第15話 天照 -Light Saber-



業物『天照あまてらす』は、素人目には玩具おもちゃのようにしか見えない業物だ。

通常の刀とほぼ同質量の柄に対し、伸びる刃は三寸(およそ9センチメートル)程度の黒曜石製。

鋭くも脆い刃には、打製石器程度の殺傷能力しかない。

あまりに原始的な、業物と呼ぶのにはあまりに遠い刀だ。


ただし。


ある条件を満たした時だけ、この刀はまばゆい光の刃を纏うのだ。



雹右衛門は二度、この刀の恐ろしさを目の当たりにしたことがある。



「見よ、雹右衛門」


それは、まだ父であり師、しろがねこおが健在だったころ。

庭に連れ出された雹右衛門の前で、凍理は天照を鞘から引き抜いた。


「わ……っ」


雹右衛門は、思わず声をあげた。

黒曜石の刃が、月のような涼やかで淡い光を纏っていたからだ。


「綺麗だ」


まるで、空に輝く月の欠片を地上に持ってきたかのようだ。

少年時代の雹右衛門の幼い感性は、その光に魅入られた。


しかし、凍理は「いな」と首を横に振った。


「今のは『斬れぬように』遅く抜いた。この程度の光では、目くらましにもならない」


天照あまてらすの黒刃を鞘に納めると、凍理は試し切り用の巻き藁を見やった。


「業物の真価は、機巧からくりと達人の技術が美しく噛み合った時に実現する、人と武器の融和にある」


凍理は、天照の柄を撫でた。


「その点、この天照はよくできている。素人の鈍重な『居合い』では光が拡散してしまい、武器の用途をなさない。その代わり……」


凍理は、殺気を発した。

次の瞬間、雹右衛門の目に、刹那の出来事が焼き付いた。


凍理が高速で鞘を引きながら抜刀すると、刀の鍔と鞘の隙間から、強烈な光が漏れ出した。

それは、光なのに熱や質量を持っているかのような濃厚な光。

見えたのは、凍理がそのまま抜刀した天照で巻き藁を斬りつけたところまで。

次の刹那には、雹右衛門の視界はまばゆい光に閉ざされた。


「見よ、雹右衛門」


眩んだ目をこすりながらどうにか目を開く。


「ひっ」


巻き藁とは、竹に藁の筵を巻いて水に浸した、人体に感触や強度が近づくよう設計された試し切りの道具だ。

藁は肉で、削げればまずまず。

竹の骨まで断てれば上等。


そんな巻き藁を、黒く焼け焦げた焼き傷が両断している。

さらにその向こうを見やると、屋敷を取り囲む塀にまで傷が刻まれていた。


「抜きがはやければはやいほど、金剛石にため込まれた光は圧縮され、刃は細く長く、鋭く伸びる。銃よりも射程と攻撃範囲に優れ、なおかつ刀よりも鋭い至高の一閃だ」


凍理は天照を納刀した。


「今、これほどの居合いを放てる剣士はそう多くない。生きている中では、夢路一族の首切り役人ども、山焼きのさいばらざん、それにあさずのかみぐらいなものだ」


凍理は雹右衛門を見た。

「にらんだ」と言った方が正確かもしれない。


「よいか、雹右衛門。城銀家の鍛冶師たるもの、最強であれ。作り手が達人でなければ至高の一振りは生み出せん」

「はい、父上!」


勢いよく答え、雹右衛門は竹刀を握りしめた。


「さっそく、稽古をお願いします!」


その後ろで、まだ小さな雪路が指をしゃぶりながら二人を見守っている。

雹右衛門は雪路を振り返り、雹右衛門は勇んだ。


「見ていろ、雪路。おれは強くなるぞ!」


気合を発すると、凍理に向かって打ってかかる。

雹右衛門がまだ弱く、何も失っていなかった、ある春の追憶である。



(思えば、何も考えず強さを目指していたあの頃が、一番楽しかった…)


屋敷の閉めきった工房で、天照を見つめながら雹右衛門は懐古した。


外の雨足が強くなり始めていた。

屋敷の閉めきった雨戸がガタガタと鳴り、強風で時たまかすかな揺れを感じる。


しかし、雹右衛門は外の様子など眼中にない。

舶来のランプで照らされた工房の中、ただ目の前の天照を見つめていた。


「だが、あれほど強かった父上は殺され、その時に奪われたこの刀で、雪路は目を焼かれた。それに、おれも今や……」


つぶやく雹右衛門の背後、工房の入り口に気配がした。


「雪路か」

「兄さま。お絹さんを応接間にお通しして、お茶をお出したけど……」

「ありがとう雪路」

「う、うん」


何も知らない雪路とて、何かただならぬ気配を感じ取っているのだろう。

不安げに、雹右衛門の背を見つめていた。


「何かあったの? 家に戻ってから、さっきから二人とも様子が変……」

「大丈夫だ、雪路。大丈夫」


雹右衛門は、雪路の手に頭を置いた。


「ちょっと難しい仕事の話だから、お互い緊張しているだけだ。ちゃんと話せば、問題ない」


雹右衛門は、天照を手に立ち上がった。


「絹どのと話してくる。長くなるかもしれないから、雪路は部屋で休んでてくれ」

「喧嘩とか、しないよね……?」

「本当に少し、大事な仕事の話をするだけだ」


(そう、これは仕事だ。『虫斬り』としての、大事な……)


答える雹右衛門の懐には、業物『羽々斬』が秘められていた。




応接間に向かうと、絹がコトンと湯呑を置いた。


「……お茶、ご馳走様でした。良い茶葉を使ってるんですね」

「世間話をする気はない」


雹右衛門は天照の鞘を握りしめ、絹の前に突き付けた。


「業物『天照あまてらす』。七年前、我が家に押し入り父を殺した賊が、雪路の目を焼き奪い去って行った業物だ」

「……!」


絹は、わずかに目を見開いた。

『雹右衛門』の名を聞いた時と同様、驚いている。


(やはり、知らぬか)


演技ではないと、雹右衛門の優れた気配察知能力が告げている。


それにもとより、目の前の絹が雪路の目を焼いた張本人と考えるのには無理があった。

七年前の事件当時、雹右衛門は十歳だった。

だとすれば当時の絹は、見た目からして多くとも十二、三といったところ。


たとえ夜闇に乗じたとしても、父凍理を斃して業物を奪うことなど、できるはずもない。

企みに参加しているとも考えにくい。


(まずは、話を聞かなくては……)


頭では理解している。

だが、再び現れた天照を前に、雹右衛門の頭は焦げ付いていた。

憎悪の目で絹をにらみ、歯を剥きだしにせずにはいられない。

ふと気を抜くと、斬りかかってしまいそうだった。


「……やはり、あの傷は天照によるものでしたか」


絹は、眉をしかめた。

雹右衛門が『虫』を見た時と同じ、厭い忌み嫌うような陰が、物憂げな顔に浮かぶ。


「私は、故あって追われる身。今まで何人もの刺客を、この天照で斬り伏せてきました。だから妹さん……雪路ちゃんの傷跡を一目見た時に、もしやとは思いました」

「……この剣を、抜けるのか」

「もちろんです」


絹は、きっぱりと答えた。


それは、凄まじいことだった。

天照は神速の抜刀があって初めて殺傷能力を発揮する。

これを抜けたという事実、それは絹が逝原でも指折りの抜刀術を習得していることの証明だ。


「この天照を抜けなければ、私はとうの昔に死んでいたことでしょう。業物は素晴らしいですね。非力な私にも、生き残る力をくれた」

「……業物はしょせん、人殺しの道具だ。業物がアンタを生かしてるんじゃない。アンタが、業物で殺しているんだ」

「同じことです。あなただって、『虫』とやらを斬ることで、雪路ちゃんを守ってきたのでは? 守ることと攻めることは表裏一体、まさかそんな道理もわきまえていないほど、愚かではありませんよね」

「……っ」


雹右衛門は、言葉に詰まった。

絹には、全てを見通されているような気さえする。

いや、見通されているのだろう。

絹の物憂げな表情が、雹右衛門を憐れんでいるような気がした。


「あなたは、殺す相手を『虫』に例えて罪悪感から逃れてきたのですね。『悪い奴だから斬っていい』、『人じゃないから斬っていい』。でも本当はその罪に心の底では気付いているから、雪路ちゃんに隠れてコソコソと斬り続けている」

「黙れ」


雹右衛門が左手を伸ばすと、袖から羽々斬の柄が飛び出した。

柄を握りしめ、雹右衛門は静かに凄んだ。


「雪路にこれ以上、この世の地獄を見せろというのか。もう十分、罪のない人間には耐えきれないほどの苦痛を与えられてきたというのに……っ!」

「そうやって、自らの憎しみを正当化するために雪路ちゃんを使うのですか」

「っ!」

「私は、そんな惰弱な真似はしない」


絹は、自らの胸に手を当てた。


「私の名は、種田=シルクマリア=絹。幕府に反旗を翻し根絶やされた旧於頭藩主、種田=オーギュスターン=麻時の娘。私はこの太平の世、逝原の国そのものを憎んでいる。殺された家族や友人、領民の恨みもある。しかし私はあくまで私の心でこの国を憎み、私のために人を斬っている」


絹の言葉は静かだ。

しかも、力強い。


「自身の業に向き合っていないあなたには、負ける気がしないわ。『虫斬り雹右衛門』」

「……今のこの状況でも、か」


雹右衛門は、羽々斬を抜刀し、濡れた切っ先を絹へと向けた。

白煙を発する刃が、真っすぐに絹へと突きつける。

だがしかし、絹は動じない。


「図星を突かれたからと、丸腰の女を殺すおつもりで?」

「……家族の仇であったなら、そうしていたさ」


雹右衛門は羽々斬を鞘に納めた。


「ここで殺り合うつもりはない。天照あまてらすも修理しよう。ただ、いかにこの剣を手に入れたか。それだけは、答えてもらうぞ」


絹は、ゆっくりとうなずいた。


「師から、譲り受けたのです」

「師?」

「燃え落ちる城から逃げ延びた私を、一人前のつわものに育ててくださった恩人です」


(燃え落ちる城……於頭藩は逝原軍によって殲滅されたと聞くが、その時か)

雹右衛門は考えを巡らせつつも、本来の目的に話を寄せた。


「師の名は? どこの土地の者だ」

「分かりませぬ。私と接する時はいつも人皮の面をつけ、ただ『こし』と名乗っておいででした」

「こしとは?」

「恐らくは、『』かと。毒を扱うまじない師を、大陸ではそう呼ぶそうです」


絹は、自嘲気味に笑んだ。


「彼いわく、私を鍛え生かすことが、後々この太平の世を侵し、戦国の世を取り戻す『毒』になるとか。他に話したことと言えば、業物の使い方と殺しの技術ぐらいなものでした」

「毒、か……」


確か、マサも『どく』がどうだとか言っていた。

しかし、マサが言っていたのは、“戦国の世を殺す『毒』”。

絹の言う、“太平の世を殺す『毒』”とは用途が逆だ。


「この国の裏で、何が起きているというのだ……」

「さあ。私たちはしょせん、彼らの操るつわものに過ぎないのかもしれませんね」


絹は、クスリと笑った。

しかし目は笑っていない。

紙に墨を垂らしたように黒く塗りつぶされた瞳が、雹右衛門を見据えている。


「その師とやらは、今どこにいる」

「半年前に別れたきりです。ことが済み次第、合流する手筈です」

「『死合い』か」


こくりと、絹はうなずく。


「師と会いたければ、『鬼門蠱竜会』を生き残ることです。もちろん、私とてやらなければならないことがあります。命を譲る気はありません」


絹は、立ち上がった。


「話すことはもうありません。後日、天照を受け取りに参ります」

「その必要はない」

「え」


雹右衛門は天照の鞘を示した。


「おれならば、一晩で直せる。金剛だいあもんどから黒曜に光を伝える回路の水晶管が壊れていただけだ」


雹右衛門は、外を見やった。


「それに、外は雨だ。この中を帰すのは城銀家の流儀に反する。それに……」

「それに?」

「雪路がアンタを気に入っている。一晩だけでも、話し相手になってやってほしい」

「……よいでしょう」


絹は、雹右衛門の前に手をつき、一礼した。


「一晩、軒をお借りします」



翌朝早く、絹は万全の天照を受け取ると雪路が起きるよりも早くに城銀家を去っていった。


「では『死合い』の場にて」

「ええ。『死合い』にて」


そして、夏祭りが始まった。

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