第22話 八塩折 -GOD SLAIN-
八岐大蛇は、八つの首を持つ神蛇。
しかし、その首はもともと一つだったという。
大蛇は痛手を負う度に頭の数を増やしながら再生し、力を増す。
では、なぜ十でも百でも千でもなく、八ツ首なのか。
簡単な理屈である。
大蛇は八ツ首の時にとある策にかかり、復活する間もなく絶命させられたのだ。
神をも殺す、その策とは――
「業物『
シルクマリアが抜き放った業物は、九平治が持っていた『二号』と同じ『八岐大蛇』。
向けられた銃口と、その
(おいおい。それで不意を突いたつもりかよ)
シルクマリアの指が引き金を引き、雷管の爆裂と共に弾丸が飛び出す。
その挙動が、王槐樹の視界の中ではゆるりと減速して見えていた。
(問題ねぇ。俺には、見えている)
水飴を満たしたかのような緩やかな時間の中で、王槐樹はほくそ笑む。
腕を失ったことを補うための多大な脳内物質の分泌。
そして自身をそこまでの深手にまで追い込む強敵と死合うことの興奮によって、王槐樹の達人的時間感覚はより加速し、超人的なまでの神経速度を実現していた。
シルクマリアに向けて前進しながら、王槐樹は額めがけて飛来する弾丸を見据えた。
弾丸をつかむか弾くかして無力化し、第二発が来る前にそのまま接近して相手を仕留める。
王槐樹の中では、詰将棋のように決着までのお互いの攻防が既に思い浮かんでいる。
生来の王槐樹にはとてもできない計算だ。
しかし、九平治ならば……彼が最も近くで真似取った『仕掛け屋九平治』の狩人としての思考回路ならば、それができる。
(兄貴、やっぱり俺たちは最強だ。俺が勝つところ、見ていてくれよぅ!)
緩やかに迫る弾丸を掴むべく、王槐樹は左手を伸ばした。
『待て櫂、妙だぞ。この弾丸は“遅すぎる”』
頭の中を響く九平治の声に、ハッとして迫る弾丸を見やる。
人間からしてみればナメクジの歩みとミミズの爬行が等しく“遅い”としか感じられないのと同じように、王槐樹にはその差異がすぐには分からなかった。
しかし確かに、迫る弾丸は音の速度を超えていない。
恐らくは放たれた雑兵の放つ矢よりも遅いぐらいだろう。
『この弾ァ、何かがヤバい。避けとけ、櫂』
(おうよ、兄貴)
弾丸を避ける動作は、王槐樹の身体に乗っていた速度を損なってしまうだろう。
シルクマリアまであと一歩のところで、またお預けだ。
そう思いながらも、王槐樹は九平治に倣って慎重に弾を避けようとした。
その眼前で、宙を直線運動する弾丸が、今まさに消失した。
『は?』
「あ?」
兄弟は、同時に声をあげた。
王槐樹の目が弾丸を探してギョロギョロとうごめく。
しかし、見つからない。
砲弾のように弾けたわけでも、途中で風に乗って弾道を曲げたわけでもない。
消えたのだ。
うすぼんやりと周囲を包む殺気だけを残して、消えたのだ。
王槐樹に、その謎を解く時間は残されていない。
なぜならば。
「……か、はぁッ!」
心臓を締め付けられるような感覚に、王槐樹は胸を押さえた。
血流が滞り、淀み、身体が熱を失っていく。
腕を喪っても鮮明だった意識が、みるみる霞んでいく。
(何を……っ! 何をされたんだ……!?)
王槐樹の脳裏を可能性がつぎつぎ浮かび、消えていく。
しかし、思いつく原因は一つしかない。
「今の弾か……ッ!」
「そうですよ」
シルクマリアは、淡々と答えた。
ほんのさっきまで彼女の内に滾っていた殺意の炎が消えている。
それはつまり、既に『殺し』が完了したからに他ならないのだろう。
「業物『
シルクマリアは、弾丸を放った大蛇を既におろしていた。
もう勝負はついたと言わんばかりに、声も落ち着いている。
「まだ……だ……ッ!」
足をもつれさせながら、王槐樹は声を絞り出した。
心臓の拍動が速く、そして驚くほど小さくなっている。
そのせいか、心臓から遠い両足が痺れ、力が入らなくなっていた。
利き手がもがれ、意識はうすれ、何をされたのかも分からない。
(これは……もしかして俺、死ぬのか?)
王槐樹は、ギリッと歯を噛みしめた。
「それ、が……どうし……たッ!」
王槐樹は、前のめりになって地面へと倒れ込む。
しかし、地についたのは膝ではなく左手だ。
五指を力強く地面にめり込ませ、掴む。
そして、身体を構成する全筋肉をバネのようにしならせた。
「どおりゃぁぁぁあああああああッッ!」
左手で大地を突き放し、王槐樹は高く跳び上がった。
足の自由が利かないから、手で跳んだのだ。
それを可能にしたのは、毎日欠かさず鍛え上げた筋肉と、勝利への執着だった。
(着地する時には死んでても構わねぇッ! この一撃で殺るッ!)
命はもういらない。
それより大事なのは、義兄弟二人で作り上げた『天下無双』の名そのもの。
九平治を失った王槐樹に残されているのは、もうそれしかないのだ。
「だらアァッ!」
王槐樹は、シルクマリアに向けて落下しながら渾身の手刀を放った。
狙うは、鎧甲冑の首の継ぎ目。
構造上、そこに爆薬が仕掛けられるはずがない。
「ッ!」
シルクマリアが大蛇を棄て、別の業物をつかんだその瞬間。
王槐樹とシルクマリアの身体が交錯した。
「殺った……ッ!」
王槐樹は、地面に激突しながらを確信した。
意識が薄れ、既に色すら失った視界の中で、シルクマリアの首が飛ぶのが見えた。
(勝ったよ、兄貴……ほうら、首を失くしたシルクマリアが倒れ……)
王槐樹は、麻痺した身体でどうにかシルクマリアの死を確認しようと、身をよじらせた。
「畜生、手が思うように動かねぇ」
もどかしく思い、左手を見やる。
「あれ……?」
あるべき場所に、左腕がない。
「探し物は、これですか?」
シルクマリアの足元に、切断された王槐樹の左腕の肘から先が転がっていた。
黒ずんだ断面からは、煙が立ち上っている。
「業物『天照』。最後の一撃、隙だらけでしたよ」
シルクマリアの首は飛んでいなかった。
代わりに飛んだのは、彼女の頭部を覆っていた白銀の兜。
覆われていた絹の顔が外気に晒され、まとめられていた長髪が宙を舞う。
血塗れで地面に這いつくばりながら、王槐樹は惚れ惚れとその姿を見上げた。
「やっぱ別嬪だな、アンタ。今まで会ってきた中で、一番だ」
「……別に、あなたに言われても嬉しくありません」
シルクマリアは、冷ややかに答えながら天照の柄頭に手をやった。
次の刹那、王槐樹の首が宙を舞った。
(あー、死んだ……)
空中でぐるりと回転しながら、王槐樹は消えかけの意識でそう思った。
その首を、何者かが受け止めた。
「テメェ、スカスカの頭のくせして、首は馬鹿に重たいんだな」
「……兄貴」
九平治の手が、王槐樹の首を受け止め抱き支えていた。
「ごめんよぅ、兄貴。俺、負けちまったぁ」
「仕方ねぇさ。
「やっぱアレ、毒だったんかな」
「分からねぇ。だが、きっとロクでもねぇ業物だろうよ」
九平治は、王槐樹の首をシルクマリアの方に向けた。
いつしか視界は鮮明になっていたが、その代わりに妙なものが見える。
「見ろ、シルクマリアの背を」
天照を納刀し、飄々と佇むシルクマリアの背後で、黒々とした炎が燃え盛っている。
その中から無数の亡者の手が伸び、シルクマリアの身体を拘束して逃がさない。
「奴の背負っている業は、俺たちのそれより遥か上だった。ろくでもない末路を辿るだろうぜ、あの女」
「負け惜しみみたいなこと言うんだな、兄貴」
「馬鹿が。負け惜しみに決まってるだろうが」
「そりゃそうか、だははは、だはははは……だはは、だは……」
「だは……」
松殿島の浅瀬に転がった王槐樹の目から、完全に光が消えた。
首を失った王槐樹の亡骸をよそ目に見ながら、シルクマリアは大蛇と加具土を回収し、それぞれあるべきところへと収めた。
『鬼門蠱竜会』第一試合
勝者『殲姫シルクマリア』
凄惨な結果に観衆たちが言葉を発せずにいられる中、シルクマリアだけは次を思考していた。
(まずは一勝。しかし、『
シルクマリアは、城の方を見上げた。
「しかし、それはお互い様。次はそちらの手管を見せてもらいましょうか」
その時、絹はふと予感がして濠のほとりから松殿島を見下ろす観衆たちを見やった。
人だかりの中に一瞬、知っている人間の気配がしたのだ。
そして、思い出したように自らの頬に触れる。
「あら。そういえば、顔を晒してしまいましたか。この、死合いの場で……」
兜を拾いかぶり直すと、シルクマリアは迎えの小舟に乗りこんだ。
その上で揺られながら、考える。
恐らく『虫斬り雹右衛門』はこのことに気づいていない。
松殿島で全ての視線を集めていたシルクマリアだからこそ、観衆に紛れていた”彼女”に気づけたのだ。
「これは、悪いことをしてしまいましたね」
シルクマリアは、船頭に聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。
「ですが、これはあなた自身の業。遅かれ早かれこうなる運命だったのですよ、『虫斬り雹右衛門』」
続いて始まるのは『鬼門蠱竜会』第二試合。
『虫斬り雹右衛門』対『独言髑髏くも八』。
第3章 殲姫シルクマリア 完
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