第三章 殲姫シルクマリア
第18話 蠱師 -Worm King-
『天下無双の王槐樹』伝説は、人知れない山の中で始まった。
「なあ、九平治の兄貴。俺ぁ、拳法をやってみようかと思うんだよ」
「あ?」
人がひとり入りそうな穴を山奥に掘りながら、櫂――後に王槐樹と名乗ることになる男――は、兄貴分である『仕掛け屋九平治』に話を切り出した。
九平治は、口をへの字に曲げる。
「武術ってのは、頭を使うもんだ。お前みたいな図体だけの馬鹿には無理だろう」
「そこを何とか、兄貴の知恵を借してくれよ」
「けっ、猿に逆立ちを仕込むのとはワケが違うんだぞ」
愚痴を垂れつつ、九平治は足元に転がる死体の鼻を削いだ。
死体を穴に埋めた後、依頼人に殺しが完了したことを証明するためのものだ。
「……そう言えば、櫂。てめぇ頭はからっきしだが、穴掘りやら荷運びやら、単純な仕事の覚えだけは滅法早かったな。頭よりも身体で物を覚える手合いなのかもな」
「ああ! 舟こぎやってたからな」
「だったら、技は自分で考えずに人から盗め。各地の拳法家を訪ね歩いて、技をパクリまくるんだ。ムカつくぐらい人当たりの良いテメェのことだ。案外ウマくいくかもしれん」
「なるほど、流石兄貴だぜ!」
櫂は、九平治の思い付きに手を打って喜んだ。
その様子に、九平治は悪い気はしなかった。
「けっ」
不機嫌そうな顔を無理やり保ったまま、痰を吐いた。
「だが、どうして拳法なんだ? 剣術すら廃れ始めたこの時代によ」
「だってさ。刀持って威張り散らす侍どもの真似よりも、カラテが強い方が女にモテるだろ?」
「……はぁ」
九平治は、削いだ鼻を手拭いに包みながら溜息を吐いた。
「やっぱりテメェは馬鹿だよ。空っぽ頭だ」
ぶっきらぼうにそう言って、櫂の頭を小突いた。
九平治はその時のことを今でもよく憶えているが、きっと王槐樹は憶えていないだろう。
だが、それでいい。
「もうこれ以上、余計なことは憶えなくていい。あとは、勝て。勝って、テメェが天下無双だってことを証明しろ」
『天下無双の王槐樹』。
その誇大な通り名にもっとも囚われていたのは他でもない。
ハッタリのためにその名を考え広めた、九平治自身であった。
逝原城練兵場にて顔を合わせたつわもの四人たちはその晩、城内の来賓滞在用に建てられた御殿へと通されていた。
死合いを前に無用のトラブルを回避するためだろう。
集められた四人のうち、生き残るのはただ一人。
決死の戦いに挑むつわものたちのためにささやかな(それでも豪華ではあるものの)宴も催されたが、『虫斬り雹右衛門』と『殲姫シルクマリア』は欠席。『独言髑髏くも八』は少量の漬物と刺身のみで満足してその場で眠り始め、とても宴とは呼べない代物となった。
その中でただ一人、王槐樹だけは欲望のままに貪った。
「だはは、流石は逝原のお城! 出てくる酒も極上のさらに上、天上の味と来たもんだ」
御殿の居室に戻ってきた王槐樹は、豪快に笑った。
宴会場からかっぱらってきた酒瓶をラッパのように傾けながら、王槐樹は天井を見上げた。
「兄貴も飲もうぜ。まるで雲を舐めてるような気分だよ。良い酒だから、酔いも残らない」
「……はぁ。のんきな奴だ」
天井の裏から、声にならない溜め息が漏れ聞こえた。
「それより、対戦相手はどうなった? 『虫斬り雹右衛門』か、それとも『独言髑髏』か?」
流石の『仕掛け屋九平治』も、警備厳重な顔合わせの場には潜りこめなかった。
また、王槐樹から直接聞けばよいから、無理をして潜り込む必要もなかった。
「それがなんと、『殲姫シルクマリア』だってよぉ! 直接会ったが、あんな美人はそうそうお目にかかれないぜ、兄貴」
王槐樹はニッと満面の笑みを浮かべた。
しかし、九平治の声は重々しい。
「……そうか」
「?」
王槐樹は酒から目を離し、天井を見上げた。
「どうしたんだい兄貴。何だか浮かない声じゃないか。心配事でもあるのかい?」
「あるに決まってる。あの女だけは、どれだけ調べても弱みも業物も、何にもホコリが出て来やがらなかった。しかも……」
「しかも?」
「しかも、女だ。櫂、テメェに女が殺せるのかよ」
九平治が推し進めてきた王槐樹育成計画には、一つだけ明確な欠点があった。
剣術家、槍使い、柔術家、空手家、忍び、砲術師……王槐樹が出会い、技を盗み殺してきた達人は既に数百に及んでいる。
しかし、その中には一人も女性がいなかった。
王槐樹の出発点は、色欲。
女性を殺すことはその根本目的に反し王槐樹の成長を阻害すると判断した九平治は、あえて殺す標的を男に絞ったのだ。
女殺しは『天下無双の王槐樹』を完成させる最後の一手であり、最大の試練だった。
「何言ってんだよ、兄貴。いくら俺でも、
「どうだかな。テメェのことだ、殲姫を自分の技に惚れさせてから殺したいとか思ってるだろ」
「……駄目かな?」
「大馬鹿がよ。恋次郎の時だって俺が横槍を入れてなかったら『かまいたち』を奪う前に真っ二つにされてただろうがよ」
九平治は続けた。
「明日は間違いなく、死闘になる。『虫斬り雹右衛門』は妹を、『独言髑髏くも八』は孫娘を人質に取れば楽に殺れるが、『殲姫シルクマリア』にそういう弱みは無い。いいか、くれぐれも気を抜くな」
「ああ、分かってるよ兄貴。兄貴の言う通りにすれば、全てがうまくいく。今までそうだったし、これからもそうに違いねぇ」
「けっ、調子のいいことばかり言いやがって」
王槐樹の言葉に、九平治は天井裏で思わず顔を綻ばせそうになるのを手で押さえた。
自らが育て上げた最強の怪物に、ここまで全幅の信頼を置かれているのだ。
その全能感たるや、北邦一の大熊を仕掛け殺した時のそれをも上回っていた。
「……俺はもう行く。気を抜くなよ、櫂」
このままここにいては、自分の方が鈍ってヘマをするだろう。
自らをそう客観視した九平治は、意を決して天井を離れた。
「安心しろ。テメェのことは必ず俺が勝たせてやる」
九平治は王槐樹に聞こえない声でつぶやくと、気配を消して御殿を脱出した。
そのまま濠を越えて逝原城の外へと出るのも、彼には容易いことだ。
(間抜けな忍びどもめ。天下の逝原城の警備もこの程度か)
逝原城前の濠上に特設された『鬼門蠱竜会』試合会場を中心にぐるりと迂回しながら、九平治は周囲の気配を探る。
試合場が見渡せる見晴らしの良い場所からは、ことごとく人の気配がした。
明日から始まる蠱竜会を一等地から見ようと、町人たちが前日から場所取りをしているらしい。
「浮かれた馬鹿どもが、花見だとでも思ってるのか」
九平治はむっとしながらも、試合場から距離を取っていく。
見物人たちが試合を見られるような近場に潜むつもりはなかった。
(もしもの時は、俺が『
家々の屋根から屋根へと飛び移りながら九平治は予め目星を付けていた地点、逝原城から程よい距離にある、小ぶりな山の中に佇む粟国神社の境内を目指した。
そこならば邪魔が入ることはないし、狙撃用の遠眼鏡を併用すればギリギリ試合場も観測できる。
「まるで俺のために用意されていたかのような穴場だな」
都の中とは言え、山は山。
九平治にとって、忍び込むのはあまりに簡単なことだった。
周囲の気配を探りながら、狙撃地点を目指して薄暗い山を登る。
その時だった。
「……あ?」
九平治は、足を止めた。
薄暗い山林の奥、九平治の目指す先に誰かが立っている。
姿は暗闇で見えないが、気配がある。
闇の中に光る双眸は、月の光を反射して青く光っていた。
「誰だ」
九平治が問いかけると、人影は口を開いた。
「死に逝く虫けらに、名乗る名などない」
男の声だった。
人影は、九平治を指さした。
「以津魔天を十全に扱えるつわものなら、必ずここを狙撃地点に選ぶと思っていた」
「ほう……こいつのことまで知ってるのか」
九平治は、分解状態の御射軍神を納めた木箱を背から下ろすと、短刀を抜き放った。
懐には八岐大蛇も仕込んであったが、これから潜む都合上、八岐大蛇の銃声を周囲に響かせるわけにはいかない。
「お前が何者かはこの際どうでもいい。弟分の晴れ舞台前だ。消えてもらうぞ!」
フッと、九平治の姿が完全に闇に溶けた。
音も臭いも気配も完全に絶ち、九平治は山中を移動しながら相手へと忍び寄る。
その移動法の正体は、蜘蛛やごきぶりの動きを取り入れた、超低姿勢での這うような歩法。
直立二足歩行は、山の中ではあまりに非合理的。
四足歩行でもまだ足りない。
九平治はピッタリと腹を地面につけ、五体を駆使して茂みの中を行き来しながら、謎の人物の背後へとまわりこむ。
殺意すら完全に消し去ったまま、九平治は相手の背後から短刀を突き出した。
短刀が風を切って音がでないよう、ゆったりと減速した突き。
絶対に、悟りようがない。
(死ね)
刃の切っ先が男の頸へと触れた感触に、九平治は勝利を確信した。
しかし……
「業物『
短刀が男の頸を裂く前に、九平治の全身が衝撃が揺れた。
「うおっ!?」
九平治は、馬に蹴られたような一撃に大きく吹き飛んだ。
背中から木にぶつかり、メキメキと枝の折れる感触が全身を伝う。
「痛……っ!」
呻きながらも、全身に感覚を巡らせて骨や筋肉に故障が無いことを瞬時に感じ取る。
(問題ない、まだ殺れる!)
戦意をみなぎらせて起き上がった九平治。
その真横から、男の拳が迫っていた。
「なっ、いつの間に……!?」
不可避の第二撃。
避けるのも防ぐのも不可能だと、九平治の本能が告げていた。
(この拳の勢い、間合いを詰める速さ。まるで櫂じゃねえか……ッ!)
死。
その一文字が脳裏に浮かぶ間もなく、九平治の頸椎は粉砕された。
鉄槌のような一撃を前に、首の関節を外して逃れることもできなかった。
「『天下無双』を育てた者とて、こんなものか」
頭部との神経接続を断たれビクビクと痙攣する九平治の亡骸を、男の冷ややかな目が見下ろしている。
「『
男は九平治の亡骸を抱え上げる。
そして、闇に溶けるようにその場を立ち去った。
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