第25話 妖老跋扈 -The Old Hunters-
幕末期に活躍した民俗学者『
『夜の都は髑髏の棲み処。
泥棒・やくざの名は出すな♪
髑髏が影で聞いておる。
独言髑髏が聞いておる♪
悪人殺しの髑髏じじい。
夜な夜な巷を這うておる♪』
底家はこの童謡について、どうやらこの『独言髑髏』という存在は妖怪の類ではなく、実在する人物が伝説化したものらしいと注釈している。
『独言髑髏くも八』こと柄本雲八。
『鬼門蠱竜会』に集った四人のつわものたちの中で唯一、後世にまで広くその名を遺している。
ただし、それは人としてではない。
夜な夜な都を徘徊し、悪人を無差別に斬ってまわる恐怖の髑髏妖怪。
因果応報を司る逝原三大怪談の一つとしてであった。
濠に浮かぶ松殿島にて。
十歩の間合いを隔て、二人の強者がそれぞれの武器を手に向かい合っている。
「さあ、どこからでもかかってこい小童」
『独言髑髏くも八』は嘯く。右手に小太刀を浅く握り、西洋剣術のような突きの構えで雹右衛門に切っ先を向けている。
先手は譲るつもりらしい。
しかし十歩の距離を開けて向かい合う雹右衛門は、同じく小太刀の業物『羽々斬』を構えるのみで動き出すことができない。
雹右衛門の心中は、それどころではなかった。
(なぜ雪路が、独言髑髏の孫と一緒にいる……⁉)
くも八の姿越しに望む、濠を挟んだ対岸に群れをなす観衆。
その最前列に、くも八の孫マチと雪路の姿がある。
恐らく、雪路に意識はない。眠り薬か何かによって昏倒させられているのだ。
(……人質を取ったか。卑劣な……っ!)
「来ないなら、こちらから行くぞぃ」
くも八は空の左手を振りかぶった。
その手が、一瞬袖の中に隠れて死角となった。
(暗器!)
最悪の想定をするならば、八岐大蛇や未知の業物を抜かれるのが一番怖い。
しかし、何をされるにせよ、くも八がそれを構えるまでに一手分の時間がかかる。
雹右衛門の動体視力ならば、その時間で十分に対処できる。
「げっははぁ!」
しかしくも八は、業物など構えずにそのまま左手を振り抜いた。
と同時に、無数の小さな何かが雹右衛門の視界の中で鈍く煌めいた。
「くっ!?」
一呼吸早い攻撃の発生に、虚を突かれた雹右衛門は慌ててそれらを羽々斬で弾く。
ちゃりん。
ちゃりん、ちゃりん。
涼やかな金属音が辺りに鳴り響いた。
弾いた手ごたえは、驚くほどに軽い。
「これは……銭か?」
「とっくに使われなくなった古銭よぅ」
いつの間にか、くも八が雹右衛門の目前に迫っていた。
「集めて良し、眺めて良し、投げて良し。げっげっげ」
(しまった、釣られた!)
雹右衛門の背筋を、ゾッと寒気が走る。
たかが古銭をばらまいただけの目くらましに、全神経を集中してしまった。
「よそ見はいかんぞ、小童」
くも八の刀が雹右衛門の頸を狙って突き出された。
次の刹那、避けようとする雹右衛門の頭部を刀が掠め、笠に大きな亀裂が走った。
「く……」
二撃目が来る前に、雹右衛門は羽々斬でくも八に反撃する。
しかしその時にはもう、くも八は数歩退いて雹右衛門の間合いを脱している。
「ほうほう、今ので仕留めきれないとは、なかなか良い勘働きじゃの」
笠の裂け目から露出した雹右衛門の素顔を見やり、くも八は髑髏の顔に笑みを浮かべた。
「はやい……」
『速い』だけでなく『早い』。
今のやり取り、くも八は常に雹右衛門の一手先を行っており、無駄も隙もない。
それに、何より。
「貴様、業物使い相手に慣れているな……ッ!」
「げっげっげ、そう見えるかい。わしからしてみれば、その若さで場慣れしとるお前さんの方が怖いがのう。実に末恐ろしい剣才じゃ」
くも八は余裕を保ったまま刀を構え直す。
「四〇年。わしァ同心の仕事の傍ら、幕府から命じられて秘密裏に業物使いの悪党どもを取り締まってきた。剣術と銭投げ、そして、もう一本の『牙』でのぅ」
「幕府だと……? まさか」
かつてマサ……いや、逝原柾国から聞いたことがある。
幕府と契約した『業物狩り』は雹右衛門が最初ではない。
戦が終わり変革期へと移行し始めた時代の最中、同心の姿を借りて業物使いどもを狩っていたつわものがいた、と。
「貴様が、初代『業物狩り』か……ッ!」
「げっげっげ、二〇年以上も昔の話じゃ。それに、当時はわしだけじゃなく何人もおったわい。皆、先に逝ってしまったがのぅ」
雹右衛門はくも八を睨んだ。
(それほどのつわものが、雪路を人質に取るとは……)
悠々と刀を構えるくも八の向こう、囚われた雪路を見やる。
雹右衛門の額を汗がまた滴った。
(ダメだ。独言髑髏の目が光っているうちは雪路を助け出せない。その一手の間に必ず詰まされ、おれは斬られるだろう……)
いや。
雹右衛門は考え方を転回した。
(最悪の場合、おれが死んで雪路を生かせばよい。が……)
雹右衛門は、くも八を睨んだ。
(卑怯者め。おれがただで死ぬと思うなよ)
ただならぬ雹右衛門の眼光に、くも八は「ほぅ」と唸った。
「んん、どうした? わしを斬る算段でもついたか」
「覚悟を決めただけだ」
「ほう……そりゃあ、立派じゃのう!」
くも八は、再び古銭を投げ放った。
しかし雹右衛門はこれらを無視した。
僅かに首の角度を傾けるだけで古銭を笠で弾き、くも八を迎え撃つ。
雹右衛門は羽々斬を振るい、間合いの外から凍液を振りまいた。
「賢しいぞ、小童!」
くも八は着物の袖で液体窒素を振り払う。
刀を持った右腕の袖で、だ。
(ぬかったな、独言髑髏!)
これなら、雹右衛門が何かをしても刀で対応することができない。
一手分だけ雹右衛門に有利がついたのだ。
返す刀で、雹右衛門は羽々斬をくも八へと突き出す。
液体窒素を払ったことで、くも八の袖が両者の視界を隔てている。
くも八と言えど、急所を狙った突きには対応できまい。
しかし。
「そう来ると思ったぞ」
「がきん」と、貫いた袖の向こうで何かが羽々斬の切っ先を止めた。
「ちっ」
雹右衛門は咄嗟に羽々斬の刃を引き抜こうとしたが、何かに掴まれたかのように固定され、押すことも引くこともできない。
「げっげっげ、わしの『牙』が貴様の業物に噛みついたぞ」
くも八の袖が音を立てて裂けた。
その向こう、左手に握られたもう一つの武器が、羽々斬の刃と交差している。
それは、業物鍛冶の雹右衛門からしてみれば、あまりに単純な構造の武器。
鉄の棒にコの字の鉤を生やしただけの十手だ。
「そうとも。業物と比べたら安物じゃが、この十手で幾百幾千の刀を折ってきたものよ」
ギギと、羽々斬の白刃が音を立てて軋む。
「折られる!」
そう直観した雹右衛門は羽々斬を手放した。
十手の二本牙によって、羽々斬が宙へと跳ね上げられた。
「ほーれ! 牙が抜けたのう!」
くも八は、勝利を確信しただろう。
しかし羽々斬を捨てたこの一手分の時間が、雹右衛門の欲しかったものだった。
雹右衛門は、懐に手をやった。
「『八岐大蛇』の四号」
かつて、災原厄海から回収した二頭の大蛇の一つを抜き放つ。
その狙う先は、くも八ではない。
濠を挟んだ対岸。
観衆の最前列で雪路を人質に取っているマチへと狙いをつける。
「ひっ」
銃口を向けられ、マチの顔が恐怖に歪んだ。
しかし、関係ない。
マチの顔が、雪路に石を投げた老婆に見えた。
考えるより先に、雹右衛門は引き金を引こうとした。
「よせぃ、雹右衛門!」
「……っ!」
空気の弾ける音と共に、弾丸が大気を切り裂いた。
弾丸はマチの遥か頭上を越え、彼方へと飛び去っていった。
「外れた……?」
「否、お前さんが自分で外したんじゃ、雹右衛門。お前さんはその一線を越えるな」
雹右衛門は、くも八をにらみつけた。
「一線だと? どの口が言う、卑怯者め」
「うむ。どうやらこれは……儂の落ち度のようじゃ」
くも八は、立ち尽くすマチと気を失っている雪路を見やる。
しょぼくれた老眼ながら、その眼力はすさまじい。
「あの眠らされている子は……お前さんの家族か」
「妹の雪路だ」
「ふ、儂も耄碌したわい。妙にお前さんの動きが鈍いとは思っとったが……」
くも八はマチを見据えた。
「マチ」
びくりと、マチの身体が震えた。
「爺ちゃん、アタシはただ、爺ちゃんを勝たせたくて……」
「わしらの復讐にカタギを巻き込んではならん。外道に落ちる気なら、わしは迷わず孫でも斬るぞ、マチよぅ」
「……っ!」
それは、狂った独言髑髏ではなく、孫を厳しく教え諭す老人の言葉に違いなかった。
「アタシは……あたしは……ッ!」
マチは言い返す言葉もなく、雪路を残してどこかへと逃げ去っていく。
くも八はその背を、寂し気な目で見送った。
「……どうか、あの子を赦してやってくれ、雹右衛門」
くも八は、雹右衛門へと向き直った。
「あの子は目の前で親兄弟を殺されて、心が壊れてしもうとる。今回のことも、どうにか儂を死合いに勝たせようと、あの子なりに思案したのだろう」
「……それが、貴様の本性か」
雹右衛門の目には、もう憎悪は映っていない。
「壊れたかのような振る舞いも、悪人に対する殺戮も、全ては孫娘の心を慰めるため。そうなんだな?」
「離れて暮らしておったとはいえ、息子一家を賊から守れなかった、せめてもの償いじゃよ。だが……そろそろマチの心とも向き合わねばなぁ」
「……」
自分も、雪路と向き合わねばなるまい。
やがて車椅子にもたれかかる雪路が目を覚ますだろう。
もう、言い逃れは不可能だ。
しかし、今はそのことについて考えている暇はない。
「事情も手の内も、互いに知れたのぅ」
「……ああ」
雹右衛門は回収した羽々斬を右手に握りしめ、左手の大蛇と交差させた。
対して、くも八も刀と十手をそれぞれ両手に構える。
情けは無用。
目の前の相手を斬って生き残らなければ、彼らにいかなる未来も存在しない。
「恨むなよ、独言髑髏」
「そりゃこっちの台詞じゃわい、小童!」
両者は、同時に次の手を仕掛けた。
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