第20話 達人 -Battle Master-
「いいか、櫂。今からこの大蛇でテメェを撃つ。その弾丸を手で止めて見せろ」
かつて、九平治はそう言って王槐樹に『八岐大蛇』の二号を向けた。
今はシルクマリアの手にある、九平治の形見だ。
「いやいやいや、流石に無理だって兄貴! 鉄砲なんておっかねぇよ!」
「いいや、できる。空手で『天下無双』を目指すなら、鉄砲玉ぐらい手掴みできてもらわなきゃ困んだよ」
銃への対処は、長らく達人たちを悩ませてきた課題だった。
かつて外海から戦国の逝原へと伝えられたこの新兵器は、白兵戦を旨とする合戦場の掟を根本から書き換えてしまった。
訓練を積んだ甲冑武者ですら、素人の鉄砲によって容易く屍を晒す。
『人』ではなく『武装』によって左右されるようになった戦場で、多くの達人たちが命を散らし、かつては隆盛を極めた実践武術のほとんどが失伝した。
だが、その一方で別の動きもあった。
逝原の鍛冶師たちが鉄砲の発想をすら取り入れ『業物』という武器体系を生み出したように、一部の武芸者たちもまた、鉄砲を独自の方法で受け入れ、昇華した。
鉄砲に勝てねば『武』はもはや『武』にあらず。
その矜持は、同じ時代を生きる達人たちの心に広く深く根付いていた。
九平治は、大蛇の
「これまでにお前はもう、何人もの達人の技を盗み殺してきた。テメェ自身、もう『達人』の入り口に立っているはずだ。ここでそれを証明してみせろ」
「そんなこと言ったって……」
「しくじって死ぬにしろ、俺に殺されるならまだ納得がいくだろう?」
「……確かに、そう言われてみりゃそうだ」
困惑していた櫂は、ニッと笑った。
「元々兄貴に拾われた命だ。よし、一つ俺を達人にしてくれよ、兄貴!」
「望むところだ。気ぃ引き締めろよ、櫂」
九平治は、大蛇の引き金を引いた。
「兄貴……」
死合いの場で、王槐樹は白昼夢を見ていた。
身体の前で構えた手を見やると、ジャラジャラと鉄砲玉が握られている。
『殲姫シルクマリア』の放った大蛇の弾丸だ。
九平治の死。
死合い。
殲姫シルクマリア。
頭から飛びかけていた状況を再認識すると、王槐樹は笑った。
「無駄だぜ。鉄砲ごときに殺されてやるわけにはいかなくなったからな」
そうだとも。
九平治が死んでも、王槐樹の『天下無双』への道はまだ閉ざされていない。
目の前の仇を討たずに終われるものか。
「だはははッ!」
王槐樹は虎のように跳躍してシルクマリアへと迫った。
銃使いの常として、接近戦にめっぽう弱いもの。
他でもない、九平治がそうだった。
「その鎧ぶち抜いて、中身引きずり出してやらぁッ!」
王槐樹は一直線に前進し、シルクマリアに向けて手刀を突き出した。
対してシルクマリアは腰に差した二本差しの内、短い方の柄に手をやっていた。
至近距離では脇差の方が小回りが利くから説明はつく。
しかし、それ以上の違和感が王槐樹の脳内で警鐘を鳴らしていた。
(よけろ、櫂!)
「ッ!?」
聞こえるはずのない声に、王槐樹は思わず突き出した手刀を引いた。
次の刹那。
「『
それまで止まっていたかのように見えていたシルクマリアの腕が、王槐樹の可視速度を超え視界の中で消失した。
(やべぇッ!?)
王槐樹は身をよじり、身体の軸を思いっきり反らし、シルクマリアの殺気が形作る死線を避けた。
瞬間、シルクマリアの抜き放った小刀から閃光が迸り、光の刃が王槐樹の二の腕を掠めた。
「いッ!」
王槐樹は、身をよじった勢いで大きく宙返りし、さらに後転しながら大きく退いた。
痛みのあった右肩を見やると、白の道着が裂けて皮膚まで黒く焼け焦げていた。
ジリジリと、文字通り身を焦がすような痛みが王槐樹の腕から全身に伝播する。
(いてぇ……! けど、いてぇだけだ)
骨も筋肉も、問題なく動く。
ならば王槐樹にとっては大した問題ではなかった。
「腕を落とすつもりで斬ったのですけれどね」
「気に病むことねぇさ。俺の肌に傷つけるなんて、そうそうできることじゃねぇ」
ヘラヘラと答えながらも、王槐樹は鋭い目でシルクマリアを観察した。
シルクマリアの腰元で、既に天照が納刀されていた。
抜刀も納刀も見えない、神速の居合であった。
「恋次郎並みの抜刀……ってことは、次はもう見切れるな」
ぺろりと舌なめずりすると、王槐樹は歯を剥いた。
その威嚇にシルクマリアが動じた様子はない。
「次なんてありませんよ」
シルクマリアは、二本差しのもう一本を抜き放った。
黒く煤けた刀身。
そして、柄に取り付けられた引き金。
その機構を見て、『虫斬り雹右衛門』ならばこう言うだろう。
「なぜ、あの品がここに?」と。
「業物『
かち、かちちちちちちち。
ごうっ!
シルクマリアが引き金を引くと、刀身から火炎が巻き起こった。
しかし、かつて災原禍山が振るったそれとは異なり、炎は渦を巻いて伸び上がり、巨大な大蛇となって鎌首をもたげている。
「おいおい、『加具土』は確か禍山のジジイの業物だろう。殺して奪ったか?」
「いえ。災原禍山が振るっていた品は元々わが師が作り上げた精巧な贋作。この品こそが、真の加具土なのですよ」
加具土から逆巻く炎は松殿島を飛び出し、濠全域を舐めながらその水面を沸騰させている。
当時の逝原において、不審火はご法度。
生物的社会的な死をもたらす業火を前に、観衆たちは息を呑んだ。
「真の加具土は間合い十間(およそ18.18メートル)を超す、広域殲滅型の業物。もし禍山がこの品を握っていたならば、逝原の都はとうの昔に灰と化していたことでしょう」
シルクマリアは、加具土を振るった。
巨大な火竜が尾を振るったかのように、横なぎに大熱量の火柱が王槐樹に迫る。
その時、また声がした。
(飛べば空中の隙を狩られるぞ。『下』だ)
「おうよ!」
迫る火炎を前に、王槐樹は深く身を屈めた。
四足獣のように身体を前傾させ、地面と火炎の間に挟まる空気の層を滑るように前進する。
王槐樹の背後でメキメキと何かが焼け落ちる音がする。
「ああ、松殿島の一本松が!」
シルクマリアは構わず、第二撃を繰り出した。
今度は、加具土の切っ先を下方向に向けた足払いだ。
(今度は下段が来るぞ! 高く飛び過ぎるなよ!)
「分かってるって!」
後世で言うところのハードル走の要領で地を這う火炎を飛び越えた王槐樹は、高温に熱された熱砂を踏み越え全速力でシルクマリアの懐に向かう。
(近づけばテメェの間合いだ! 奴の肚に一発かましてやれ!)
王槐樹は既にシルクマリアまであと三歩の距離にまで接近していた。
その間を詰めるのに、速度が乗った王槐樹ならば一秒とかからない。
ただ、その瞬間を待ち望んでいたのは王槐樹だけではなかった。
「ようこそ、加具土の必殺の間合いへ」
シルクマリアは、三撃目を自らの足元に突き刺した。
加具土の刀身がメラっと赤熱し、踏みしめる地面に奇妙な膨張感が迸る。
「爆ぜろ」
「っ!」
王槐樹の爪牙が届くよりも一瞬早く、地面の爆裂が両者を包み込んだ。
その勢いはすさまじい。
砲弾の着弾したかのような衝撃に、濠を隔てた先に立つ観衆たちの足元が揺らいだ。
「まるで戦じゃ。戦国でもここまでの一騎打ちはそうお目にかかれなんだぞ」
「おっかねぇ……」
「死んだ? 二人とも吹っ飛んだ?」
対岸の火事として死合いを見守る中、一人が煙の中に立つ人影を見つけた。
「見ろ、誰かが立ってるぞ!」
「王槐樹か! シルクマリアか!」
「愚問ですね。自らの技で吹き飛ぶ愚か者がどこにいるというのか」
煙の中から現れたのは、シルクマリアだった。
「この鎧は、防御ではなく攻撃のためのもの。仕込んだ業物を隠匿し、自らを巻き込んでの広域攻撃を可能にする」
シルクマリアは燻ぶる黒煙の中に佇み、辺りを見回す。
松殿島の一本松が無惨に折れ、黒炭と化している。
「で、あなたの方は生身なのになぜ生きているのです?」
「見りゃ分かるだろ。鍛え方が違うんだよ」
ボッと音を立て、シルクマリアの横合いの黒煙から王槐樹が飛び出した。
全身が黒い煤にまみれ、道着は上半身部分が吹き飛んでいる。
しかし、その下で剥き出しになった筋肉は無傷。
火の粉が舞い散る中、王槐樹の前進は止まらない。
「馬鹿の一つ覚えですか。ならば幾度でも吹き飛ばすまで」
シルクマリアはもう一度加具土を地面に向けた。
その時だった。
ギィン!
『何か』が横合いから飛来し、シルクマリアの手甲ごと加具土を弾き飛ばした。
「何を……!?」
王槐樹はまだ間合いの外。
暗器か。それとも……
「まさか、『かまいたち恋次郎』の……!」
「兄貴のおかげで
王槐樹は全速でシルクマリアに向かいながら、手を獣爪の形に開いた。
甲冑の板金を破り、その下の皮膚を裂いて内臓をえぐるための構えだ。
「ドラァッ!」
王槐樹の必殺の一撃がシルクマリアに向けて突き出される。
シルクマリアにはそれを避ける間もない。
否。
始めから彼女に、避ける気などなかった。
(待て、櫂! 何かヤベェぞ!)
頭の中の九平治が止める。
しかし、それが間に合うほど王槐樹の突きは遅くない。
王槐樹の五指が鎧の板金にめり込み握り砕く。
そして、そのまま生身の部分をえぐろうとした、その時。
「かかりましたね」
ボンッ! と音を立ててシルクマリアの腹部が爆ぜた。
「おわっ!?」
鎧の内側から起こった小爆発に弾かれ、王槐樹は大きく後退した。
「……?」
何が起こった?
シルクマリアが自爆したのか?
全力の一撃を弾かれた違和感に、王槐樹は突き入れた右手を見やる。
「あ?」
王槐樹の右腕に、もう手と呼べるようなものは残されていなかった。
肘から先のわずかな部分を残して、大部分が焼失していたのだ。
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