第四章 独言髑髏くも八
第23話 必然 -Have a Reason-
『天下無双の王槐樹』が『殲姫シルクマリア』に敗れて死んだ。
『鬼門蠱竜会』第一試合は、観衆たちが期待した以上の凄絶さと予想を裏切る結末をもって幕を閉じた。
濠のほとりにて死合いを見届けた観衆の想いはそれぞれに異なっている。
「おいおい王槐樹負けちまったよ。あんなヤワそうな女相手に」
「馬鹿言えあの火力を見ただろう。ありゃあ、一人で合戦やってんぜ」
「やっぱり素手じゃ業物には勝てないかぁ」
「でも、いい夢見させてもらったぜ」
町人たちが口々に感想を語り合いながら去っていく中、一人の少女が濠のほとりで呆然と立ち尽くしていた。
見下ろす松殿島に打ち捨てられていた王槐樹の亡骸は、既に侍たちの手によって片づけられた後だ。
島の地面は掃き清められ、後には鉄と火薬……そして焼けた松のむせかえる匂いだけが、残り香にしてはあまりに濃く漂っている。
しかし、少女……城銀雪路の心を揺さぶっていたのは、『匂い』ではなく『光』だった。
七年前、焼かれた右目で最後に見た景色。
夜の闇に烈日のようにきらめく残酷な美しさ。
そして、殲姫シルクマリアの業物『天照』から放たれた光の剣。
逝原城下に照り付ける夏の日差しの下であっても、見間違えようがなかった。
「絹さん……どうしてあなたがあの業物を……」
雪路は、思わずつぶやいた。
それは無意識に漏らした言葉であると同時に、雪路が意識的に本当の問題から目を逸らそうとした結果でもある。
そもそも、凄惨な死合いの場と知りながら、なぜ雪路はこの場を訪れたのか。
「絹さんが『殲姫シルクマリア』……じゃあやっぱり、『虫斬り雹右衛門』は……」
兄・城銀雹右衛門のことに他ならないだろう。
確たる証拠はないが、雪路はそう考えずにはいられない。
少なくとも、もう同名の他人だなんて言い訳ではごまかしきれない。
気配に敏い雪路が、気焔流襲撃事件から変化した雹右衛門の雰囲気に気付いていなかったはずもなかった。
(確かめないと……)
雪路は、絹が消えていった逝原城内を見やった。
(兄さまはきっと、お城の中にいる。会って本当のことを聞かないと……)
明日になれば、『虫斬り雹右衛門』対『独言髑髏くも八』の死合いが始まってしまう。
「兄さまが、あの島で人様と殺し合う……」
雪路の脳裏には、『天下無双の王槐樹』が首を刎ねられ絶命した時の記憶が焼き付いていた。
雄々しく力強い、およそ死からかけ離れた大男ですら、一瞬で命を刈り取られる。
その事実が、雪路の感覚に残酷な陰影を残していた。
人は死ぬ。
どんなに強くとも、人は死ぬのだ。
たとえそれが、雹右衛門であっても。
(兄さま……!)
迷ってなどいられない。
雪路は、逝原城の正門に向けて脚を踏み出した。
しかし、その意思には身体がついてゆけなかった。
「あっ……」
歩き出した雪路の視界がぼやけ、ぐらりと傾いた。
照り付けるような夏の日差しに、目の当たりにした出来事の衝撃。
雪路の華奢な身体と精神は、とっくに限界を迎えていた。
雪路は、ふらりと地面に倒れ込みそうになった。
その身体を、誰かが横から抱き支える。
「ちょっと、アンタ大丈夫?」
女の子の声だった。
「す、すみません、大丈夫です……もう、行かないと」
「ウソ。凄い顔色してるよアンタ。肩貸したげるから、つかまって」
少女はそう言って雪路に肩を貸した。
体つきは雪路と同じぐらい華奢ではあったが、体重を預けてみるとどこか頼もしい感じがする。
「あ、ありがとうございます。ええと……」
「アタシはマチ。アンタは?」
「私は、雪路といいます」
「そ。ほらユキジ、ひとまずその辺のお茶屋で休も」
「いや、でも……」
「こんなフラフラのままじゃ、家にだって帰れないでしょ。ほら、行くよ」
少女マチに押し切られるまま、雪路は近くの茶屋の軒先へと足を運ぶしかなかった。
「ほら、そこのオッサンたちもっと詰めて座ってよ。この子、具合いが悪いんだからさ」
先客たちを押しのけるようにして長椅子に空きを作ると、マチは雪路を座らせた。
「ちょっと待ってて」
マチはそう言うと、無遠慮に店の中へと切り込んでいく。
そして、すぐに水の入った桶とお手拭きを持って戻ってきた。
「ほら、これで頭冷やしな」
桶の冷や水に付けたお手拭きを絞り、雪路の額に当てた。
ひんやりとした感触と共に、雪路の意識の揺れが徐々に収まる。
「ど? 少しは楽になった?」
「おかげさまで。ありがとうございます、マチさん」
「もー、呼び捨てでいいって。同い年ぐらいでしょ、アタシたち」
「……じゃあ、マチちゃんって呼んでも?」
「もちろん」
頷くと、マチは笑った。
「ユキジはさ、やっぱり死合い観に来たの?」
「え、ええ」
「ふーん……一人で見に来るなんて、お嬢様みたいに見えて、案外好き者なのね」
「そ、そんな、私はただ……」
言いかけて、雪路は口をつぐんだ。
言えるわけがない。
兄が出るかもしれない死合いの様子を見に来て、知り合いを見つけてしまったなんて、そんなこと……
「マチちゃんは、誰かと一緒に死合いを見に?」
「ううん。ちょっと人探ししてたんだ」
「ごめんなさい。私のために、急いでたでしょうに」
「いいっていいって。見つかったら儲けものってぐらいの気持ちで来ただけだから」
マチは茶屋の品書きを見やった。
「うわ、たっか。お祭りだからってちょっと足元見てない? それとも、都ってどこもこんな感じなの?」
文句を垂れるマチに対し、雪路が切りだす。
「あの、よければここのお代は私に出させてください」
「え、いいの?」
「助けてもらったお礼です」
「ホント? やりぃ」
マチはパッと顔を輝かせた。
「おじさん! 串団子三皿とあんみつ! それにもなかも頂戴!」
「はいよぅ」
嬉しそうに次々注文するマチに、雪路の顔が自然と綻ぶ。
逝原城を訪ねなければならないという気持ちは忘れていないが、目の治療と研ぎ師としての修練を積んできた雪路にとって、同年代で気の置けない会話ができる相手は少なかった。
(もう少しだけ。せめてここで休憩している間ぐらいは)
そう思って、雪路は話しかける。
「マチちゃんは、都に住んでるの?」
「ううん。爺ちゃんと一緒に旅してきたんだ。ここで、大事な用事があるから」
「用事?」
「そ。家族の仇をぶっ殺しに来たんだ」
「え……」
運ばれてきた甘味が二人のひざ元に並べられる中、雪路は絶句していた。
「家族の仇」。
その言葉のあまりにあっけらかんとした響きに、雪路はそれが本当か嘘かも判断がつかなかった。
「ほら、食べよ? 思ったより量あるしさ」
マチは皿に山盛りになった串団子を一つ手に取った。
「アタシのウチさ、上方で商人やってたんだよね。けっこう儲かってたみたいなんだけど、おかげで盗賊に入られて家族は皆殺し。ちょうど厠に立ってたアタシだけが、殺されずに生き残った」
「そんな……」
「親玉の『
「探してるの……?」
「ううん、もう、見つけ出してぶっ殺したよ。妻子がいる奴、年老いた母親がいる奴、遊郭に入れあげてる奴、独り身の寂しい奴……色々いたけど、まとめて片づけてやったんだ」
マチは楽しそうに語りながら団子を頬張った。
もちもちと、こちらに音が聞こえてきそうなほど大きく咀嚼して、呑み込む。
「ちょっと味っ濃いけど、美味しいね。やっぱり将軍のおひざ元ってだけはあるのかな」
マチはそう言って、そのまま二本目の串団子を頬張り始めた。
今言ったことの深刻さなどまるで感じていないかのように、頬に手を当てて幸せそうにしている。
嘘を言っているのだろうか。
それともマチがあまりに“そういうこと”に慣れ過ぎてしまっているのか。
雪路には、分からない。
「あれ、食べないの? ユキジも食べなよ。食べないとまたクラクラきちゃうよ」
「う、うん」
促されて団子に手を付けるが、あまりの衝撃に味もよく分からない。
(もしかして、マチちゃんのお爺さんが『独言髑髏くも八』……?)
近頃、都でもっともよく聞く殺人者の名前だ。
悪党ばかりを付け狙い、その家族や関係者まで皆殺しにして彷徨う無差別殺人鬼。
いわく、家族を盗賊に殺された侍の怨念であるとか、戦国に死した僧兵が世直しのために悪党を斬りまわっているとか、その実態は不明である。
その恐れられ方は、人というより妖怪のそれに近かった。
(マチちゃんの言っていることが本当だとしたら、明日には兄さまとマチちゃんのお爺様が死合いを……)
戸惑う雪路の顔を、マチが覗き込む。
「ユキジ、まだ具合悪い?」
「ううん。ちょっと考え事をしていただけ」
雪路がかろうじて作った微笑みは、自分でもどこかぎこちない気がした。
甘味を食べ終え支払いを済ませる頃には、陽がわずかに傾き始めていた。
夏の陽は長いが、これ以上のんびりしている暇はない。
「ありがとうね、マチちゃん。おかげでだいぶ楽になったわ」
「こちらこそ。ご馳走様、ユキジ」
茶屋の軒先から少し行った先の路地で、雪路は切りだした。
「じゃあね。私、そろそろ行かなきゃ」
「お兄さんに会いに行くの?」
「うん」
楽しい時間は、ここまでだ。
雪路はそう思い直す。
マチとこれ以上話したら、きっと後で辛くなる。
それに今は、雹右衛門と話さなければならない。
もしできることならば、死合いを止めないとならない。
「じゃあね、マチちゃん」
雪路は心に決めて、足を踏み出そうとした。
(……あれ?)
その足を鈍らせたのは、微かな違和感だった。
聡明な雪路にしては、気付くのが遅かった方だろう。
(あれ、私……兄さまのこと、マチちゃんに話したっけ?)
振り返ろうとした刹那、チクリと雪路の首筋に痛みが走った。
「あれ……?」
ぐらりと、雪路の視界が揺れた。
日差しに中った時とは違い、優しく誘われるような眠気が雪路の意識を覆う。
「お休みユキジ。アンタいい子だからさ、家族が死ぬところは見えないようにしといてあげる」
「マ…チ……ちゃ………………」
「よいしょ、と」
気を失った雪路の身体を背負いあげながら、マチは薄笑みを浮かべてどこかへと歩み去っていった。
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