第19話 第一試合 -B&B-
『鬼門蠱竜会』第一日目の早朝、まだ夜が白み始めた頃のこと。
死合いを特等席から見物しようと前日から場所取りをしていた町人たちの一人が、逝原城前の濠に何かが浮いているのをふと見つけた。
城の侍たちに知らせて引き揚げさせてみると、なんと死体だった。
身元に繋がるような物は何も持っておらず、その風体から浪人か何かと思われた。
首の骨が折れていることから、きっと夜中に酔って濠の縁に近づいたところを転げ落ちたのだろうと、人々は言う。
「濠に落ちるなんて間抜けな奴だな」
「せっかく今日からすげぇ試合が見られるって時に、もったいねぇ」
「しかし、まるでねじ切られたみたいな首だな」
戦国を経験した者たちからしてみれば、死体の一つや二つが出ても大した感想はない。
しばらくして幕府から『事故死』との公式見解が発せられたことで、騒ぎは収まった。
しかし、それが『仕掛け屋九平治』であると気付いた一部の者たちは、真実がその限りでないことに薄々勘付いていた。
「兄貴……」
濠から引き揚げられた死体を、『天下無双の王槐樹』が呆然と見つめている。
その痛々しい姿が、『殲姫シルクマリア』こと種田=シルクマリア=絹の居室からはよく見えた。
(『仕掛け屋九平治』か。王槐樹と裏で手を組んでいるとは聞いていましたが……)
貸し与えられた白い寝巻に身を包んだ絹は、寝所を見やる。
(あなたのしわざですね、先生?)
絹の眠っていた枕もとに、一丁の業物が置かれていた。
黒鉄でできた無骨な拳銃の業物。
柄には『二』と刻印されている。
『仕掛け屋九平治』が懐に忍ばせていた『八岐大蛇』の二号だ。
(朝、私の枕元に書置きと共に八岐大蛇が置かれていた。先生の業物『伊弉諾』なら、警備厳重な逝原城にもたやすく侵入できたはず)
「兄貴ぃ、兄貴よぅ……」
王槐樹のすすり泣く悲痛な声が、距離を隔てても響いてくる。
めそめそとみっともない泣き声に、絹は眉をしかめる。
(ああやって王槐樹を弱体化させるのが目的だとすれば、心外です。そんなことをせずとも、私の勝利は揺るがないというのに……)
これでは、まるで絹が万全の王槐樹に勝てないと思われているかのようではないか。
その時、誰かが絹の部屋の戸を叩いた。
「失礼します、『殲姫シルクマリア』どの」
侍らしき男の声。
絹がとっさに身構えると、戸を開けぬまま侍は告げた。
「柾国さまからのお達しです。さきほど試合場近くで騒ぎがございましたが、『死合い』は予定通り正午から行われるとのこと。念のため殲姫どのにもご承知いただきたく……」
「何だ、そんなことですか」
絹は冷ややかに言った。
「当たり前でしょう。人が一人死んだぐらいで、大げさな」
(私は貴様ら幕府に一族郎党を、故郷そのものを根絶やしにされたというのに)
絹の苛立ちは戸を侍の向こうの侍にも伝わったらしい。
「と、とにかくお伝え申した。失礼いたす」
そそくさと侍の気配が去っていくまで、絹は戸を睨み続けていた。
「まったく、何もかもが忌々しい……」
呟きながら、再び窓辺から王槐樹の姿を見やった。
今のやり取りをしている間に、九平治の亡骸は片づけられてしまったが、王槐樹は虚ろな顔で九平治のいた場所を見つめている。
(私は、ああはならない。既に全てを奪われつくし、涙も枯れた。ただ、果たすべき復讐があるのみ)
絹は、八岐大蛇と共に置かれていた書置きを手に取った。
「よいでしょう先生、あなたの指示に従います。私には、つわものとしての矜持も誇りもありませんから」
書置きを宙に放ると、絹は懐に忍ばせていた短刀を引き抜いた。
「業物『
抜き放たれた刀身の黒曜石から閃光が発せられ、書置きを両断した。
そして、その熱量で紙片が床に落ちる間もなく、その一片までをも焼き尽くした。
燃え落ちた書置きには、こう記されていた。
『八岐大蛇で王槐樹を撃つべし』
と。
◆
正午が近づいていた。
逝原城周辺には観衆が逝原城前の大濠を取り囲むようにつめかけ、ごった返しの様相を呈しはじめていた。
巷には各選手のデタラメな来歴が記された号外が配り歩かれ、町人たちはやいのやいのと試合の展開を予想し合っている。
その視線は城前の濠、中央に浮かぶ小島へと注がれている。
誰が植えたわけでもないのに松の木が生えてきたことからちょっとした名所として知られていたが、埋め立て工事によって整備され、立派な決闘の場へと姿を変えていた。
「なあなあ、どっちが勝つと思うよ」
「流石に王槐樹だろ」
「いや、天下無双だろうが業物には敵わないだろ」
「とは言え殲姫も小野街燕志郎ほどの女傑ではないんだろう?」
照りつける太陽の下、正午が迫るにつれて集まった観客たちの議論も過熱していく。
ある者は言う。
「まあ、順当にいけば王槐樹が勝つだろ。しょせん女のつわものなんて……」
その時。
「ひっ!?」
ゾクリと、その場にいた者全員の背を寒気が走った。
「な、ななな、何だァ……!?」
城内に続く濠の水路から、一艘の木舟がこぎ出してきた。
その上には、白銀の甲冑に西洋風の法衣を纏ったつわものが、舟の不安定な足場にも揺るがず佇んでいる。
姫という呼び名とはかけ離れた、重武装の戦乙女。
『殲姫シルクマリア』が、松殿島へと降り立った。
「なんて姿だ。ピカピカで、まるで仏様みたいだ……」
「馬鹿言え、ありゃあ異人の鎧具足だ。滅多なこと言うもんじゃねぇ」
ざわつく観衆たちを一瞥し、絹は兜の中で小さく舌打ちした。
(野次馬どもめ。平和に倦み、他者の殺し合いを娯楽として消費するか。いや……)
絹は思い直すと、逝原城の方を見上げた。
紅白幕に囲われた高みから、逝原柾国がこちらを見下ろしている。
(逝原柾国。貴様がそう仕向けているのだな)
しかし、今は柾国に構っている暇はない。
絹が現れた水路とは反対側から、同じく木舟が現れた。
その上に乗っているのは、『天下無双の王槐樹』。
しかし、堂々としていた絹とは打って変わり、王槐樹は木舟の底にうずくまり、ぶつぶつと何かを呟きながらしょぼくれている。
驚いたことに、さっきまでは黒々と艶やかだった髪の毛が、白く褪せていた。
(まさか、ほんの短時間でここまで弱るとは。『仕掛け屋九平治』は、彼にとってそれほどまでに……)
「兄貴よぅ……」
王槐樹は、舟が島に着いてもボーっとして動かない。
見かねた船の漕ぎ手が耳打ちした。
「おい、着きましたぜ」
「んあ? 着いたって、どこに」
「どこって、試合会場ですよ。お兄さん、アンタこれから殺し合うんだろ」
「ああ、そういやそんなのもあったなぁ」
王槐樹は、頭を無造作に掻きながら立ち上がった。
「もう、何もかもどうでもいいやぁ……」
嘆きながら船のへりに足をかけ、
「へぶっ!」
足を滑らせ、濠の浅瀬へと音を立てて転落した。
観衆たちも絹も、その痛々しいを笑うこともできず、ただ固唾を呑んで見守るしかない。
「俺はよぅ……ただ、兄貴に褒められたかっただけなんだ。兄貴はいつだって憎まれ口ばっかりだったけど、顔に出るからさぁ。俺が一つ強くなるたび、いつだって……」
呟きながら起き上がる王槐樹からは、やはり昨日までの覇気は感じられない。
(この男はもう抜け殻。先生の言う通り、『仕掛け屋九平治』の業物で葬ってやるのがせめてもの情けか)
「両者、はじめよ」
柾国の声が、観衆の困惑を押し潰すように堂々と響いた。
「はじめる? 何もはじまりはしませんよ。哀れな死にぞこないが正真正銘死ぬだけのこと」
絹は、懐から『八岐大蛇』の二号を取り出して王槐樹へと向けた。
向けられた銃口に、王槐樹は目を見開いた。
「それは、兄貴の……っ!」
「さようなら、『天下無双の王槐樹』」
絹は、容赦なく王槐樹の頭蓋めがけて八岐大蛇を撃ち放った。
発砲音が試合場を轟き、銃口からは紫煙がたなびく。
音速の弾丸を発した大蛇の振動に心地よい痺れを感じながら、絹は銃煙の向こうに佇む王槐樹を見据えた。
「あら、大人しく死んでくれると思ったのに」
王槐樹の手が、弾丸を握りしめていた。
「なぁんだ、兄貴。足を滑らせておっ死んだんじゃなったのか……」
ゆらりと、王槐樹の身体から湯気が立ち上る。
目の錯覚ではない。
転落した時に付着した濠の水が、蒸発している。
「まさか、『仕掛け屋九平治』が本当に事故死したとでも思っていたんですか?」
絹は、続けて三発を撃ち放った。
しかし、その度に王槐樹の手が弾道を阻み、弾丸をつかみとる。
「無駄だぜ。鉄砲ごときに殺されてやるわけにはいかなくなったからな」
弾丸を放り捨てながら、王槐樹が絹を睨む。
阿修羅のような怒りの相が、王槐樹の顔に剥き出しになっている。
炎のような殺意が、甲冑越しに絹の全身を照り付けるようだった。
(なるほど。先生が望んだのはこの状況か。覚醒したこの男を、私にぶつけるために……)
絹は、顔を覆う兜の内で口の端を歪めた。
不機嫌なのではない。
歯を剥き、笑らったのだ。
「上等。それでこそ、
絹は八岐大蛇を放り捨て、腰に差した天照の柄に手をやった。
「申し遅れました。私は種田=シルクマリア=お絹。幕府に滅された於頭藩唯一の生き残り。差し向けられた刺客をどれだけ斬り伏せてもくすぶり続けるこの殺意、あなたにぶつけることをお許しください」
「だはは! 殺意だって? そりゃこっちの台詞だってんだ、姐ちゃんよぉ!」
王槐樹は跳躍。虎のように地面を蹴ってシルクマリアに迫った。
『鬼門蠱竜会』第一試合。
『天下無双の王槐樹』対『殲姫シルクマリア』の幕開けであった。
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