


覚悟とは『覚え悟る』……つまりは深く知ることに他ならない。

雹右衛門にとって、その対象は『死』だった。


(死ぬと決めれば、この世のことはすべて空しい)


刃が迫ろうと針が目に突き刺さろうと「そうか」と思うだけだ。

一度『死』という零地点に足を踏みしめれば、世界はこんなにも静かだ。

あれもこれもと、多くを望み、感じ、考えるから簡単に揺らぐ。


(心地よさすら感じない。おれは、もう死んだのか……?)



「げっげっげ……花ぁ、開きやがったな。雹右衛門」

「はっ!?」


雹右衛門が我を取り戻した時、途端、褪せていた景色が色を取り戻し、観衆のどよめく声が万雷のように耳に響いた。

松殿島に立っているのは雹右衛門ただひとり。


振り返ると、くも八が地面に倒れ込んでいた。


「独言髑髏……っ」


雹右衛門は思わずくも八に駆け寄った。

うずくまっている身体を検めると、首から脇腹にかけて、羽々斬による白い凍結傷が刻まれていた。

間違いなく、傷は命に届いている。


「おれが、貴様を斬ったのか」

「そうだとも。真の戦は恨みも辛みも残らぬもの。儂にも覚えがある」


くも八は、夏だというのに白い息を吐いた。


「だから、気に病むこたぁない。老いぼれには過ぎたつわものと戦れて、満足じゃわい」


くも八は凍った血の塊を吐くと、凍えるように自らの身体を抱えた。

羽々斬による死を目前にした人間は、誰もがそうなる。


「ハァ……ハァ……生き残れよぅ、雹右衛門。でもって、頼みが、あるんだが、よぅ……」

「なんだ……!?」

「孫を、マチを……たの……む…………」


くも八はカクンと頭を垂れた。

そのまま前のめりに倒れそうになる身体を抱き支え、雹右衛門は彼を砂地に横たえさせる。


「独言髑髏……」


雹右衛門は、羽織を脱いでくも八の身体へとかぶせた。

衆目に彼の亡骸を晒したくない。

その思いから自然と出た行動だった。



『鬼門蠱竜会』第二試合

勝者『虫斬り雹右衛門』



雹右衛門は勝負を見守っていた観衆たちを見上げ、その一点を見つめた。


「雪路」

「兄さま」


雪路は観衆の最前列に立ち、勝負を見届けていた。

死合いの刹那、雹右衛門の脳裏からは雪路のことさえ消え去っていた。

しかし、今となっては、向き合わなければならない。


(今まで、黙っていて済まなかった)

(今はただ、兄さまと話がしたい)

(ああ。今度はちゃんと話す)


雹右衛門が小さくうなずくと、雪路もまたうなずく。

そして雹右衛門は、帰りの舟へと乗り込んだ。



水路から逝原城内の船着き場へと運ばれていった先で、柾国が待ち構えていた。


「見事であったぞ、『虫斬り雹右衛門』。目は平気かね」

「目? ああ、これか」


 笠を脱いだ雹右衛門は、左目に突き立っていた吹き針を抜いた。

 かすかに滲む血が、涙のように頬を垂れる。


「痛くないのかね」

「痛む。だが、それだけだ。そんなことより」


雹右衛門は柾国を睨んだ。


「独言髑髏とは、どんな契約を結んでいた。何と引き換えに、奴は死合いに臨んだ?」

「知ってどうするのかね」

「いいから答えろ」


雹右衛門の言葉遣いに、護衛の侍たちが目つきを険しくした。

しかし二人は構わなかった。


「孫娘・柄本マチの罪を見逃し、保護すること。今頃は我が手の者が、彼女を捕捉しているはずだ。くも八は、既にその対価を支払ったからな」

「奴も、自分以外のために死ぬつもりだったのか……」

「かめ腹(末期大腸がん)だ。長くて余命半年、むしろよくあそこまで動けたものよ」

「そうか……」


その時、物陰から忍びが這い出し、柾国に何か耳打ちした。


「ふむ」


柾国はうなると、雹右衛門を見やった。


「妹君が城門まで訪ねてきているそうだ。どうする?」

「会わせてくれ」

「承知した」


柾国が目配せすると、忍びはすべて察した様子で頭を下げ、城内へと消えていく。


「……逝原柾国。今一度、貴様に聞いておきたい」

「何かね」

「『鬼門蠱竜会』は何のためにある。何のために、おれたちは殺し合う」

「いつか話したはずだ。毒虫を競い合わせ、毒を以って毒を制するのだ」

「本当にそんなことで、戦国が終わるのか」

「そうだとも」


柾国は即答した。


「『毒』とはすなわち『武力』。持たなければ他者に殺され、かといって扱いを間違えれば持ち主をも狂わせ殺す。城銀家から奪われた業物は於頭・種田の乱に投入され、騒ぎの中で全国へと散らばった。それら一品一品が、戦国を再燃する火種となって燻っている。その炎に煽られ燃え盛る怨嗟の業火を、その目で見たはずだ」

「……絹どの。いや、『殲姫シルクマリア』か」

「そう。絹姫とその師を殺すことが、今や戦国を終わらせることを意味する。『於頭・種田の乱』も『業物狩り』も『鬼門蠱竜会』も、すべては城銀家の一件より始まり、明日の死合いで終わる」


城内へと進む雹右衛門の背に、柾国が告げる。


「勝て、雹右衛門。さすれば、全てはおのずと明らかになるだろう」

「……言われずとも」


雹右衛門は答えると、雪路の待つ城内へと去っていった。

その背を見送る柾国はつぶやく。


「独言髑髏との死合いが、奴をつわものとして数段の高みに導いたか」


そこに、新たに忍びが馳せ参じた。

それまでの忍びとは異なる、白装束のくのいち。

しかしその純白の衣には、ところどころ血の跳ねた痕が見受けられた。


「柾国様、『天下無双の王槐樹』の解剖が完了いたしました」

「して、結果は」

「殿の見立て通り、王槐樹の大脳の一部と大脳基底核、そして神経系を司る脊髄の中心部が常人では考えられないほどの異常発達を見せておりました。恐らくは、例の……」

伊弉諾いざなぎか。恐らくは、王槐樹も知らぬ間に処置を施されたのであろうな」


ご苦労。

柾国が目配せをすると、くのいちは一礼して通路の脇へと消えていった。


「人が業物を造るのではなく、業物が人を造る、か。神にでも成り上がったつもりか、城銀凍理しろがねこおりめ」


苦々しげにつぶやくと、柾国は城内を歩き出した。



第四章『独言髑髏くも八』完

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