第11話 義兄弟 -Sneak Attack-

てんそうおうかいじゅ』は、嘘から産まれた怪物だ。

『天下無双』の二つ名は自称だし、『おうかいじゅ』という大陸風の名前も偽名だ。


彼の本当の名は『かい』。水をかいて舟をこぎ進めるための道具の名だ。

元は南島の舟渡しの息子だったが、南の穏やかな海よりももっと激しくうねる激動の時代に舟をこぎ出したいと決心し、都へとやってきた。


そこで、出会ったのだ。

彼を『天下無双』というペテンに巻き込み、荒れ狂う海へと引きずり込んでくれる存在に……



『おい、櫂。さっさと起きて鍛錬しろ。陸に上がっても海の男だろうが』

「……分かってるぜ、あんちゃんよぅ」


頭の中に響いた声に、王槐樹は薄く目を開いた。

ここ数日入り浸っている遊郭の寝室だ。

起き上がって外を見やると、夜明け前だった。

王槐樹はその辺に脱ぎ散らかした道着やらふんどしを、手探りで探す。


「お、あったあった」


衣服を探るその手を、細くなまめかしい手が後ろからつかんだ。


「旦那さま、もう行っちゃうの? もっとのんびりしていきなよぉ」


寝ぼけ眼をこすりながら、遊女が引き留める。

遊女は王槐樹にしなだれかかる。

柔らかい感触が、彼の背にやんわりと密着した。


「わりぃな」


おうかいじゅは迷いなく立ち上がった。


「毎朝かかさず鍛錬しろって、うるさく言われてるもんでな」

「誰にぃ?」

「俺の、こわ~いあんちゃんさ」


王槐樹は、遊女に口づけした。


「また来るさ。生きてたらな」



遊郭を後にした王槐樹は、薄明かりに照らされた夜明け前の都を往く。

あとはんこく(およそ一時間)もすれば、夜に怯える人々も、一日を始めるべく動き出す。

それまでに、手ごろな場所を見つけて鍛錬を済ませたかった。


「にしても、どこもかしこも人の気配だらけ。大した場所だぜ、都ってやつは……」


王槐樹がぼやいた、その時。


「やあ、おはようさん」


曲がり角から現れた背の高い侍と目が合った。


「おっ、デッケェにーちゃんだな」


王槐樹は、心の中で息を巻く。

自分より背の高い相手に出会うのは、珍しかった。

相手は、暗桃色の着物を身にまとい、顔にはニコニコと笑顔を浮かべたさむらいだ。


「おぅ、朝から互いに精が出るな」


すれ違いざまに挨拶を返し、視線を行く手に戻す。

何気ない、意識にも上らない日常の一幕。


の、はずだったが、王槐樹は違和感に気が付く。

「今の侍、曲がり角から出てくるまで、気配が全くしなかったぞ……?」

すれ違った相手の方を振り返ろうとした、その時。


「切り取り線が見えてるぜ、王槐樹さんよ」


『かまいたちこいろう』の抜刀が、王槐樹に襲いかかる。


ひゅーう……


口笛を吹いたような甲高い風切り音と共に、閃光がきらめいた。

王槐樹の首元に、スゥーッと熱が引くような感覚が走る。


「おわっとっとっと!」


王槐樹は大きく後ろに飛び跳ね、まだ乾き切らない寝汗を拭った。


「あっぶねぇ! 避けてなかったら死んでたぞ!?」

「おやおや、へへへ」


刀を抜いた恋次郎は、ニコニコと笑いながら問いかける。


「本当に避けられたんですかい?」

「あ?」


王槐樹の首筋が、どろりと熱い感触に濡れた。

手で触れると、首筋から血が溢れ出していた。


「確かにかわしたはず……いや」


王槐樹は、顔に苦しみに混じって笑みを浮かべた。


「これが噂の『かまいたち』ってやつか。俺の肌に傷を付けるとは、鉄を斬れるってハナシも、マジみてぇだな」

「まさか、初見で避けられるとは思ってませんでしたけどね。大動脈、半端に傷つけちまって申し訳ないんですが、大丈夫ですかい?」

「問題ねぇさ」


王槐樹は、傷口を手で押さえたまま、力を込めた。


「この程度は、こうして唾つけときゃ勝手に治るんだ」


ビキビキと関節を鳴らしたような音と共に、彼の首周りの筋肉が蠢いた。


「ほぅら、この通り」


王槐樹が手を離すと、出血が止まっている。

筋肉によって傷口を塞いだのだ。


「へえ、おかしな斬り心地だと思ったが、あなた、中々の化け物だ」


恋次郎はへらへらと笑いながら、納刀された状態の刀に手を掛ける。


「次は、ちゃんと首を落とさないといけませんね」

「だっはっは! 次なんてねぇよ、『かまいたち恋次郎』」


王槐樹は足を肩幅よりやや広く開き、重心を軽く落とした。

両手を腰の横ぐらいの高さで広げ、襲いかかる直前の熊のような構えで恋次郎を威嚇する。


「おお、怖い怖い。抱き締められたら背骨をへし折られそうだ」


恋次郎はへらへらと笑いながら、王槐樹の身体越しに、はるか彼方に立ったやぐらの方を見やった。


その上に潜んでいた男が、こちらの様子をうかがいながら動き出すのが見えたのだ。


へい』。


その手には、異常な長さの銃身を持つ鉄砲が握られている。

業物『しゃ』。


黒鉄の銃身に白木造りの銃床を取り付けた、長距離狙撃回転銃の業物だ。

軽量小型化を信条とする業物文化に対し、長距離狙撃を可能にするためあえて銃身を重くし、さらに遠眼鏡などの狙撃補助装置を取り付けた、世界で初めての長距離狙撃銃。


精密な遠距離射撃の戦術的価値が認められたのは、幕府が倒れたさらにその先、三世紀先の世界戦争でのことだ。


しかし、そんなことは今を生きる九平治には関係ない。


「コイツの威力は特別製。一発で頭をぶち抜いてやる」


声にならない呟きを漏らすと、九平治は射撃体勢に入った。


ただし、銃身の上に取り付けられた遠眼鏡は覗かない。

大事なのは、目で見える以外の全てだからだ。


「まだだ、まだ。まだ撃つな……」


待つことは、狩人の得意技だ。

王槐樹に一度負けて見せたことも、恋次郎を味方に引き入れたことも、全ては本当の目的のための下準備に過ぎない。


九平治は『仕掛け屋』だ。絶対にまともな勝負は仕掛けない。



その一方で、達人たち二人はにらみ合いながら、数歩の距離を徐々に縮め合っている。


「いやあ、こわいなぁ。まるで、熊とにらみ合ってるみたいですよ、王槐樹さん」


恋次郎は笑みを浮かべたまま、居合の型を構えてじりじりと王槐樹ににじり寄る。


「俺ぁ今、初めて遊郭で遊んだ時のことを思い出してるぜ」

「どうしてです?」

「こんな楽しくてゾクゾクする気分は、久しぶりってことさぁ!」


王槐樹もまた、両腕を広げながら、一歩、また一歩と、踏みしめるように前進する。

近づけば近づくほど、互いに攻めやすく守りづらくなる。

互いに一撃必殺の間合いを図り合いながら、将棋の駒を進めるような気持ちで足を進める。


達人同士の、糸が張り詰めたような緊張。


それこそが、九平治が何よりも待ち望んだ瞬間だった。


「今だ」


あと半歩、どちらかが足を進めれば、相手も自分も即死圏内に入る。

その一歩をどちらが踏み出すか、互いに見極めようとするわずかな逡巡と駆け引きの刹那。


九平治は引き金を引き、二人だけの時間に割り込んだ。


「死ね」


九平治は『しゃ』を撃ち放った。


静寂を引き裂き、大気を貫く衝撃音が艶ヶ谷の朝に轟いた。

弾丸の後に遅れてやってくる発射音が、町に反響する。


そして。


「……あいたたたたた」


恋次郎が左手で額の左側面を拭うと、ぐっしょりと赤く濡れていた。

背後から撃ち放たれた弾丸が、こめかみから眉にかけてを掠めて皮膚と肉一部を抉っていた。


「参ったな。避けきれたと思ったのに、ずいぶん弾が速いじゃありませんか」

「そりゃそうさ。九平治のあんちゃんの業物は、音より速ぇんだ」


『九平治のあんちゃん』と、確かに王槐樹は言った。


「やっぱり、グルだったんだね。お二方」


恋次郎は後方の九平治を振り返った。


「ちっ! 気付いていやがったか、恋次郎……!」


九平治は矢継ぎ早に『しゃ』を撃ち放ったが、今度の一発は恋次郎の眼前で剣閃がきらめき、弾き返した。


「来ると分かってりゃあ、どうとでもなるさ」


その神業を、王槐樹は間近で笑って眺めていた。

そして、遠くにいる九平治に声をかけた。


「もう小細工で恋次郎を殺るのは無理だって、あんちゃん!」

「けっ!」


九平治は悪態をついた。


「弟分の分際で何を偉そうな事を言いやがる。おい『かい』! 誰がテメェを一流の拳法家にしてやったと思ってやがる」

「もちろん、兄ちゃんには感謝してるぜ」

「け、どうだかな」


九平治は捨て台詞を吐くと、やぐらを飛び降りて町の中へと姿をくらませた。

目の端でその行方を追いながら、恋次郎はフッとほほ笑んだ。


「弟思いの良い『兄ちゃん』じゃないですか」

「ああ、俺を勝たせるために死んだふりまでしてくれてなぁ。今回の騙し撃ちはおせっかいが過ぎる気もするけどよ」

「そんなことはない。彼の罠のおかげで、俺は生まれて初めて銃弾を身体にもらいましたよ。だから、あなたたちのことはきっと忘れない」

「思い出になる前提かよ」


王槐樹と恋次郎は、互いに互いを殺すべく、構え直していた。

恋次郎の側頭部を抉った傷は、既に止まりかけている。


「さあ『かまいたち』さんよ。俺たち兄弟の『稽古』に付き合ってもらうぜ!」


王槐樹は地面を踏みしめるとそのままの姿勢で跳躍、一ッ跳びに恋次郎に迫った。

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