第21話 水蛭子 -I'm perfect-

かつて、戦国の逝原に一人の鍛冶師がいた。

名前は伝わっていないが、彼はいわゆる問題解決型の技術者であったようだ。

既存の武具に新たな機能を付与することを課題とし、それを解決する業物を作ることを生業とした。

そんな彼が後世に残した業物の一つに、「攻撃してきた相手を殺す甲冑」をテーマに製作された逸品が存在したという。


「業物『火産霊ほむすび』。装甲内部に仕込まれた指向性爆薬によりいかなる攻撃者も爆砕する、鎧の形をした地雷です。まさか初戦から使わせられることになるとは……」


濛々と煙を吐く腹部をさすりながら、シルクマリアは王槐樹を見据えている。

しかし、彼女の声が果たして王槐樹に届いているだろうか。


「うぐ、おぉ……!」


王槐樹は、爆発に巻き込まれて欠損した右腕を押さえて呻いている。

肘から先のほとんどが炭化し、その先からは白い二本の腕骨が覗いている。

顔は青ざめ、脂汗に塗れて苦痛に歪んでいた。


その傷口を見て、シルクマリアは「やはり」と思う。


(『天下無双』の肉体も、殺意で構築された鉄と火の前では、しょせん肉と骨)


それは、かつてシルクマリアにも突きつけられた残酷な真実であった。

故郷、於頭藩に根付いた異教の知恵も、祈りも、神の愛も、幕府軍の無慈悲な鉄砲玉の前では何の役にも立たなかった。

領民も、友も、家族さえ、みんなただの肉塊となった。

この世に何も信じられるものはないと、かつての絹は絶望したものだ。


『戦場で見た真実をゆめゆめ忘れるな。信仰や博愛など無意味。ただ、殺意。絶対に殺すという意志とその手段たる武装だけが、この世で何かを為しうる』


燃え落ちる城から絹を助け出した蠱師は、彼女にそう教えたことがある。

その時、絹は問うた。


「しかし、いくら幕府殺すべしと思えど、かの強大な逝原の命脈を絶つにはどうすれば? 私たちと比べて、この国はあまりに巨大で力強い」

『毒を使えばよい』

「毒、ですか?」

『いかにも。毒こそは、弱者が強者を殺すための始原にして究極の兵器』


蠱師は、面の奥から白銀の眼光をぎらつかせて絹をにらんだ。


『まず生きよ、絹姫。貴様が生き延びて殺し続けることが、やがてこの国を侵す猛毒となろう』

「……! はい、先生」


かつての会話を思い出し、シルクマリアは再び意識を研ぎ澄ませる。


(そうだ。この拳法家を殺すことなど、私にとっては通過点に過ぎない)


シルクマリアは、懐に意識をやった。

いつでもすぐ取り出せる場所に、ずしりと重たい鉄の感触がある。

シルクマリアが秘匿する業物の中でも、奇襲性と致死性に優れた品だ。


(この切り札を使うまでもなく、完璧に殺しきって見せる)


弾かれた加具土を拾い握りしめ、次なる一撃を構える。


「ぐおぉ……いてぇ、いてぇよぉ……」


うめく王槐樹を冷ややかに見据え、シルクマリアは告げる。


「そろそろ痛がる演技はやめた方がいいですよ、見苦しい」

「……ちっ」


王槐樹の声がピタリとやんだ。

傷口を押さえていた手を離し、赤黒い傷口を空気に曝した。


「どうして分かった?」

「手負いの獣はうめいたりせず、狂って暴れまわるものです」

「ちぇ、兄貴みたいなこと言いやがる」


王槐樹は、消失した手をぶらぶらと振りながら、力を込める。

すると、筋肉が引き絞った弓のような音を発し、収縮。断面の出血を塞いだ。


「腕一本ぐらい、兄貴の死に比べりゃなんてことはねぇ。こんな腕はなぁ……」


王槐樹は歯を剥くと、右腕の傷に食らいついた。


「こうして、こうして、こうしてよぉ!」


焦げ付いた自らの肉を喰らい、露出した骨にすら歯を立て、音を立てて噛み割っていく。

これには流石のシルクマリアも、その奇行に目を剥いた。


「な、何を……!?」

「ほーうら、こうすりゃ武器だ」


王槐樹の右腕に残されたのは肘関節と、そこから伸びる腕骨の棘。

せっかく塞いだ断面からは神経と血管が飛び出し、血液と髄液に濡れてぬらぬらと光を放っている。


「新武器登場! 業物『水蛭子ヒルコ』とでも名付けてやろうかねッ!」

「狂っているのですか、あなたは……」

「だはは、何を今さら。こんなとこで死合いしてるような奴が、狂ってねぇとでも!?」


王槐樹は目を血走らせてシルクマリアへの最接近を試みた。


「懲りない人ですね!」


シルクマリアは加具土を振るう。

彼女は戦い方を変えるつもりはなかった。

王槐樹は利き腕を失った。唯一の飛び道具たるかまいたちが飛んでこない以上、加具土を始めとした業物で間合いの戦いをすればよい。


「だらぁっ!」


王槐樹は、右腕を振るった。

すると傷口から鮮血が迸り、迫る炎津波に向けて真っ向から飛散する。


(馬鹿な。焼石に水ですよ)


血しぶき如き、業火の前では秒ももたずに蒸発するだろう。

その赤には構わず、やがて炎から飛び出してくるだろう王槐樹に警戒すべし。

シルクマリアの推測は、次の瞬間には覆された。


「ぶち抜け、『水蛭子ひるこ』よぅ」


炎の壁を抜け、鮮血がシルクマリアの眼前に迫っていた。


「なぜ……!?」


目算が外れたシルクマリアは、眼前に迫る血液をとっさに躱した。


(危ない。この状況で目つぶしを喰らうのはまずかった)


そう思った刹那、シルクマリアの視界が揺らいだ。

兜の板金を削れるほどの衝撃に、一瞬意識がくらみそうになる。


(斬撃!? まさか)

「自らの血でかまいたちを撃ったか……!」

「おう、案外思い付きでもできるもんだな」


それなら、加具土の炎を血が抜けてきた理由もうなずける。

真空を纏い斬れば、刃は相手の物理特性をほぼ無視できるのだから。

しかし、そんな芸当ができる相手を前にして、これ以上理屈の後追いをしている暇はない。


シルクマリアがよろめいている間に王槐樹はまた彼女の眼前に迫っていた。


「よう。アンタに近づくのはこれで何度目だ?」


ぞくりと、シルクマリアの背筋を死の予感がよぎる。


「寄るな、下郎ッ!」


シルクマリアは加具土を地面に突き刺し、大地の爆破を試みる。


「だはは、つれねぇこと言うなよ!」


引き金を引くより一瞬早く、王槐樹の左手がシルクマリアの手をつかんだ。

そして、再び爆炎が松殿島を包む。


噴き上がる爆炎から、それぞれ正反対の方向にシルクマリアと王槐樹が飛びずさる。

また、仕切り直し……

とはいかなかった。


「『寄るな、下郎』か……なかなかそそることを言うじゃねぇか。生娘じゃあるめぇし」


ヘラヘラと笑う王槐樹の手に、加具土が握られていた。

地面を爆破するまでのほんの一瞬に、手首を返され奪われたのだ。

抜き身の加具土を手で弄びながら、王槐樹は下卑た笑みを浮かべる。


「それとも、まさかそうなのか? 姫さんってのも大変だねぇ」

「……けだものが」


兜の中で、シルクマリアは滝のような汗をかいていた。

まだ彼女は無傷。

だがそれは、王槐樹が一枚一枚こちらの殻を剥き捨てていく過程を楽しんでいるからに過ぎない。


『八岐大蛇』の銃撃。

『天照』の居合。

『加具土』の炎と地面爆破。

『火産神』による炸裂装甲。


シルクマリアを形作る武装を、傷つきながらも一つ一つ攻略していく。

しかも、王槐樹は利き腕が潰されても余裕の笑みで強くなるような怪物だ。


(対して、私は武装を剥かれれば、何も残らない……)


怖い。

シルクマリアの背筋を、生物的本能が駆け巡る。

このままでは目の前の怪物にすべての身ぐるみを剥がされ、いいようにされて死ぬ。

しかも、ここは逃げ場もなく、観衆の目に晒された死合いの場。

燃え落ちる種田の城で感じた絶望が、ひたりひたりとシルクマリアの心に這い寄ってきていた。

辱めを受ける前に、自害するべし。

武士の子として教え込まれた思考が、一瞬シルクマリアの頭を過る。


(否! 否否、否!)


シルクマリアは、絶望を奥歯で噛み殺した。

しぼみかけた憎悪の炎に薪をくべ、シルクマリアは王槐樹を睨んだ。


(怪物だと!? たかが怪物、殲姫たるこの私に殺せぬ道理はない)


殺意という名の激情に駆られ、シルクマリアは懐に手をやった。


(できれば最終戦、いやさらにその先の戦いまでとっておきたかった……っ! しかし、かまわぬ)


シルクマリアは、天照を抜くのと同じ神速の手際で業物を抜き放ち、それを王槐樹に向けて構えた。


(死ねッ!!!)


シルクマリアは、必殺の引き金を引く。


その業物は、八号。

名を、『八岐大蛇』の八号といった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る