第16話 主催 -Massacre-
城が燃えていた。
雪の降る夜空の下、天守閣が紅々と燃えて見る者の心を焦がす。
天朽八年。
後に『於頭・種田の乱』と呼ばれる反乱の鎮圧戦は、幕府軍の圧勝で幕を閉じようとしていた。
元より幕府と反乱軍の戦力差は明白だったが、あるつわものの参加が、一方的な殲滅戦に拍車をかけた。
「これが、業物『
遠巻きに燃え盛る火災の現場を眺めながら、男がつぶやく。
後に『裏』の世界でマサという通り名で恐れられるその男は、顔に照り付ける炎の熱気に思わず唾を呑む。
「たった一本の刀、たった一人のつわものが城を、千数百の人間を丸焼きにしてしまうとは……」
城を燃やしているのは、味方だ。
さらに、マサの周囲には大勢の忍びや侍たちが控えている。
まごうことなき勝ち戦だ。
行われているのは一方的な蹂躙であり、マサの身に類が及ぶことはあり得なかった。
それでもなお、マサの心は戦々恐々としていた。
「ああ怖い。戦というのは本当に恐ろしい……」
城を燃やす焔の向こうから、一つの人影がふらふらと歩み寄ってくる。
「あ˝ー……」
炎のようなぎらついた目をした、壮年の侍だった。
戦国末期の逝原で暴れまわった大剣客だ。
「大丈夫かな、禍山どの」
「いんや、全然だめだ」
訊ねると、禍山は不機嫌そうに首を横に振った。
「久しぶりの戦だってのに、どいつもこいつも弱すぎる。こんな弱兵どもしかいねえのに反乱なんか起こすなってーハナシだ。不完全燃焼でケツがムズムズしやがる」
「不完全燃焼、か……」
禍山の背後では、城一つ燃えている。
だが、このつわものはまったく満足していないらしい。
そもそも、『満足する』などという心の機能がこの男にも働いたりするだろうか。
炎は、燃やせるものさえあれば際限なく燃えるものだ。
「城の中に一人面白そうな奴がいたんだけどよぉ、よく分からん娘っ子を連れてさっさと逃げちまったよ」
「ほう、それは興味深いですな」
「ま、城のあの様子じゃあ、地下に逃げ道でもない限りは焼け死んでるだろうけどなぁ」
禍山はぼやきながら、ため息を吐いた。
「にしても、戦ができるって言うからわざわざこんな
挑発的な禍山の言葉に、周囲の忍びたちがピリついた。
しかし構わず、マサは笑った。
「安心していただきたい。いずれ禍山どのの満足のいく『死合い』の場を提供しましょう」
「ほんとだな? もし嘘だったら……」
「おっ……⁉」
その切っ先は、マサの脾腹を貫いている。
「な、何を……」
「例えばこんな風に、都も城も人間も、何もかも全部燃やしちまうからな?」
かち、かちちちちちちちちち。
ぼうッ!
空気が膨張する音と共に、マサの身体が炎に包まれた――
「うおァッ!」
マサは、逝原城内の一室で叫び声と共に飛び起きた。
慌てて胸を押さえるが、刺されたはずの傷は実在していない。
それもそのはずだ。
於頭・種田の乱は既に七年前の出来事だ。
それに、
「くくく……私としたことが、死人を恐れるとは……」
マサは、頭を押さえた。
「あら、どうなされました……?」
隣で寝ていた女房が、眠い目を擦りながら起き上がった。
「起こしてすまない。少し夢を見ていた」
「あら、珍しい。あなた様がうなされるなんて、今日は雪でも降るんじゃないかしら」
「……くくく、かもしれないな」
夢の中の雪景色を思い出し、マサは苦笑した。
外を見やると、既に陽が出ていた。
遠くに、ぴーひゃらと笛の鳴る音が聞こえる。
その音色に太鼓や金物の音が混ざり、にぎやかさが大気を通して伝わってくる。
祭囃子だ。
天朽十五年、八月。
既に、夏祭りが始まっていた。
『
曰く、
『つわものどもを修羅に投じ相争わせるは、戦国より生まれ落ちた逝原の習いを再現せし儀式。鬼門より来る毒を転じて竜と為し、天下泰平をより盤石とするものなり』と。
つまり「殺し合いによって平和ボケを正そうとした」というような意味だが、果たしてそのようなお題目でつわものたちが本当に殺し合ったのか。
後世でも議論が分かれている。
「なあ、お前はどう思うよ」
「んー?」
逝原城の大手門を守護する衛士が、汗を拭いながらふと同僚に問うた。
「どう思うって、何が?」
「だから、『死合い』だよ。上様は何故にこんなことをなさるのか」
「さあなぁ」
同僚は夏の暑さに顔を扇ぎながら生返事した。
「別に、御前試合なんて昔からごまんとあっただろうに」
「しかしだな、最後の一人になるまで殺し合わせるというのは異常だ。そうだろう?」
「それは……まあ、そうだが……」
かつて、剣術試合にトーナメント制は用いられなかったとされる。
一人の達人の腕を試すための『勝ち抜き戦』や、二勢力に分かれて一組ずつ戦う『団体戦』はあれど、ただ一人が勝者となる試合などは前代未聞だった。
あくまで武術の本番とは現実の殺し合いであり、あらゆる鍛錬や試合はそれらに備えた訓練でしかない。たかが訓練で、貴重な剣士を多く失うわけにはいかなかったのだ。
後の世に編み出されるスポーツとしての武芸、『現代武道』の概念によって武芸が安全な競技として再編されるまで、いわゆるトーナメント方式は非合理的なものとして扱われることになる。
しかし戦国、もっと広く言えば競争原理の通用する場において、ただ一人のみが勝者たりえる状況は、時に大きな効果を生み出すこともある。
「これは、『蠱毒』なのだよ」
「む、なにやつ!」
背後から囁かれた声に、衛士はすかさず刺叉を構えて振り返った。
しかし相手の姿を認めるや、慌てて武器を降ろした。
「これはこれは、マサどのでしたか。大変失礼仕りました」
「いやいや。立ち話が聞こえたものだからつい、な」
マサは常と変わらない様子で笑っている。
「それより君たち、『蠱毒』を知ってるかね?」
マサの言葉に、衛士二人は顔を見合わせた。
「いえ……」
「分かりませぬ」
「『蠱毒』とは、大陸の古い呪術だ。複数種類の毒虫を同じ壺に入れ、最後の一匹になるまで殺し合わせる。すると、どうなると思う?」
「一番強い毒を持つ虫が分かる……ですか?」
「半分正解、といったところだ。だが、『分かる』のではなく『造る』のだ。生き残った虫に競い合った者たちの毒が混ざり合って、全く新しい毒が出来上がる。複雑に絡み合った毒は解毒もできなければ、使った手口を読まれる心配も無い、最強の毒だ。それはまるで……」
「まるで?」
「片田舎の小国から戦国に身を投じて天下統一を果たした、この逝原という国と同じだとは思わないかね?」
「そ、それはどうでしょうな。そんな考えは畏れ多くて……」
「くく、まあいい。それより……」
マサは濠の向こうを指さした。
「気を付けたまえ。壺に投げ入れられる一匹一匹の毒虫たちですら、我々の手には余る。圧倒されないように、気を張るのだ」
「……はい?」
「特に彼は危なっかしい。私が直々にお出迎え、だ」
その時、衛士たちはぶるりと身震いした。
夏の盛りだというのに、背筋に氷柱を突き立てられたような寒気がする。
「だ、誰だ⁉」
見やると、濠を渡す橋を歩いてくる人影が二つ。
「ほら、爺ちゃん。もうすぐ着くから真っ直ぐ歩いてったら」
「ほぇ~?」
幼い町娘と、彼女に手を引かれてよろよろ歩く老爺の二人組だった。
老爺はつぶやく。
「のう、婆さんや。飯は食ったっけかねぇ?」
「来る前にたんと食べたでしょ! それに、アタシはお婆ちゃんじゃない!」
「そうだったかねぇ」
「そうなの!」
「そうかぁ。そうだったかのぉ……」
老爺は呆けた声を漏らし、髑髏のように痩せこけた身体をかくかくと震わせた。
「……この御仁は?」
「『独言髑髏くも八』だ」
「な……っ! この枯れ木のような老人がっ⁉」
衛士たちは目を剥いた。
「そう。夜な夜な都に出没しては逝原の裏社会を荒らしまわった、悪人専門の無差別殺人鬼、『独言髑髏くも八』とは彼のことだ。本人は正当防衛のつもりのようだがね」
マサは語りながら、おもむろにくも八の手首を掴んだ。
「まだだ、くも八。人を斬りたいなら、『死合い』の場にしなさい」
「ほぇ?」
枯れ木のようなくも八の手は、腰に差した刀に伸びていた。
「今すぐじゃあ、駄目かのぉ?」
「駄目だ。ここで彼と戦えば、お孫さんもただじゃ済まない」
「ほぇ……」
くも八とマサはゆっくりと道を振り返った。
濠を渡す橋の向こう側に、『彼』が立っていた。
笠を目深に被った重装の剣士。
その腰では、業物『羽々斬』が鞘の中で冷たい存在感を放っていた。
「逝原城へようこそ、『虫斬り雹右衛門』先生」
「……」
笠の隙間からぎろりと鋭いまなざしが光る。
その切っ先は因縁の相手であるマサではなく、くも八へと向いていた。
「貴様のような『虫』は、初めて見る」
「ほーう、げっげっげ」
くも八は呆けた顔のまま、ヒキガエルの鳴き声のような笑い声を漏らした。
「お前さんこそ、若いのになかなか匂うのぅ。むせかえるような血の匂いじゃ」
「……虫め」
何かが掛け違えばそのまま斬り合いが始まる。
そんな緊張が辺りを支配したのも、つかの間だった。
「ほら、爺ちゃん! 試合相手の人にもちゃんと挨拶しなきゃダメでしょ」
「ほぇ」
孫娘に頭を押さえられ、くも八は無理やりにお辞儀をさせられた。
「すみません。ウチの爺ちゃんったら、頭がぽわぽわしちゃってて」
「……」
孫娘の無邪気な仲裁に拍子抜けした雹右衛門とくも八は、それぞれ半歩退いた。
事の運びに、マサはホッと胸をなでおろした。
「さあ、他の面子は城内に揃っております。参ろうじゃあありませんか」
マサは声の調子を落とした。
「将軍を待たせたいのなら別ですがね」
「……」
雹右衛門は押し黙り、マサの後に続く。
その口が、小さく呟きを漏らした。
「独言髑髏……あれは本当に、『人』か?」
「半分ぐらいは別の何かになりかけているようですが、人ですよ」
答えながら、マサは自身の口元が綻んでしまうのを意識して押さえる。
(雹右衛門先生、あなたの気配も、もうかなり人間離れしておいでですよ)
自覚のないところが、つわものたちの愛おしくも恐ろしいところなのだ。
『毒』は、悪意があって周囲に害を及ぼすのではない。
ただ、そこにあること自体が『害』なのだ。
(ご安心を。万事我々が上手く取り仕切ります故、その毒を存分に吐き出し、殺し合ってください)
マサは心の中で念じながら、前方を指さした。
「あちらです。これで四人揃いましたな」
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