第24話 第二試合 -Generation Gap-

それはまだ、雪路に両目があった頃。幼い日の出来事だ。


ある時、寺子屋に手習いに出ていた雪路が顔に青痣を作って帰ってきた。

転んだのだと、笑ってごまかす雪路。

しかし、そのとき健在だった父・凍理が調べてみると、どうやら往来で老婆に石を投げつけられたらしい。

戦で業物使いに息子らを殺されたのだというその老婆は、業物作りの城銀家、その末の子である雪路に憎悪の矛先を向けたのだ。


「今回のことについてどう思う、雹右衛門」


凍理に訊かれ、雹右衛門は即答した。


「絶対に許せません。戦は、雪路が生まれるとうの昔に終わったこと。その人がしたのは仇討ちではなく、卑劣な八つ当たりです」

「いかにも。では雹右衛門、城銀家の者として、我らはこの老婆に対しどのように報復すべきか」

「え……それは……」


雹右衛門は、言葉に詰まった。


何の罪もない雪路のことを思うと、肚の底から沸々と怒りが湧いてくる。

しかし、だからと言って復讐するのは話が違うのではないか。

たとえば、雪路がされたのと同じように老婆の顔に石を投げつけることも考えたが、どうにも違う気がする。

しかし、何もしないでは雪路があんまりにも不憫であるし、今後も同じようなことが起こるかもしれない。


なかなか答えを出せないでいる雹右衛門に、凍理は告げた。


「覚えておけ、雹右衛門。老いや執着、狂気……人の心の弱さに付ける薬は存在しない。情けは不要、ただ無情に患部を切り捨てることが肝要だ」


後日、凍理は独り老婆の家へと出かけて行った。

そこで何が起きたのか、雹右衛門は知らない。

ただ、老婆はその数日後に逃げるようによその土地へと引っ越していき、さらにそのおよそ半年後にはひっそりと息を引き取ったという。


今となっては、凍理が老婆に何をしたのか知る方法はない。

ただ、雹右衛門はこのとき一つ学んだ。


また雪路が悪意に曝されるようなことがあれば、今度は雹右衛門が父と同じことをしてでも妹を守らなければならない、と。



「……夢か」


逝原城の居室で城銀雹右衛門は目を覚ました。

窓の外を見やると、まだ夜が明けたばかり。起きるにはいささか早い時間だった。


遥か彼方、雲の切れ間から差し込む細い陽ざしが、昨日の死闘を思い起こさせる。

照り付けるような太陽の下、炎と血、鉄と肉がぶつかり合うあの死闘を、雹右衛門は逝原城内から目撃していた。


烈日のような殺意とそれに相応しい業物で武装した『殲姫シルクマリア』。

底知れない怪物性によって死合い中ですら更なる成長を遂げようとした『天下無双の王槐樹』。


第二試合を次の日に控えた雹右衛門の立場ですら、考えずにはいられない。

もし、自分があの場に立ちどちらかと立ち会った場合、無事に勝って生き残ることができただろうか?


(恐るべきつわものたちだ。間違いなく、おれが戦ってきたつわものたちの中でも頭一つ抜けていた……)


素直に驚嘆するとともに、こう思う。


(だが、勝つのはこのおれだ)


雪路の未来を確実に守るためには、まだここで死ぬわけにはいかない。


(まずは今日、『独言髑髏くも八』を斬る……ッ!)


冷たく、静かに、鋭く。

殺意を研ぎ澄ませると、雹右衛門は枕もとの羽々斬を手に取った。



一日目とは打って変わり、この日は曇った。

空は灰色の分厚い雲に覆われ、空気はじっとりと重く薄暗い。

長雨の降りそうな湿った気配がしていたが、観衆は松殿島を囲む大濠をさらに取り囲むように殺到していた。

その数は、昨日の第一試合を大きく上回っている。


一日目の死合いが想像以上の迫力を持って人々の心を突き動かし、『鬼門蠱竜会』がただの残酷な見世物ではないことが民衆に理解されたからだろう。

そして、考えられるもう一つ。

『人別帖』の中で、『天下無双の王槐樹』すら押しのけダントツの知名度を誇るつわものの姿を、誰もが一目見たがっているのだ。


独言髑髏くも八。

彼は、達人や悪人とは違う次元にいる。

生きながらにして既に、妖怪として語り継がれているのだ。


松殿島へと先に立った雹右衛門は、静かに佇み相手を待っている。

鍛冶師の装束にいつもの羽織を重ね、深く笠をかぶって顔を隠した『虫斬り』の姿。

生きて都での日常に戻る以上は、観衆への露出を避けたい。

しかしそれよりも、長らく『業物狩り』を行ってきた雹右衛門にとって、この姿が一番の自然体なのであった。


「独言髑髏よぅ、はよでてこぉい」

「笠なんか脱いじまえよ雹右衛門!」

「雨降る前にさっさと始めろや!」


「……それにしても、やかましい蝉どもだ」


過熱した観衆たちのざわめきを一瞥し、呟いた。

雹右衛門は頭上の逝原城を見やり、特等席にふんぞりかえる柾国をにらんだ。


「逝原柾国……この醜悪な光景が、貴様の作りたかったものなのか」


彼らは誰一人として、つわものたちの無事などは祈っていないだろう。

対岸の火事を眺めようと群がる人々は、蠢く虫の群れとそう違わないように雹右衛門には思えた。


(戦国の世ならば、あんな有象無象どもは業物でまとめて……)


ふと頭を過った考えに、雹右衛門はハッと我に返る。


(いかん、何を考えている。業物の業に呑まれるな……!)


自らを戒めながら、過敏な気配察知能力の範囲を狭めた。

目を細めて視界を狭めるように、意識を引き絞る。


視線の先で、ザザと濠の水をかきわけ進む舟の上の人物へと。


「げげげ、げっげっげっげっげ……」


ヒキガエルの鳴き声のような、湿った笑い声が大気の底を響き渡る。

その時、ぽつんと首筋に雨粒が当たったような気がして、雹右衛門は後頭部に手を当てた。

しかし、笠をかぶり羽織まで着込んでいる雹右衛門の身体に、雨粒が当たるはずもない。

空を見上げれば、そもそもまだ雨など降っていないではないか。


雹右衛門は、周囲を見た。


さっきまでは浮かれていた観衆が、場に渦巻いていた膨大な熱気が、今は底冷えしたように沈静化している。

心なしか、太陽を覆う雲すら分厚さを増して一帯が暗くなったような気もする。

骨に皮を貼りつけたような細身の老人が、場の空気を完全に支配しているのだ。


「これが、『独言髑髏くも八』……」


天下無双とも殲姫とも別種の、これまで出会ったことない類のつわものである。

防衛本能に駆られ、おもわず業物に手を掛けそうになるのをどうにかこらえる。

平静を失えば呑まれる。

どうにか理性を働かせ、雹右衛門はくも八と向き合った。


濠に浮かぶ砂地の小島に、重装の剣士と黒い着物を着崩した老人。

二人の視界の隅には、加具土の業火に焼かれた松の焼けた残骸が焦げ臭い残り香を発していた。


くも八は口を開いた。


「やあ、『虫取り雨次郎』くん」

「……『虫斬り雹右衛門』だ」

「ほぇ? そんな名前だったかのう」


くも八は、禿げあがった頭を乾いた指の先で掻いた。


「なぁマチや。わしぁ、また覚え違いをしてしまったかのぅ」


そう言って周囲に孫の姿を探すくも八。

しかし、当然その問いに答える者はいない。


「んん、おらんか。あんまり遠くに行っちゃいかんと言うとるのにのぅ……」


くも八は、困り顔で周囲を見回した。


「ま、ええか。あの子は残酷な物を見過ぎとる。それに、こんな死合いは身内に見せとうないもんなぁ、雨次郎くん」

「雹右衛門、だ」

「ほぇ、そうかい。すまんなぁ、もう人の名前はそうそう覚えられんわい」


髑髏のような痩せた顔で、くも八はカラカラと笑う。


「まあええか。じきに死ぬ男の名前なんぞ、覚えとっても仕方ないしのう」

「そうだな、覚えなくともよい」

「んん? なんじゃい、勝負する気ないんかぇ?」

「いかにも」


雹右衛門は即答した。


「おれは、一方的に貴様を斬る。化けて出られては面倒だから、名など忘れて逝け」

「げっげっげ。なかなかに吹かすのぅ、小童が」


「はじめよ」


頭上から、柾国の声が重々しく響く。


雹右衛門は、羽々斬の柄頭に手を掛けた。

対して、くも八はくたびれた黒衣の袖をひらひらさせるのみで、何をしてくるか気配が読めない。


雹右衛門は全神経をくも八の動きへと集中させる。

くも八以外の全てが遠景へと遠ざかり、色を失っていく……

その中に、ざわりと違和感があった。


「な……」


雹右衛門は、観衆の中に見知った顔を見つける。

本来なら、気付けなかった。

雹右衛門が心のどこかで『そうなること』を恐れていたからこそ、気付けたのだ。


(雪路……!)


観衆の中に、雪路の姿があった。

車椅子に力なく身を預け、目を閉じている。

生きてはいるが、何らかの方法で意識を奪われているようだ。


「あは、もう見つかっちゃった。凄いね、ユキジのお兄さん」


車椅子を押す少女には、見覚えがあった。

くも八と共に逝原城に現れた、孫娘だ。


「ほら、好きなだけ爺ちゃんと戦えばいいよ。ユキジの命が惜しくないならね」


遠く離れた雹右衛門には聞こえない声で、マチはつぶやいた。




『鬼門蠱竜会』第二試合。

『虫斬り雹右衛門』対『独言髑髏くも八』。


死合いは、困惑と共に始まった。

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