第12話 かまいたち -Air Slash-
『
少なくとも、
「ちっ、威勢だけの雑魚どもが。手間を取らせやがって」
それは、今から五年前のこと。
裏の仕事人として名を
『
後になって思い返せば、金のためとは言えつまらない仕事であった。
「なんだ、このデカブツ。こいつも
九平治が
「ま、待ってくれ! お、おおお、俺は力仕事に雇われただけでっ、アンタらに恨みなんてねぇんだ! 言われた通り働いてただけなんだ、見逃してくれよぅ!」
そのあまりのみっともなさに、九平治も、依頼人の
「『仕掛け屋』先生、そいつぁ使い走りの
「そんなぁ! か、勘弁してくれよぅっ!」
泣きべそをかいての命乞いに、九平治は眉をしかめる。
元々、強者をハメ殺すことにしか興味がない九平治である。
最初から負けている弱者をいたぶったところで心は動かない。
「ちっ……弾の無駄だ。さっさと失せろ」
九平治が八岐大蛇を降ろすと、巨漢は何度も九平治に頭を下げた。
「あ、ありがてぇ! ありがてぇ、ありがてぇ」
たまには
そう九平治が思っていると、不意に彼の大きな手が九平治の手をつかんだ。
「アンタぁ、俺の命の恩人だ! 頼む、俺を子分にしてくれ!」
「……は?」
「だってよぅ!
「……ちっ」
九平治は舌打ちすると、巨漢の脇腹に
「テメェ、やっぱりここで死んどくか」
「ちょっ、待った待った! 俺ぁ褒めてんですぜ、
「誰が
巨漢に怒鳴りつけながらも、九平治はこの時に二つの誤算を犯していた。
一つ目。
それは、すぐに使い捨てるつもりでいた若者『
そして、もう一つ。
それは、『
「カーァッ! カーァッ!」
「カーッ」
「カカァ―ッ!」
色町『花の艶ヶ谷』周辺にて。
賢く、危機察知能力の高い彼らは感じ取っていた。
『天下無双の王槐樹』対『かまいたち恋次郎』。
今、この場所で戦っている怪物たちには近づくべきではない、と。
「化け物どもめ。通り二つ挟んでも、気配がプンプン
九平治は、
位置がバレた狙撃手は、速やかに移動すべし。
後に近代狙撃術の基礎として組み込まれることになる基礎概念を、九平治は狩人としての経験から既に体得していた。
とはいえ、裏切りがバレた以上は恋次郎に二度目の狙撃は通用しないだろう。
九平治が走っているのには、別の理由があった。
「動くな」
薄暗い路地裏で、九平治は男の後頭部に
「……どうも、九平治さん。ご遺体が見つからないから、心配してたんですよ」
振り返ろうとするマサの頭に、九平治は銃口を強く押し付けた。
「動くなって言ってんだろうが。その辺でウロチョロしてる忍び共も、こいつの脳みそぶちまけたくなかったら、大人しくしてるんだな」
九平治は、周囲をにらみながら凄んだ。
「バレてねぇとでも思ってんのか? 四人も頭数揃えておいて、ボンクラばかりか、ん?」
「「「「……ッ!」」」」
物陰から、驚きの声が漏れた。
どうやら『四人』という数字は図星だったようだ。
「しかし、まさか九平治どのと王槐樹どのが義兄弟であらせられたとは、我々の調べが甘かったようです」
「ふん、しょせんテメェら幕府の目なんて節穴よ」
「……ふふ、そのようですね」
マサは自嘲気味に笑った。
「我々、死んだフリには騙されてばかりでして……」
「あ?」
「こちらの話です」
「ち、余裕ぶりやがって」
銃口を向けたまま、九平治は舌打ちした。
「テメェを殺してわざわざ幕府を敵に回すつもりはねぇ。だが、櫂の稽古の邪魔をするならぶち殺す」
「稽古、ですか」
「そうだとも」
九平治は、口元を笑みに歪めた。
「あれは俺が育てた怪物。あいつは、達人を喰えば喰うほど強くなる化け物だ」
◆
「だらっしゃあッ!」
王槐樹は掛け声を発すると、『かまいたち恋次郎』の胸めがけて直線蹴りを繰り出した。
槍の一突きのような鋭い蹴り。
しかし、恋次郎に言わせてみれば、それはとんでもない悪手だった。
「刃物相手に手足伸ばしちゃいけませんよ」
最小限の動きで蹴りを躱すと、突き出された脚に刀を添える。
このまま刃を押すか引くかすれば、スッパリと足の腱は切断されて使い物にならなくなる。
瞬きほどの時間があればそうなる。
だが、達人たちの時間感覚において、『一瞬』は十分に対処可能な猶予時間だ。
「どらぁッ!」
脚を伸ばしきっていた王槐樹の上半身が、消えた。
脚を囮に、もう片方の足で回し蹴りの体勢に入ったのだと悟るころには、既に恋次郎の目の前に大木のような足先が迫っていた。
「くっ……」
バチッと弾くような音と共に、恋次郎の頭部を王槐樹の足が掠めた。
「あいててて」
九平治に撃たれた左側頭部から、さらに出血が増していた。
トクトクと血の垂れる恋次郎の足元に、赤く濡れた物体が転がっている。
よくよく見れば、それはもがれた恋次郎の左耳だった。
「おいおい。大丈夫かよ恋次郎」
「なに言ってんです。アンタの
「やなこった」
「ひどい人だなぁ」
軽口をたたきながらも、二人は刹那の交差を幾度も経て、無数の傷を作り合っていた。
互いに致命傷を与える隙が無いから、確実に体力を削る一撃を刻み合っている。
そうせざるを得ないぐらい、二人の実力は拮抗していた。
「へへ、痛い思いをするのは、ずいぶん久しぶりですよ」
「だははっ、そう言うアンタもすげぇよ。久しぶりの『格上』だ」
王槐樹は、刀傷だらけの身体で笑った。
派手に出血している恋次郎と比べても、王槐樹の方が傷は多かった。
生半可な刃を通さない鋼の肉体を基軸に体術を構築している分、『鉄を斬れる』恋次郎とは相性が悪い。
ただでさえ、素手と剣の勝負だ。
その形勢は、火を見るより明らかと見えた。
しかし……
「気味が悪いですよ。何か狙ってるんですか?」
恋次郎の顔からは、いつしか笑みが消えていた。
「なぁに、何事も稽古だよ」
王槐樹は歯を剥いて笑った。
その目だけがギョロギョロと蠢き、恋次郎の一挙一動を捉えている。
まるで、何かを待っているかのような。
そして、それは単純な死角や隙のようなものでもないらしい。
「ほんとうに、気味が悪いなぁ……」
きっと、この展開こそが、九平治が恋次郎に近づいてきてまで仕掛けた罠なのだろう。
九平治ならば、毒を盛るなりその他どんな方法でだって恋次郎を殺せたはずだ。
ただ単純に相手を殺す以上の結果を、この二人は求めている。
「いやだなぁ」
ぼやきながら、恋次郎は薄く目を見開いた。
抜き身の刀のような、細く鋭い眼光だった。
「でもね。刃物ってのは、そういうイヤ~な流れを断ち切るためにあるんですよ」
恋次郎は刀を鞘に納め、足を肩幅よりやや広めに開き、腰を落とした。
そして、逆手に柄を握り、居合抜刀を構えた。
恋次郎の周囲が、シンと静まり返った。
夏のうだる暑さが色褪せ、『死に神』に対峙した薄ら寒さだけが大気の底を漂う。
「一撃で、首を落としてみせますよ」
ひんやりと告げる恋次郎に対し、王槐樹は真っ向から迫る。
「もったいぶらずに見せろや! お前の技、その全てを」
「どうぞ」
チンと恋次郎の刀が鍔鳴りした、その時。
刀を起点に薄い空気の層がふわりと宙を舞い、王槐樹の首筋をスルリと抜けていった。
刃によって起こされた、細く鋭い『風』。
それが、『かまいたち』の正体だった。
「……かはぁッ!」
ゴボリと血を吐き、王槐樹はよろめいた。
首筋にパックリと傷が口を広げ、そこからとめどなく血を吐き出す。
「あらら。筋肉が太いものだから、一刀両断とはいきませんでしたか」
恋次郎は、首を押さえて悶える王槐樹を憐みの目で見下ろした。
「処刑人をやってて一番辛いのは、下手を打って相手を苦しませてしまうことです。死罪人に情状酌量の余地はありませんが、これだけは本当に申し訳なく思います」
ぶつぶつとつぶやきながら、恋次郎はチャキッと刀を構えた。
「どうぞ、気を楽に。今度こそ、スパッと逝けますから」
「余計なお世話だ!」
王槐樹は、恋次郎の胴めがけて渾身の手刀を打ち出した。
しかし、手刀は文字通り、『空を切った』。
鉄砲すら避ける恋次郎の身のこなしの前では、当たるはずもない。
「へへ、無駄ですよ、王槐樹さん。さあ、また邪魔が入らないうちに首を……」
言いかけて、恋次郎は足を止めた。
「あれ?」
恋次郎が濡れた感触に足元を見やると、そこには流れ出たばかりの新鮮な血だまり。
血は、まだホカホカと温かい。
視線を少しずつ自分に向けると、恋次郎の脇腹が裂け、そこから臓物と血がドロリと流れ出している。
「あれ? あれれ? あれっ、あれぇ……ッ!」
むせかえるような生温かさと痛みに、恋次郎は声を漏らした。
「覚えた……覚えたぞ、『かまいたち』」
王槐樹はよろよろと立ち上がり、血塗れの顔に壮絶な笑みを浮かべた。
その手には何も握られていない。
仕込み刃を隠していたわけでも、九平治が何かしたわけでもない。
手刀で、『触れずに斬った』のだ。
「『覚えた』ですって……? 俺の『かまいたち』を……ッ!?」
これまでずっとにこやかだった恋次郎の顔に、初めて嫌悪感の影が差した。
「俺は、こいつを物にするまでに、何百何千って人間の首を斬ってるんですよ!? それを、見ただけで……」
「見ただけじゃねぇよ。喰らってみねぇと、技の味は分からねぇもんさ」
王槐樹は、ハラワタを押さえてうずくまる恋次郎の肩に手を置いた。
「だははは、そう落ち込むなって。どういう理屈で『かまいたち』が出るのかは全然分からん。ただの真似、兄ちゃんには『猿真似』って呼ばれてる」
「だ、だからって……」
狼狽する恋次郎の言葉を遮るように、九平治の声が響いた。
「でかしたぞ、王槐樹。これでお前は間合いの弱点を克服した。また一つ真の『天下無双』に近づいたぞ」
「もう殺しちまっていいよな、兄貴?」
「ああ、もう用済みだ」
「おう!」
陽気に答えると、王槐樹は手刀を構えた。
「技を盗んだ相手をぶっ殺す時は、ちゃんとそいつの技でとどめを刺すって決めてんだ」
「……へへ、なるほどな」
恋次郎は、血まみれの手で刀を構え直した。
「だがよ、本家本元に勝てると思うかよ!」
声を張り上げる恋次郎だが、その構えは明らかに精彩を欠いていた。
自身の剣、生き方の体現をいとも容易く模写されてしまった時、信念が強ければ強いほど、脆く崩れ落ちる。
達人たちの努力を、知識を、才能を、その上澄みだけを掠め取って我が物顔で振るう、技の盗賊。
それが、『天下無双の王槐樹』の武芸者としての本質だった。
「俺は馬鹿だからよぉ。地道に他人様の真似をして強くなるしかねぇ。兄ちゃんの言う通りに、コツコツとなあ」
「抜かせ!」
恋次郎は、再び抜刀し、王槐樹の首を狙った。
しかし。
「そう首ばっかり狙ってたらよ、流石にアンタの速さでも見切れちまうぜ」
ヒュッと風が駆け抜ける音と共に、刀が折れた。
王槐樹のかまいたちに刀を斬られたと気付く時には、全てが遅かった。
「ありがとよ『かまいたち恋次郎』。おかげで、俺はまた強くなれた」
ごろりと、恋次郎の首が肩から転げ落ちた。
「へへ、へ……これがアンタの仕掛けですか、九平治さん……」
首だけで小さく笑ったかと思うと、恋次郎は動かなくなった。
傷の断面は滑らかで、血が一滴も流れ出ることは無かった。
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